《一》

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《一》

 血風(けっぷう)渦巻く時代。  剣によって生きるひとりの人間がいた。  いや、それは「ひと」というより修羅と呼ぶべきか。  縄で縛られうめいているものを、二人の男が見下ろしていた。  (いや)しい顔をしたボロ布を着た男と、傘をかぶって顔は見えないがそれなりに身なりがいい男である。 「近寄るな。噛みつかれるぞ」  番をしている男がそう言った。 「そいつは何をしたんだ」  男が問うと番をしている男は(わら)う。 「驚くなよ。一人で何十人を斬ったのさ。おかげで部隊が一つ全滅さ」  (あご)(つか)む。  獣のような目をしていた。  人ではなく、全てを射殺すような美しく強靭(きょうじん)な力を秘めた目。 「幕府の犬だ。まあ忠犬というよりは」  ペッと男は唾をはいた。 「狂犬だろうがな」  ふぅん、と聞いていた男は言った。 「いくらだ?」 「ああ?」 「いくらでこいつを買えるかって聞いてんだ」  番をしている男はため息をついて呆れたように言った。 「おいおいお前さん、こいつを飼おうってかい?バカ言っちゃいけねえよ。これは血に飢えている浪人どもに差し出すのさ。よくて(さら)し首だろうな。悪ければ生きたままなぶられる」  残忍に笑うと、顎にかかった手を離して地面に投げつけた。 「それにしてももったいねえな。女みたいな顔をしているくせに。こいつが人斬りだなんて、実際にその姿拝むまで信じなかった、ンバ!」  番をしている男の顔に刀が突き刺さり、頬から突き抜けた。  バタリと男が倒れる。  とうに絶命していた。  その時、バラバラと刀を持った集団が近づいてくる。 「おおっとこいつは剣呑(けんのん)だね」 おどけるように傘の男は両手を上げる。 「神妙にしろ。用があるのはそいつだ。邪魔だてしなければ貴様は見逃してやる」 「だそうだが。どうする?」  縄で縛られたものを見下ろして傘の男は言った。 「おい貴様」 「へえへえ聞こえてるよ」 「その犬となにを話している」 「犬ねえ……」  傘の男は腰から刀を抜いた。 「それはこいつに聞いてやんな」  足にかかった縄を、男は斬った。  縄で縛られたものに囁く。 「死にたくなきゃ走りな」 「逃すな!」  刀を抜いた集団が追ってくる。 「こいつはまずいねえ」  傘の男は縄で縛られていたものを担いだ。  大人の自分が走った方が速いと思ったからだ。  持ち上げてみると肉づきからして少年のようだ。  少年は傘の男に背負われたまま、ブチブチと口に巻かれた縄を噛みちぎった。 「お前さん……」  体をよじって傘の男の腰にある小刀を口に(くわ)える。  そして男を蹴ると、飛んだ。 「おいっ!」  男が止める間も無く、それは男の集団に踊りかかった。  刀をはね上げると、数人の敵を口に咥えた刀だけで斬り倒す。 「なんてやつだよ……」  冷や汗をかきながら傘の男は口角を上げた。  一人の男が刀を振り上げ、上段から斬り落とそうとする。  「でやぁっ!」  その動きが止まった。  刀を振り上げた男は突然なにが起こったかわからない。  体をよじるうちに気づいた。  弦のような細い、強靭な糸が巻きついている。 「悪いねえ」  傘の男はそれを一気に(しぼ)る。  男の腕がちぎれ飛んだ。  絶叫を上げ、男は倒れる。 「こい」  目つぶしに傘の男は砂を蹴って巻き上げる。  少年の着物の首根っこを掴むと手近な草むらに飛びこんだ。 「どこに行きやがった!」 「追えー!追えー!」  刀の集団は逃げ去っていく。 「お前さんすごいなあ」  そう言って少年の手を縛っている縄を切り落とす。  少年が跳んで距離を取った。  刀を構えたまま、傘の男を睨んでいる。  その獣のような荒みようを見て、こいつはとんだ厳しい場所で生きてきたんだなと傘の男は思った。 「落ち着けよ。そう言っても怪しい奴には変わりないよなあ。俺は左門(さもん)、つうんだ」  傘の男は、傘をはずした。  左目のあたりに傷のある、(ひげ)をまばらに生やした中年の男の顔がそこから覗く。  「刀を返しな。それは俺のものだ。それが礼儀っつうものだぞ」  だが少年は刀を離さない。  一歩踏み込むと一歩後ろに下がった。 「ったく好きにしな」  腰に下げた瓶から男は酒を飲んだ。  それから煙管(きせる)を咥える。  一服すると、煙を吐きながら少年に言った。 「お前さん名はなんというんだ?」  少年は戸惑った顔を浮かべた。  はじめて見た表情の変化らしいものだ。  首を横に振る。  名はない。  純粋にものとして扱われていたのか。 「そうさな……じゃあ」  そのとき、風が吹いた。  おっ、と言い男が立ち上がる。  花びらが舞い散る。  桜が咲き乱れていた。  まだ肌寒い中で、(りん)と咲いている。  寒桜(かんざくら)。  それを見上げて、ふと左門は言う。 「紅太(べにた)なんつうのはどうだ」  木の(ふもと)に目をやる。  そこには血だまりができていた。  さっきの斬り合いで飛んだものだろう。  紅は美しい。  生きている色だと左門は思う。 「これからは、紅太と名乗ればいい」  ニヤリと笑って少年を見る。 「血とともに生きるお前にはそれがふさわしい」  紅い桜が舞った。  薄紅色であるはずのそれを、飛沫(しぶ)いた血が染めている。
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