最後の知り合い

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 0時締め切りのレポートをすれすれで提出すると、理人はマグカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。  スマホを取るのも億劫でパソコンのままSNSを開き、アカウントをプライベートのものから「最後の友人」アカウントに切り替える。  今日も「柴犬が本望」さんからの返信が来ていた。長いのでいつも理人(りひと)は柴犬さんと呼んでいる。  柴犬さんは最初は暇つぶしにしかメッセージを送ってこなかったが、犬の話で盛り上がってからは本当に友人として接してくれるようになった。最初はかったるい役割を押し付けられてしまったと思っていたが、理人も今となっては柴犬さんとのやりとりを楽しんでいる。  俺がこのアカウントを引き受けたのも犬が繋いだ縁だった、と理人はぼんやり思い出す。 ◇◇  ビーグル犬のモナカちゃんの飼い主であり、「最後の友人」のアカウント主である近藤さんと知り合ったのは二ヶ月前の帰省期間中だった。  日が暮れた夜8時ごろ、実家にいる愛犬の小太郎を散歩させていると、突然ぐいとリードを持つ手に力が加わった。 「おー、どうした小太郎」  振り向いた小太郎が、わふ、と返事をしてくれる。黒い鼻をぴくぴくさせながら、散歩中のビーグル犬に近づこうとしていた。 「あれ、小太郎くん、今日はお父さんじゃなくてお兄ちゃんとお散歩なんだね」  夜の公園でも光るように浮かぶ、真っ白なポロシャツ。ビーグル犬を連れているのは、三十歳くらいの小綺麗な男性だった。  出た、愛犬の友達のお母さんもしくはお父さんとの鉢合わせイベント。ちょっと面倒だが仕方ない。 「どうも。いつも小太郎がお世話になってます……?」 「いえいえ。この子が小太郎くん大好きでね。西村さんの息子さん?」  穏やかながらも凛とした話し方に、こちらの背筋も伸びる。 「はい。今帰省中で実家にいて、しばらく小太郎のお散歩担当です」 「僕は近藤です。この子はモナカちゃん」  空港の麻薬探知犬以外のビーグル犬を見るのは初めてだった。モナカちゃんは小太郎とじゃれた後、大きな目でじっと理人を見上げる。  この日以来、理人は夜の散歩中に公園で近藤さんと会うたびに軽く話すようになった。犬のお世話の情報、理人が地元から遠い大学に通ってること、近藤さんが在宅でできる仕事をしていること。  帰省期間が終わる前日、近藤さんは自動販売機で何か奢ろうとしてくれた。 「や、別にいいです」  結局近藤さんが自分にアイスのブラックコーヒーを買い、公園のベンチに隣同士に腰掛ける。  僕SNSでちょっと変わったアカウントやってるんだよね、余命わずかな人と話すアカウント、と言われたときはむせそうになったし小太郎のリードを離しそうになった。 「なんですか急に。俺聞いていいやつですか」 「うん、平気平気。この『最後の知り合い』っていうアカウントなんだけどね」  近藤さんはスマホを操作すると、アカウントの画面を見せてくれた。プロフィール画面には、「余命宣告された方とDMをやり取りするアカウントです。募集中とつぶやいたときに一番最初に返信をした人が対象です」と文章が載っている。 「余命宣告ってたまーにあるけど、それ言われちゃったらもう新しい知り合いとか作りにくいじゃん? だから余命宣告された人限定で話せるSNSのアカウントあったら面白いなって思って。だから、名前は『最後の知り合い』。募集して、最初に反応した一人とお互い自由にDMやり取りして、それで相手から三ヶ月返信が来なくなったらおしまい。それでまた募集かけて、の繰り返し」  確かに、投稿された言葉は頻度はバラバラながらもすべて〈募集中〉だ。返信欄には何人かから〈希望です〉〈お願いします〉などと寄せられている。最新の投稿は今日で、「柴犬が本望」という人が真っ先にコメントをつけている。 「本当は返信くれた人全員の知り合いになれたらいいんだけどね。こっちの気持ち的な負担もあるから」 「……余命宣告された人とDMのやり取りするなんて、よく思いつきましたね」 「昔身近にいたんだ、宣告を受けてしまった人が。この子の元の飼い主なんだけどね」  近藤さんが足元にいるモナカちゃんに目をやる。 「どんどん内に内に閉じこもっていくのを見るのがこっちもつらくて、何かできたんじゃないかってその人がいなくなってから思ったんだ。それで、最後に新しい知り合いが作れたら楽しいんじゃないかっね思って。SNSの中だけでも」  優しくモナカちゃんを撫でている近藤さんを見て、その人は本当に大切な人だったんだろうなと理人は思った。 「で、本題なんだけど理人くん」 「はい?」 「募集かけちゃったんだけど、実は僕これから忙しくなりそうなんだよね。だから理人くんにお願いできないかなって」 「アカウントの中の人ですか?」 「うん。理人くん優しいし、ほどよく冷めてて向いてそうだし、大学生時間あるだろうし。あと何より小太郎くんと仲良いし」 「微妙に褒めてませんよね。あと小太郎関係ないでしょう」  冷めてる、は高校のとき一時期付き合っていた女子からも言われた。苦い気分になり、小太郎を撫でまわして気を紛らわせる。 「いやいや、次の相手、名前が『柴犬が本望』だよ。柴犬絶対好きなんだよ、柴犬の何が本望なのかよくわかんないけど」  近藤さんは、いつものようににこにこと微笑んでいる。  この「柴犬が本望」さんのアイコンはよく見ると、白紙に青ペンで描いた柴犬のイラストだった。徹底している。  近藤さんが言う通り、大学生は時間がある。  なので今回のことを断ってしまうと、それが心残りになって暇な時間にもやもやと考えてしまいそうだった。そっちのほうが理人にとって面倒くさい。 「わかりました、やりますよ。ただ、この柴犬の人だけです。次はやりませんよ」 「さすが。ありがとう、理人くん」  近藤さんは、自身の連絡先とアカウントのパスワードをまとめて理人に教えてくれた。  一人暮らししている学生マンションに戻ってから、理人と「柴犬が本望」さんのやり取りが始まった。 〈何でも気軽に送ってくださいね〉 〈はーい。話しやすいように一応言っとくと、女性、二十代、余命二ヶ月(らしい)です。入院中の暇つぶしにメッセージ送ります〜〉  やはり余命という言葉を目にするとひるむ。「柴犬が本望」さんはマイペースに二、三日に一回のペースで何かしら送ってきた。映画観た、ご飯これ食べた、など。  淡々としたメッセージ交換に変化が起きたのは、大学がまた始まった十月の頭だ。理人が〈なんでそのアカウント名なんですか?〉と聞いたときからだ。 〈私、来世は柴犬になりたいんです。だからこの名前。かわいくて凛々しさもあってめっちゃ良くないですか?〉  余命宣告された中、来世になりたいものを決めている。ポジティブなのかネガティブなのかわからない。 〈なるほど、だからその名前とアイコンなんですね。自分、実家に柴犬います。なので同じく柴犬派です〉 〈え、ほんとですか! 羨ましい! ちなみに、この柴犬青ペンで描いたのは私が青好きだからです。柴犬になったら青のリードつけてもらってお散歩したい〉 〈いいですね。柴犬が本望さん、いい夢持ってますね〉 〈ありがとうございます。あと今更ですけど、名前気に入ってるけど長いので柴犬さんでいいですよ〉 〈あ、じゃあこっち、知り合いさんでいいです〉  柴犬好き仲間と認識されたのか、柴犬さんは以前よりも高頻度でメッセージをくれるようになった。実家の親から送られてくる小太郎の写真を柴犬さんにも送ると、毎回必ず喜んでくれた。  柴犬さんも理人も、お互いのことを深く聞くことはしなかった。ただ一度、こう聞かれたことがある。 〈知り合いさん、なんでこんなことやってるんですか。つらくなりません?〉  大学に行く途中の電車でスマホをいじっていた理人は、すぐに返信をした。 〈実は自分、元のアカウント主ではないんですよ。知り合いに頼まれて、今だけやってます〉    すぐに既読がつく。 〈へー、色々ありますね。こんなアカウント始めるくらいだから、もっとわざとらしい偽善者感ある人だと思ってたら、ほどよく冷めてるから話しやすくて〉 〈冷めてますかね〉 〈はい。私はそれがちょうどいい〉  柴犬さんのみならず元恋人からも近藤さんからも言われたくらいだから、自分はやっぱり無意識に冷めた空気がにじみ出ているのだろう。  でも、ちょうどいいと思ってくれる人がいるなら、文句はない。理人の中でも、柴犬さんは友人になっていた。  柴犬さんの姿を想像してみる。二十代女性とわかっているのに、青のリードをつけてもらったまま無邪気に走り回っている柴犬しか浮かばない。柴犬さん自身のことはあまり知らないのに来世の夢は知っているなんて、おかしで面白い話だ。  理人は正直油断していた。八月に余命二ヶ月と言いつつ、十二月になってもメッセージを続けていたからだ。良くなったんじゃないか、余命も何も無くなったんじゃないか、と思ってしまっていた。 〈年末で実家に帰省して、久々に愛犬と対面してます〉  そうメッセージと動画を送ったものの、既読がまるきりつかない。再び小太郎の散歩担当になったため、公園で会った近藤さんに相談した。 「つらいけど、そのまま三月末になっても何も来なかったら、『柴犬が本望』さんとは終わりかな」  淡々と言う近藤さんを見て少し嫌になる。この人のほうがよっぽど冷めているんじゃないか。不満げな顔を悟られないように、顔をマフラーにうずめる。小太郎がこちらに擦り寄ってくれた。  桜のつぼみが膨らみ始めても既読はつかないままだった。  三月が終わる日、理人は少し泣きそうになりながらメッセージをひとつ送った。 〈本当はどこかで元気にしてくれていますように。そうでないなら、来世の夢が必ず叶いますように〉  それっきり、アカウントからログアウトした。 ◇◇  犬を飼おうと思った。  なんでこのタイミングなんだろうと自分でも思ったが、初めて会ったときの近藤さんの年齢が今の自分と同じだからかもしれない。一人で犬を飼うなら三十歳から、という謎の刷り込み。  小太郎はおじいちゃんながらも元気に過ごしているが、自分の家でも犬を飼いたい。猫でも鳥でもいいかもしれないも思いつつ、ペットショップに入った理人はついつい子犬の柴犬がいるところから離れられなくなってしまった。 「抱っこしてみますか〜?」  案の定店員さんが寄ってくる。誘惑に負けて抱っこさせてもらうと、服の胸ポケットに入れていた青のハンカチをくいくいと引っ張られた。 「ああ、すみません。なぜかこの子、青が好きで」  青好きの柴犬。大学生のときの、あの手描きのアイコンが頭をかすめる。 「柴犬さん?」  子犬はうなずくように二回まばたきした。店員さんはきょとんとしている。   「この子、飼います。あと、青のリードありますか?」  理人の腕に抱かれた子犬は、幸せそうに目を細めていた。 〈終わり〉
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