久しぶり

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 1ヶ月後。俺はまたコーヒーチェーン店の前で由美たちを待っていた。  会うのは前回限りのつもりだったが、由美がどうしてもまた会いたいと引き下がらなかったのだ。困り果てたダンナが不憫になり、つい承諾してしまった。  しかし、待ち合わせ場所に現れたのは由美のダンナだけだった。 「お待たせしてすみません」  由美のダンナが頭を下げる。 「あ、いえ、俺も今来たばかりなので。えっと、由美はどうしたんですか?」 「それについてもお話しますので、とりあえず店に入りましょう」  そう言うと、由美のダンナは足早に店へと入っていく。俺も慌てて後に続いた。  小さいテーブルを挟み、由美のダンナと向き合う。正面からしっかり顔を見るのは初めてかもしれない。  由美のダンナは少し痩せた気がするが、前回よりも顔色は良かった。 「今日は来ていただいてありがとうございます。由美も来たがっていたんですが、体調が思わしくなくて……」 「そうですか。前回会った時は元気そうに見えたのですが……」  俺は言葉が続かず、手元を見た。 「えぇ。そうですね。あなたと話をしている時は、とても元気で、由美らしい由美でしたよね」 「それは、どういう……?」  顔を上げると、テーブルに置いたコーヒーを力なく見つめる由美のダンナの姿が目に入った。 「由美は、若年性アルツハイマーを患っているんです」  静かな声で、由美の病名を告げる。 「若年性アルツハイマー?」  俺は病名を繰り返した。 「えぇ。物事を覚えていられなくなって、少しずつ記憶もなくなっていく。性格も変わっていって……残酷ですよね」  ダンナの声が消え入りそうなほど小さくなっていく。 「神崎さん、あなたに会った時には、由美は私のこともわからなくなっていたんですよ」  そう言うと、寂しそうに目尻を下げた。 「え? でも、由美は昔と変わらず……俺のことも覚えていたし……」 「そうですね。不思議なことに、あなたと話している時は、由美に戻っていたんです。私のこともちゃんとわかってくれて……」  由美のダンナがうつむく。 「頭ではわかっていても、忘れていく、変わっていく由美を受け入れきれなくて……」  何かに耐えるように声が震えている。俺は由美のダンナが落ち着くまで静かに待った。 「すみません」  ダンナが静かに謝ってきた。声の震えは治まっていた。 「少しでも病気の進行が遅くなれば、少しでも私のことを思い出してくれれば、少しでも由美が由美でいられれば、そう思って、あなたに会ってもらっていたんです。すみません。何も知らせずに……」 「…………そうでしたか……今、由美は……」  驚きから、上手く言葉が出てこない。しかし、俺の問いをわかってくれたようだった。 「由美はケア施設に入所したんです。……私も仕事がありますし、子供もいるので……家で看るのは限界で……」  俺は呆然としながら、由美のダンナと別れた。  ――由美は俺と話ながら、何を見ていたのだろう?  ――あの笑顔は俺に向けられたものだったのだろうか?  答えのない問いを繰り返す。思考の無駄だ……。でも、一つだけ確かなことがある。もう、俺の知っている由美には会えない。それを思うと、鼻の奥がツンと痛くなった。  ――あぁ、俺らしくない……。  そのうちに俺の目から涙が一粒こぼれ落ちた。  ――あぁ、カッコ悪い……。  こんな俺を見たら、由美は笑うだろうか。それとも心配するだろうか。  ――いや、その前に 「真面目に働くか……」  いつか、どこかで由美に会った時に、怒られないように、俺にはまだまだやらなきゃいけないことがある。そう思うと、少しだけ前を向ける気がした。
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