想い出の香り、おつくりします

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「香りは人の記憶に直結しているって話は知っていますか?」 「記憶に直結? ちょっとよく分かりません。どういうことですか?」 「プルースト効果と言うものです。その人にとって思い出深い香りに遭遇すると、昔のことを思い出す現象のことです。例えば……ある香水のにおいを街中で嗅いだときに付き合っていた恋人のことを思い出すとか」 「あぁ、なるほど」年齢と恋人がいない年数がイコールの義彦にとって経験はないが、何となく理解はできた。あるブランドの香水の香りで君を思い出したなんて歌を歌ったシンガーソングライターがSNSで流行していた。 「他にも、幼い頃に母親が作ってくれたおやつの香りとかもそうですね。その香りがするとたちまち幼少期の出来事を思い出すのもプルースト効果の代表的な例と言われています」  母親が作ったおやつの香り。母親の笑顔。隣で寂しそうに笑う幼い女の子。赤と白の缶詰。牛のマーク。  義彦の中で断片的だがひとつの記憶が蘇ってきた。もう思い出したくない哀しい過去。呼吸が荒くなってくる。これ以上思い出すのは危険だ。義彦は右手で左胸を掴むように力強く抑えた。その様子を華子が心配そうに眺める。 「大丈夫ですか? 義彦さん」ベルガモットの声で我に返った。蘇ってきた記憶が霧が晴れるように消えていった。 「……はい、大丈夫です」背中をつつと汗が流れた。暑さのせいではないのは明らかだった。 「……嫌なことでも思い出しましたか? 香りとは本当に不思議なものですよね。もしも、義彦さんの中で大事な想い出があればつくれますよ」 「え……何をですか?」義彦が首を傾げてベルガモットを見る。 「想い出の香りです」凛とした声だった。最初は冗談だと思ったが、声と表情から義彦をからかっているわけではないようだ。それでもにわかには信じがたい。かといって、目の前で真剣な表情をするベルガモットを笑い飛ばすこともできなかった。義彦は曖昧に頷いただけだった。
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