《三》

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《三》

 雨でぬかるんできた道の泥をかきわけ左門(さもん)は進んだ。  そして、一つの荒屋(あばらや)の前で立ち止まる。  乱暴に扉を足で蹴り開けた。 「ああ?なんだあお前」  中はもうもうとした煙とすえたにおいが立ちこめていた。  ガン!と床に左門は刀を突き立てる。  中にいる男たちが縮み上がる気配がした。  白い煙の中、左門は仁王立ちする。 「ツケを回収しにきた」  ここは毒草を売っている。  使ったときには高揚感があるが、すぐに神経がやられ気づいたときには廃人同然になっている。  人を狂わせる毒の煙だ。 「お前さんらが俺の弟ぶんに毒を売ったせいで奴は死んだ」  刀を叩く。 「これはそいつの刀だ。さあどいつからかかってくる?」  殺意をこめて、左門は言った。  震え上がっていた男が立ち上がって左門に斬りかかる。  左門はそれを一太刀で斬った。  男たちが続々と立ち上がる。  本来なら左門一人にさばききれる数ではない。  だが、左門の腹は決まっていた。 「こぉい!」  ここからにおいがする。  左門のにおいをたどってやっとみつけた荒屋。  血のにおいがした。  紅太(べにた)は飛びこむ。 「左門!」  血だらけで、左門が獣のように戦っていた。  紅太と目が合う。  次の瞬間、背後から凶刃(きょうじん)が迫るのが見えた。 「やめろおおおお!」  それからのことは、紅太はまばらにしか覚えてていない。  飛びかかると刀を奪って幾人もの男を斬った。  気づいたときには、沈黙。  一面が紅に染まっていた。  息も絶え絶えの左門が足元に転がっている。  左門を肩に担いだ。  左門をこんなところに置いておけない。  でもどこへ行く。  どこでもいい。  ここじゃない場所なら、どこでも。  出会った日の晩、左門は紅太が抱えている刀を捨てるように言った。 「紅太よお、これからは刀のいらない時代がくるぜ。だからそんなもの捨てちまいな」  煙管を吹かして飄々(ひょうひょう)と言った。 「旅の荷物になるだけさあ」    白い月の下を、二人で歩く。 「なんできたんだよ、紅太」 「拾ってもらった恩を返しにきただけだ」 「お前はどこまでも犬だなあ」  笑って、かすれた声で左門は呟いた。  川のほとりに桜が咲いていた。  そこに座り、肩に担いだ左門を下ろす。 「綺麗な花だなあ」  手を伸ばして左門は言った。 「散ってしまうのがもったいねえ」  小さく、満ち足りた声で呟いた。 「花のしたにて春死なん」  左門の手から花びらがこぼれていく。  花は咲いて。  いつか散っていく。  それが儚いさだめなのだから。  (はな)(がすみ)で視界が白く染まる。 「紅太。お前に会ったのもこんな日だったな。忘れてないか」  忘れていない。  そのしるしに、紅太は頷いた。  力なく垂れる左門の手にすがる。  獣のように、犬のように咆哮(ほうこう)した。  体を引きずるようにして、紅太は桜の下に左門を埋めた。  地に桜の枝をさした。  ここを墓標(ぼひょう)としよう。  風が吹いている。  桜は咲いて、飛散していく。  白い花吹雪の中。  血に(まみ)れた紅い手足で、犬が主人に寄り添うように紅太はいつまでも側で座りこんでいた。
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