2024.父と母とわたし。

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2024.父と母とわたし。

さっそくのコメント、スタンプ、スターありがとうございます。ただいま帰りました。 うん、いろんなね形はあるもんです、家族って、 ただ、 お正月の三が日のとある時間帯から、本当に 本音で 親子三人話し合った時間帯がございました。 わたしは。たぶん場数踏んだんやなかろうか?と思っていたほど、母からすれば「あんたこわいから」だと 今年もいわれました (ええ、想定内) 母親のいう、怖い娘は 自分に楯突く子供。わめく子供。謝らない子供(自分自身は謝れなくてもいいらしい) らしいことは、5年間近く学びましたよ ただね、ちょっと泣きたくなったのは いくらか話し合って?叫びもしたときに 「孫はたのむけん、わたしみたいに、優劣つけたら悲しむしわたしがいやだから、しないで」は 通じなかったとき 無になりましたわたし。 泣くより前に  時間がとまりました。 そして「帰れ」と わたしは母にいいました 「もう、、しんどい、疲れたから帰れババア」と 口悪く放つ自分はきらいです、自分に還るとしりながら、いわずにいれなかったから 叫びもしました 「っ、親に口答えする?なにさまよ」以下それ以降はちょっと記憶にあるようなないようなです ただ、やらかした自分の左手首が赤かったから ひりひりもしました 夫婦間のいざこざはわかりません わたしは触れないようにした、 でもね、結局そのあと、母が泣いていたことは知りました 父から母へ冷たい態度でもね、とられたからなのかしりませんが わたしに、謝りがきましたが ボロクソ言い返してあげました ただ、気分的には キエタカッタです でも、寂しくも痛くもあったから あー なんだよー ってなりました。 語彙力ほしいです、 今後の夫婦間はしらんよ でもね、寂しいよりも、残酷だな いやだったとやはり母親ないし、義妹、弟には 実はあります。 また、このときも、じぶん自身の 障がいを嫌だと思ってしまいました。 母親に、 この人に、伝わらないのは 残念  でも、わたしは自分を 表したいともおもいました。 母親だから で圧してくる言葉には疲れた でも、わたしには、障がいを、かわいそうとか、で見るひとを 身近に感じとりすぎた なぜ、うちは、こうなるんだと しんどくなり、結果罵声にちかいそれをわたしは母親にぶつけました 「怒られて」しにたくなった でも「母親ずらすんな」を吐きました 両親が怖く、弟も怖く、義妹は、、ぞわって、してしまい、母親には、 顔みたらたぶんまた、どんな感じでぶつけるかわからないなと感じましたが ぶつけたのに、 「障がい」をしるきもなければ、義妹にも「ワタシについて、伝えるところがあったって、言わない」姿、に 悲しくなりました それでどう、「愛情をかけてるよ「大好きだよ」か 知りたくてさらにきいたとき、涙か怒りかわからなかった 「それすらも、数時間たてば、ごめんなさいしてくる」 いつもの 話し合い ね、家族をしりなおしたい わたしは、 誕生日を暖かいほうにしたい 家族を語る一方で わたしの存在は、ベビーシッターでもいい でも、わたしは、「誕生日」をいつからか きらいです、って、母さん知ってるだろうから と おもえたいた頃、わたしは無表情をつくり、母親には、ひとつ、期待をしていたじぶんを ゆるく、ゆるす練習をしはじめた 焦らなくていいはずなのに いやだな、 って、おもいながら 部屋にいく うでを カリカリしながら髪をひっぱる それすらも「わたし」、 家族は きらい 誕生日は 不安だらけ 何年間か前から誕生日は 不安だらけ だからせめて、毎日のどこかは 明るくいたいから それに、わたしはただ、、必死なのかもしれません 綴
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