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ボクが一人暮らしをするアパートには、先住ネコのハルがいる。これまでネコを飼ったことはあるが、犬は初めてだ。どうしていいのか、分からないことだらけだ。
「お前、目の上に丸い模様があってかわいいな。眉毛みたいだ。よし、名前はマユにしよう」
そういうと、気のせいか嬉しそうな仕草をしたように見えた。
「マユ。お前の名前はマユだぞ」
こういうと、こちらを向いて尻尾を振る。
え? もしかして、自分の名前が今、マユって名付けられたことを理解してる……? 犬ってこんなに賢いのか? ネコにはここまでの理解力はない。
設置したトイレのこともすぐに理解したし、先住ネコのハルとも仲良くしてくれる。
ただ、いつも部屋の端にあるベランダ前にいて、ボクが近付くと怯えて吠えることが多かった。なかなかそばによって来ないし、散歩していても人とすれ違うと怖がってしまう。
おそらく劣悪な環境にいて、山間地に捨てられたのだから、相当な人間不信に陥っているようだ。
季節が過ぎ春になっても、マユはボクに対してよそよそしいままだった。
ゴールデン・ウィークを過ぎた頃、ボクは毎夜安い酒を買って、一人で酔っ払うようになっていた。
4月から新たに配属された部署の仕事内容や人間関係が、あまりにもつらい。広告代理店に勤務するボクの仕事は一見華やかそうだと勘違いされることもあるが、実際は地味極まりないものだ。
都会と違って田舎の代理店にオシャレな広告などない。それでも、これまでは制作部でポスターやチラシ、冊子をつくることに携われていたが、4月からはまるで経験のない営業部に飛ばされてしまった。
毎日、クライアントを周り、頭を下げる日々。基本、上から偉そうなこと言われ、叱られることが多い。それでも笑顔をつくって対応しなければならないから、どんどん心が荒んでゆく。
「いやー、言うの忘れてたな。明日の午後に店長会議があるからさ、明日の朝イチまでに、サマーキャンペーンの企画概要と見積もりを提出してよ。できるよね?」
特に地元スーパーの店長は、容赦がない。ボクのことを奴隷くらいにしか思っていないのだろう。
「そんな、明日ですか?」
「え? 無理なの? 無理ならどこかやってくれないかなあ」
拒否したら、ライバルの代理店に依頼するぞ、というのを暗にほのめかす。
「いえ、やります。やらせてください」
もはや、ボクに人権などない。
こんな風にクライアントに振り回され、帰りが遅くなることが多かったが、上司は放置している。
それでも何とか耐えているが、酒を煽らずには生きていられない。
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