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《ニ》
「旅は道連れ世は情けってなあ」
そう言って、左門は少年を連れ歩いた。
宿を取ると、こんな血塗れのまま往来を歩くわけにはいかないと川で少年を洗う。
「しっかしまあ汚ねえなお前さん」
人らしい扱いを受けてこなかったのだろう。
それこそ犬畜生同然に飼われていたのか。
「ちょうど旅のともがほしいと思っていたところだ。お前さんどうせ行くところないんだろ。しばらく俺につきあえよ」
勝手にそう決めると、少年の髪をわしわしと洗ってやった。
少し考えるそぶりを見せた後、少年は頷く。
「決まりだな」
そこからは野を越え山を越え、ひたすらに歩いて行った。
数日後。
歩いて都についた。
「やっとか」
左門は汗を拭う。
ここにくるまでにもいろいろなことがあった。
山賊に襲われそうになったり、野宿をしているときに危うく毒草を食べそうになったり。
その度に紅太がそれを回避した。
ぽつぽつと語ったところによると紅太は特別鼻がきくのだという。
だから、役に立つ犬のような小僧だと言われいろんなところに引き回された。
血のにおいを嗅いで敵の居場所を見つけたり、毒の入った腕を叩き落としてそのときの頭領を命拾いさせたり。
そのうちに俊敏な足さばきと敵を嗅ぎわける鼻のよさをかわれて人斬りになった。
生きるために一切躊躇はなかったという。
それでもときどき考えた。
自分にはこんな生きかたしかできないのかと。
もっと別の道があるんじゃないかと。
言葉を教えると瞬く間にそれを覚えて左門に胸の内を語った。
「まあ済んだことは仕方ないさね」
脇で煙管を吹かしながら左門はいつも黙って最後まで話を聞いていた。
「俺は今からでかい街に行くのさ。そこにはお前の求めている答えが、もしかしたらみつかるかもしれないねえ」
意味深なことを言う左門に紅太は問うた。
「どういうことだ」
「さてねえ」
左門は多くを語らなかった。
話をはぐらかすのがうまい男だった。
都は多くの人が行き交っていた。
鼻がよすぎる紅太は顔をしかめる。
「これでも顔につけてな」
左門が手拭いをくれたので鼻と口を覆うようにそれを巻きつける。
「しばらく歩くぜ」
左門がそう言うのでその背中に付き従った。
紅太に都のことはわからない。
そこら中に露天が出てさまざまなものを売っていた。
餅に飴に、果物、野菜。
子どもの玩具やなにやらいぶかしげなものまで。
スン、とにおいを嗅いで紅太は一点を見つめた。
肉の串が焼けている。
香ばしいにおいがした。
美味そうだと目を奪われていると頭に拳骨が落ちた。
「お前は本当にわんころみたいだな」
呆れたように左門が目を細めている。
「肉が好きか」
「好きだ」
「ようし、それなら買いに行ってこよう」
店に行って左門は串を二本買ってきた。
「ほらよ」
一本を紅太に差し出す。
手拭いを引き下げると紅太は一口齧った。
芳醇な油の味がした。
野宿で焼いて食う獣も美味いが、これはまたそれとは別の味がする。
かかっているタレも甘塩っぱくて美味い。
ガツガツと瞬く間に紅太はそれを食べた。
「おいおいもっと味わって食えよ」
そう言いながらも左門もすぐに平らげた。
串で歯を削りながら左門は言う。
「やっぱり都の飯はいい」
「左門は都の人間なのか」
「しばらくはここに暮らしていた。だがな、紅太。都の人間も田舎の人間もねえのさ。人間なんてつまるところみんな同じものさね」
「……俺の前いたところでは違った」
「そーかい」
紅太の肩をポンと叩く。
「まあそんなに肩に力を入れて歩くこたあねえさ。行き先はすぐそこだ」
ゆっくり歩き出した。
手拭いをまた鼻先まで上げると、紅太もそれに引き続く。
「おーい。誰かいるか」
店の前に着くと、左門が奥に向かって叫んだ。
左右には女物の化粧や飾り物の店が並んでいる。
どうやら女性の客が多い界隈のようだ。
「ハイハイ、ちょっとお待ちくださいって。あれ、お前は左門か」
奥から腰の曲がった老婆が出てきた。
小さな体だが若い娘に劣らぬほど元気な声をしている。
「こりゃたまげたねえ。まだ生きておったか」
「婆あこそ、まだ死んじゃいなかったのかい」
「これはご挨拶だねえ。大口を叩きよる」
二人して呵呵と笑った。
「今日はなにをしにきた。また女への手土産かい」
「まさか、そんなもんじゃねえや。都にきたついでにこの坊主に店を見せてやろうと思ってな。ほら、挨拶しろ」
いきなりか、と思いながら手拭いをはずして紅太は言った。
「紅太だ。よろしく」
「こりゃまあ、また男ぶりのいい兄さんで。でも少し可愛らしいかね。左門、お前の倅かい」
「馬鹿か。そんな年じゃねえや」
左門が煙管を咥えようとするので老婆はきつくそれをとがめた。
「左門。ここで煙はやめてくれな」
「おお、そうだったな悪い」
左門は煙管を懐に仕舞う。
「この坊主に店を案内しちゃくれねえか」
「たく、仕方ないね。おおい、おそめ!」
大声で奥から誰かを呼んだ。
「あい。なんでございましょうか」
可憐な少女だった。
小さな顔に大きなたれ目、小さな唇という愛らしい顔。
綺麗な着物に身を包んだ姿はまるで花の精のようだ。
「この子はソメ。私の孫で少し前から店に出ているんだ」
「はじめまして。お久しゅうございます、左門様」
紅太に頭を下げると、左門のほうを向いて笑みを浮かべた。
「よお、おそめ。また女らしくなって」
「ふふ、ありがとうございます」
左門のからからかうような声にも全く気にしたふうの様子はない。
春の風のようだな、と紅太は思った。
通り過ぎるところを温かくしていく。
そんな雰囲気の娘だった。
「こちらへ」
そう言って紅太を手招く。
紅太は店の中に入った。
不思議な雰囲気の店だ。
瓶に入った液体が並んでいる。
瓶はどれも透き通るように綺麗で、繊細な模様が入っていて思わず見入ってしまう。
「硝子細工というのですよ。ご覧になったことがあって?」
「いや……」
それよりにおいが気になった。
なんだか、この瓶の中から強く漂ってくるような。
「お試しになります?」
ソメは一つ手に取って中に入った液体を手首にちょっと垂らした。
「男の人も使うかたはいるみたいだけど、ご婦人に売ることが多いのです」
手首を差し出した。
「香りを嗅いでみてください」
白い手首にためらうが、紅太は近づいてみた。
途端に後ろに下がって鼻を覆う。
「これは……」
「あ、あら。つけすぎましたかしら」
ソメは顔を赤くした。
「紅太、ここは香水屋だ」
「香水?」
「体ににおいづけする液体を売る場所だよ。どうだ、いい香りだっただろう」
たしかに、花と柑橘の実が混ざったようないい香りがした。
でも、今のものは自分には少し刺激が強すぎた。
「はは、お前には少しキツすぎたか」
眉を寄せた紅太の顔を見て左門は笑う。
「ここは舶来の品を扱っている。見たことがないものばかりだろう」
たしかに、見たことがないものばかりがならんでいる。
都という場所でさえ野山で生活していた自分にとっては別天地だったが。
そう店一つがまるで一つの国のようである。
「お前、しばらくここで働きな」
いきなりの言葉に紅太は違和感を覚える。
「左門?」
「いつまでもぶらぶらしちゃいられまいよ。調香師とかいう香水作る仕事があるそうでな。お前の鼻ならいい香りを選べるだろうよ」
「お前さんそのためにこの兄さん連れてきたのかい」
「助かるだろ」
「そりゃこっちとしちゃいいが、いきなりだねえ」
紅太の顔色も見ながら老婆は言った。
「じゃあ、俺は用事を片付けてくらあ。そのために都に戻ってきたんだしな」
くるりと背を向ける。
そのまま紅太に言う。
「紅太よ。地に足つけて生きな」
紅太は奇妙な気分になった。
左門が急に遠くに見える気がした。
左門は静かに店から出て行く。
「左門。おい!ちょっと待てよ」
「紅太様!」
ソメが紅太を呼び止める。
静止の言葉を振りきって店の表へ出る。
いつの間にか雨が降ってきていた。
左門の姿は、すでにどこにもなかった。
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