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7 妻の気持ち
交代の日が定まると宮の中は慌ただしくなった。
十年に一度の大事な儀式、それに今回は初めての儀式が加わったのだ。これまで宮とは全く関係のない「婚姻の儀」のための準備もしなくてはいけない。
「婚礼衣装のご用意はこちらでいたしましょうか」
王宮からそんな話を持ってこられたが、キリエがきっぱりと断った。
「マユリアは国王陛下に嫁がれるのではございません。王家とのつながりを作られるために婚儀に臨まれます。そのようなお気遣いは御無用でございます」
返事を聞き、王宮では国王が少しがっかりしたものの、
「まあいい、正式な婚儀の時にはこれ以上ないほど豪華な衣装を用意してさしあげればよいのだ」
と、気持ちを取り戻していた。
「あなたのおかげだ。あなたが広い心で私がもう一人の后を娶ることを許してくれたこと、心から感謝している」
国王はその整った顔に満足そうな笑みを乗せ、妻をじっと見つめた。
国王の隣には皇太子妃から皇后になった正妃が座っている。曖昧な笑みを浮かべて国王に顔を向けてはいるが、今回のことを本心ではどう思っているかを計ることはできない。
皇后は宮に行儀見習いの侍女として入っているラキム伯爵家のモアラの姉である。マユリアと同じ28歳、5人の子の母親だ。飛び抜けた美人ではないが、やや童顔で幼く見える顔立ちをしている。
八年前、夫が義父と女神を取り合って争っていた時、皇后は何も言えずに見ているしかできなかった。元々どちらかというと気弱な性質で、人に何かを言うということがほとんどない。皇太子妃として嫁いだのも、親にそうするようにと言われたから、ただそれだけだ。
政治的手腕もなく、ただ大人しく次々と皇太子の血を引く子を生み、継承を安定させた国母と言われるようになった。自分でもそんな自覚もあり、それでいいのだと思っていた。
夫である皇太子は妻にも子にも優しかった。おそらく幸せな人生を歩んでいる、そう思っていた頃、夫と義父の間であんな争いが起こったのだ。その結果、夫は敗れ、まるでこの世の終わりのように沈み込んだ。そしてあの日、先代が突然亡くなられた日、その衝撃からか昏倒された時には本当に心配をした。それまでの鬱々とされたご様子から、もしものことがあるのではないかと自分の心臓まで止まるかと思った。
幸いにもすぐに意識を取り戻され、特に問題はなかったものの、その後から夫は変わった。
だが、決して悪い変わり方ではなかった。それまでも真面目な人ではあったが、人が変わったように学問に、鍛錬に、そして身をやつすことに打ち込むようになったのだ。そしてみるみる「立派な人間」になっていった。
周囲の人は「立派な後継ぎになられた」「きっと素晴らしい王様になられる」と夫を褒めそやしたが、妻はそのことに対して複雑な気持ちにしかなれなかった。夫が成長するに連れ、父のラキム伯爵や伯父のジート伯爵からこんなことを言われるようになっていったからだ。
「皇太子殿下は立派なお方です。こう申してはなんですが、父王様のように側室もお持ちにならず、妃殿下お一人だけを妻として大事にしてくださっている。ありがたいことです」
「他の女性には目もくれず、妻一人だけ。なかなかできることではございません」
「ですから、もしも殿下がマユリアを後宮にと望まれることがあれば、ぜひともこころよく認めてさしあげていただきたいのです」
「マユリアは神、ただの人ではない。だから、もしも妃殿下とお並びになったとしても、それは決して妃殿下の傷にはなることはございません、むしろ誉となられるでしょう」
そしてマユリアが「婚姻の儀」をお受けになられた後は、こう言われるようになった。
「これで皇后陛下は女神と並び称されることになるのです、おめでとうございます」
「これまで人の中で神と等しいお方は国王陛下だけでした、ですが、女神が王家の一員になられることで、皇后陛下は女神と同じ高みにお登りになるのです」
父と伯父にそう言われてしまっては、
「ありがとう」
と言うしかなかった。
だが、心の中にはなんとも言えない固まりのようなものがずっと留まっているのを感じる。
自分が皇太子妃に選ばれたのは、前国王の正妃、皇太后の推薦だ。皇太后は皇后の母方の大伯母だった。
「年の頃も皇太子とちょうど良い。大人しく、無用な争いを起こすようなこともなさそうです。きっと良い后になってくれるでしょう」
つまり、夫にも姑である自分にも従順である、そう判断されてのことだ。そして当時、皇太子にふさわしい家柄でその年頃の令嬢は他にいなかった。単に「ちょうどいい」から選ばれただけのこと、自分で自分のことはよく分かっている。
そんな自分に「女神と等しい」とか「神と並び立つことができる」などと言われても、戸惑うか、むしろ不愉快になるしかできない。
「この度はマユリアは国王陛下の后になられるのではありません。女神マユリアとして王家の一員になられる、つまり王家が神と並び立つための儀式です」
そうは言われているが、夫はその後、王家の一員になった女神が必ず自分の后になると信じている。
皇后の胸には言葉にはできない何かが留まり続けている。
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