想い出の香り、おつくりします

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好実(このみ)!」義彦は幼い妹の名前を力強く呼んだ。 「こら、義彦。病院で大きな声を出しちゃ駄目っていつも言っているでしょう」母が義彦を優しく注意する。 「お兄ちゃん、お母さん」六歳の妹、好実と義彦は四歳離れている。小学四年生の義彦は外遊びが大好きな活発な性格だった。だから、生まれた時から病気で入院している妹と、いつか外で追いかけっこする日を夢見ていた。それなのに好実は病気のせいで走れないからと、いつも本ばかり読んでいた。退屈しないのだろうか。一度そう聞いてみたことがある。  すると妹は笑いながら「本が好きだからいいの。本を読んでいれば、どこにでも行ける気がするから。ねぇ、お兄ちゃんも読んでみてよ。ヘンゼルとグレーテルすっごく面白いから」  妹に勧められて一度読んだことがある。妹の言う通り、確かにヘンゼルとグレーテルは面白かった。主人公が兄と妹というのも、まるで義彦と好実のようで親しみを持てた。自分が一生妹を護る。何があっても。そんな気持ちが芽生えたのも、この時だったような気がする。  だから、妹がそのひと月後に退院してきたのが嬉しかった。二月の初旬。ニュースでは梅の開花を知らせていた。これが最期の家族との時間だと察するには、義彦はまだ幼なすぎた。母と父が泣いていたのも嬉しいからだと思っていたのだ。そして好実も家族で過ごす最期の時間だと分かっていた。両親や医者から聞かされたわけではない。好実は聡明だから自分の寿命を誰よりもよく分かっていた。  そんな好実は母が作る練乳缶のキャラメルが大好物だった。市販のチョコレートやケーキは禁止されていたが、練乳の缶で作るキャラメルなら食べても大丈夫と医者から言われていたのだ。だから、好実の見舞いにはいつも練乳缶で作ったキャラメルを持って行った。  この日は特別に母が出来立てを食べさせてあげようと、はりきって練乳缶を鍋で温めていた。もちろん、練乳缶のキャラメルは義彦も大好物だった。缶の蓋を開けると甘い香りがふわりと広がる。その香りがすると妹はたちまち笑顔になる。キャラメルだけで食べても美味しい。パンに付けて食べても美味しい。大袈裟なんかではなく、好実はこのキャラメルがあるからつらい病気でも笑顔で闘うことができたのだと思う。    そんな妹を義彦は傷つけた。
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