さようなら空色

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 日曜日。午後一時。大地が暮らす街でもっとも規模の大きな駅。  待ち合わせ場所に指定した、踊り子のブロンズ像が行く手に見えた。像の陰に身を隠すように佇んでいる女性がいる。大地は足を少し速めた。  その人物の顔が見える角度まで移動すると、やはり時田遥だった。シャツの上にジャケットを重ね、チノパンツを穿き、手ぶらだ。 「大地くん、こんにちは」  大地が声をかけるよりも先に到着に気がつき、声をかけてきた。声の調子も、柔らかな表情も、普段となに一つ変わらない。 「すみません、時間ぎりぎりになってしまって。長く待たせてしまいましたか?」 「待ったのは待ったけど、まだ約束の時間にはなっていないから。それじゃあ、行こうか」  二人は駅舎から遠ざかる。目的地は遥が暮らすアパートだ。 『家で大地くんを待つ形にすると、緊張しちゃって嫌だから。だから申し訳ないけど、駅前で待ち合わせるようにしない? 踊り子のブロンズ像、分かるかな。駅前にある待ち合わせスポット。そこで落ち合いましょう』  待ち合わせ場所に駅前を指定した理由について、遥は昨晩メールでそう説明していた。常に泰然としている印象がある彼女が、緊張という言葉を使ったのには驚いたが、申し出を断る理由はなかった。  言葉を交わしながらの移動になる。選ばれるのは当たり障りのない話題ばかりだ。大地は受け答えの合間に、時に堂々と、時に恐る恐る遥の顔をうかがったが、緊張を含むネガティブな感情に心を支配されているようには見えない。リラックスした横顔は、さながら気心の知れた友人といっしょに過ごしているかのようだ。  強い人だな、と思う。重たい荷物を背負っていることといい、感情を表出させないことといい。  遥の口から明かされる真実は、彼女の強さの秘密を語るのだろうか。それとも、隠されていた弱さを暴露するのだろうか。  景色はやがて、うら寂しい雰囲気の住宅街へと移り変わった。信号待ちのさいに「もうすぐ着くから」と遥は告げた。それを境に会話が途絶えた。 「ここが私のアパート」  遥が指し示したのは、ありふれた五階建てのアパート。集合ポストを確認する慣れた手つきを見て、大地の緊張はピークに達した。 「大地くん、表情が硬いね」  指摘されたのは、乗り込んだエレベーターが動き出してすぐのこと。 「怖くないよ。全然怖くない。私の部屋で、私が語る話を聞くだけ。プレッシャーを感じる要素なんてどこにもないでしょ」 「すみません、心配をかけて。そういう目的ではないとは分かっているんですけど、その……」 「そういう目的って?」 「女性の部屋に上がるのは初めてなので、緊張してしまって。すみません」 「ああ、そうだったの。ということは、彼女さんはいつも家に呼んでいるんだね。大地くんが行くんじゃなくて」 「いや、そういうことでは……」  緊張をほぐすために冗談を言ってくれているのは分かったが、上手く笑えずに頬をかく。エレベーターがちょうど目的の階に到着し、救われた思いがした。  女性とは縁がない僕とは違って、時田さんには当然、異性との交際経験があるだろう。誰にでも好かれる性格の持ち主だから、声は大きなハンディにはならないはずだ。  その方向に思考が流れて、今さらながらに、遥について知っている情報があまりにも少なすぎることに気がつく。  それなのに大地は、重大な過去を突きつけられようとしている。  全てを聞き終えたとき、心にどんな変化があるのだろう。  ソラは偶像としての体裁を保っているのだろうか。  遥との関係はどうなってしまうのだろう。  遥の部屋は三階の突き当りにあった。玄関ドアが開錠され、遥、大地の順番で中に入る。  短い廊下の先にある一室に足を踏み入れて、大地は絶句した。八畳ほどのフローリング張りの洋間だったのだが、あまりにも片づきすぎていて生活感がなく、殺風景なのだ。壁際に置かれた最低限の家具。中央に敷かれたアイボリーのカーペット、その上のローテーブルと座布団。ベランダに通じる掃き出し窓にかかったベージュのカーテン。それらを除けば、物らしい物は置かれていない。 「どうぞ座って。お茶を淹れてくるから。ペットボトルのものをグラスに移すだけだけど」  遥はそう告げてキッチンへと移動する。大地は戸惑う気持ちを手早くまとめ、言われたとおりにする。  大事な客が訪れるということで、徹底して整理整頓と清掃をしたのか。それとも、もともとこのような環境で生活しているのか。どちらにせよ、あるいはそれら以外の理由からにせよ、異様だという感想は動かせない。大地は不躾だと思いながらも、彼女が戻ってくるまでのあいだずっと、室内を眺め回してしまった。 「どうぞ」  緑茶が入ったグラス二つがテーブルに置かれた。遥は大地の対面に腰を下ろし、さっそく一口飲む。グラスを手にしたまま彼と目を合わせる。 「昔は、喉にいい飲み物を選んで飲むように心がけていたんだけど、今ではすっかり無頓着になってね。お茶は喉にいいと言われているけど、昔からずっと日常的に飲んでいた飲み物だから飲んでいるだけであって、喉のためという意識は全然なくて」  グラスがテーブルに置かれる音は、静かな部屋の中で音量以上の存在感を放った。窓越しの空は健康的な明るさに包まれている。遥は両手の十指を絡め合って天板に肘をつく。 「全てを語り終えるまでに、そう長くはかからないと思う。波乱万丈の物語ではなくて、ただ一回の大きな挫折があっただけだから。さて、どこから話そうかな。整理はしてきたつもりなんだけど、いざ話すとなると……」  しばしの沈黙を経て、彼女は語り出した。  きれいな声をしているねって、子供のころから周りの人間によく言われていたの。幼稚園とか小学校とかで音楽の授業があったときも、歌の上手さよりも声のきれいさを褒められてた。『時田さんは声がきれいで、いつも一生懸命に歌うから目立ちますね』って。  美声だという自覚はなかったんだけど、子供って褒められるといい気になるものでしょ。両親にせがんで、休みの日になるたびにカラオケへ行くようになってね。アニメを観るのは、むちゃくちゃ熱心ではなかったけど好きだったから、アニソンなんかをよく歌って。将来はなにになりたいかって訊かれたときは声優って答えていた。  夢を叶えるためのルートはいろいろあるけど、私が歩こうと決めた道は、専門学校に通うこと。  高校を卒業してから三年間、そこでみっちりと訓練を積むことになったんだけど、そう甘くはなかった。井の中の蛙大海を知らずというやつね。周りの子たちは、当たり前なんだけどみんな声がきれいで、しかも技術的にもすでにかなりの水準に達していた。自分が一番下手くそだって、何日か通ってみただけで分かったし、講師にも「今のままでは声の仕事で食べていけるようになるのは難しい」的なことは言われた。「そうとうがんばらないと厳しいよ」って。  問題は、その「そうとう」というのは、具体的にどの程度なのかということ。睡眠時間を削って、命を削って、競争相手の誰よりも努力すれば、かろうじて指先が届くレベルの遠さ? それとも、お金を払って学びに来ている人間が相手だから、ばっさり斬り捨てるような直接的な表現はしなかっただけで、どう足掻いても実現は絶望的?  私には判断がつかなかったけど、人生は一度きりなんだし、叶えたいと願った夢なんだから、とことんやってやろうと思った。費やせる時間は全て実力を磨くために使って、文字通り死に物狂いの努力をした。  だけど、それが裏目に出てしまった。  足りなさすぎる実力をつけるには、とにかく練習を重ねるしかない、と当時の私は考えていたの。精神論根性論の類を信奉していたわけじゃないけど、実力差を埋めるにはそれくらいしか方法を思いつかなかった。でも、「死ぬほどがんばる」と「無理をする」は、似ているようで全然違う。練習をしすぎたせいで、喉を酷使したせいで、こんな悪声が出来上がってしまった。透明感も、伸びも張りも、永遠に失われてしまって、死ぬまでこの醜い声と付き合わなければいけなくなった。  講師には怒られるんじゃなくて、呆れられたね。完全に愛想を尽かされた。こうなってしまった以上は、がんばってもどうしようもないから、夢を諦めるしかない。専門学校をやめて、コンプレックスを抱えながらの第二の人生が始まったの。それがちょうど二十歳のとき。  生まれつきこんな声だったなら、二十歳になるころには割り切りをつけられたかもしれない。でも、二十歳になってからいきなり突きつけられて、夢を諦めなければいけないとなると、簡単にはいかないよね。心の強さ云々じゃなくて、誰であっても無理だと思う。  精神的なショックが凄くて、一日中部屋にひきこもって。親相手にすら会話ができなくて、最低限必要な会話だけを筆談で済ませていた。親には心配を、それ以上に迷惑をかけてしまった。なんとか普通の生活に戻りたいと思ってはいたんだけど、どうしようもなくて。  だって、声が普通じゃないんだから。私にとっての「普通の自分」は、みんなに褒められるようなきれいな声をした、夢に向かって邁進する私だから。  どう足掻いても濁ったままの声は、疲れきった老婆のそれみたいで、それが挫折の象徴みたいに思えて、声を出すのが怖かった。変わってしまった自分をいつまで経っても受け入れられなかった。  リハビリには物凄く時間がかかった。まずは自室から出て、家族に顔を見せるところから。それから、単語だけとか、短い言葉だとしても構わないから、自分の考えや気持ちを親にちゃんと伝える。それができるようになったら、家から出る。  ひきこもっているうちにそうなったのか、挫折が直接のきっかけだったのかは分からないけど、対人恐怖症を発症してしまって。一人では無理だから、最初は親に付き添ってもらって、人通りが少ない静かな場所をただ歩いた。それができるようになったら、コンビニとか、近所の店にちょっとした買い物に行く。一人でも買いに行けるようになったら、人が大勢いる場所にも足を運んでみる。そうやって、段階を踏んで病気を克服していった。  対人恐怖症は比較的スムーズに克服できたと思うけど、人前で声を出せるようになるまでは大変だった。大地くんと食事をしたときにも話したけど、レストランで口頭で注文することすらできなかったからね。相手はなんとも思わない。変な声だと思ったとしても、顔には出さないし、からかってはこない。頭ではそう分かっていても、声を出すのは難しくて。スーパーなんかで会計のさいに、レジ袋を一枚くださいとか、結構ですとか、意思表示をするでしょ。あのレベルですらも無理だったからね。通行人から道を尋ねられて、普通に教えることも、「分からないです、ごめんなさい」と答えて逃げることもできなくて、パニックに陥ったこともあった。そういう不意の出来事に襲われると、人前に出るのがまた怖くなって、しばらくひきこもった。  まさに一進一退。人並みに働き始めるまでには、かなり時間がかかったよ。七・八年もかかったからね。心の病を治療するにあたって、親のサポートが手厚かったから、甘えていた部分は正直あったと思う。自覚はしていなかったけど、悲劇のヒロインとしての自分に酔っていた。とにかく、長くてしんどいリハビリ期間だった。  美術館で働き始めた経緯と、働き甲斐に関してはもう話したから、省略するね。まだ話していなかった、自分の声を録音した鉱石についてどう思っているのか、それについて最後に話させて。  あの六つの鉱石は、全て専門学校時代に録音したものなの。学校では毎年、ささやかな文化祭が開催されるんだけど、そのとき用に録音したのがあの六つ。  セリフ、下手くそだったでしょう? 大地くんは『そんなことない』って顔をしてるけど、みんなの作品と聴き比べたら、一歩も二歩も劣っていると思う。認めたくないけど、拙かった。大地くんはあのころの私の声が好みだから、そうは感じないだけで。  なにを隠そう、『アヴェ・マリア』を録音することにしたのは、能力がみんなよりも劣っていると自覚していたからこそ、だからね。みんなは短めのセリフを吹き込んでいたんだけど、ルールとしてはなんでもありだったから、私は歌を歌った。流行りの曲を歌っても注目はされないから、わざとクラシック曲を選んで。  セリフとは違って、歌のクオリティはそれなりだったんじゃない? むちゃくちゃ上手いわけではないけど、聴ける歌声ではあったと思う。かなり練習したからね。『アヴェ・マリア』一曲に絞って、吹き込む部分だけを何百回、下手したら何千回も歌って。  今になって振り返ると、たかが文化祭の作品なんかに必死になってもしょうがないよって、冷ややかな思いが湧かないでもないけど、当時はとにかく必死だった。みんなよりも優れたところを一つでもいいから見つけたくて、泥にまみれて試行錯誤してた。あの時代に生み出した作品の中では、一番の出来だったんじゃないかな。その自己評価は、当時の時点であったんだけど。  でもまさか、十年以上経って、罪を犯してまで自分のものにしようとする人が現れるとは、夢にも思わなかった。というかそもそも、小さいけど立派な美術館に自分の作品が展示されること自体、予想もしていなかった。たった二年で夢破れたような人間の作品が、不特定多数の人に聴いてもらえる場所に展示されるなんて。  この美術館で働き始めたときから、もしかしたら私の作品があるかもしれない、とは思っていたの。音の鉱石エリアに配属されたのは偶然で、過去の自分の声が聴きたかったわけじゃない。むしろ逆。一番輝いていたころの声を聴いたところで、今現在の惨めさが強調されるだけでしょう。それがきっかけでまた暗黒時代に逆戻りしたらどうしようっていう、懸念と恐怖もあって。  でも、なんといっても仕事だからね。鉱石にどんな音声が閉じ込められているのかを、自分の耳で聴いて確認しなければいけない。確認した結果は報告しなきゃいけないから、誤魔化して逃げることもできない。私としては、私の声に再会を果たさないように祈りながら作業を進めるしかなかったわけだけど、大地くんも承知のとおり、あった。しかも、六つ全てが。  聴いた瞬間は、正直鳥肌が立った。美術館の所蔵品じゃなかったら、発作的に床に叩きつけていたかもしれない。  でも、我慢して聴いているうちに、あのころの私は一生懸命だったなって思ったの。一生懸命だから感動したとか、一生懸命なのは恥ずかしいとか、そういうことじゃなくて、ただただ、ああ一生懸命だなって。聴いた瞬間の激しい拒絶感が嘘みたいに、穏やかな海みたいな心で過去の自分と向き合えた。消極的ではあるけど肯定的に受け入れられた。  ポジティブな受け止め方ができたのは、なぜ? 自分でも疑問に思ったから、その答えを求めて、機会を得るたびに過去の自分の声を聴き返した。そうするかたわら、純粋に仕事として、他の声にも耳を傾けた。  そうする中で気がついたのは、シンプルに言い表すなら、声っていいものだな、ということ。多少演技が下手でも、声の感じが好みじゃなくても、どの声もそれぞれのよさがあって。なぜそう感じるのかを突き詰めていくと、同じ言葉ばかり使って申し訳ないけど、一生懸命だから、ということになるのかな。ある一つのセリフを、思想を、メッセージを、その人なりの方法で、その人が持てる力の限りを尽くして表現しようとしている。それがいいなって。いいものだなって。  そう感じるのは、私が表現者の端くれだったからなんだろうね。実力は全然足りなかったし、たったの二年で挫折しちゃったけど、表現者として活動していたのは厳然たる事実だから。私の醜い声と比べてこの人たちの声は、みたいな気持ちには不思議とならなかった。  ……いや、その言い方は正しくないな。羨望とか、嫉妬とか、そういう黒い感情が湧くのは確かなんだけど、それはそれとして、「ああ、この声はいいな」って思えた。醜い感情に邪魔されることなく、素晴らしいものは素晴らしいって素直に認められた。  そして、何度も聴くうちに、声優の卵としての私の演技もそう悪いものではないな、と思えるようになったの。  確かに私は、そうとう努力しないと声優として食べていけないよって、講師から厳しい言葉をかけられるレベルの表現者に過ぎなかった。下手くそだっていう自覚もちゃんとあった。  だけどね、私は努力したの。このままだと食べてくのは無理ですよ、じゃあ諦めます、ではなくて、死に物狂いで努力を重ねたの。自分が一番下手くそなんだと思いながら練習を重ねて、カタツムリよりも遅い歩みだったかもしれないけど、日々成長してきた。  当時は自分を磨くことに精いっぱいで、自分の実力を客観的に見ることなんてできなくて、十年の時を経てようやく気がつけた。なんだ、私、自分で思っているほど悪くないじゃんって。  夢が破れたからといって、積み重ねてきたものに価値がないわけじゃない。輝きがないわけじゃない。そんな当たり前のことに、三十も間近になってようやく気がついたわけ。  人と接するのが怖くなくなったのは、それを境にかな。今はこんな声だけど、二十歳から二十代後半までずっと仕事もせずにひきこもっていたけど、輝いていた時代もあったんだぞ。なかなか悪くない作品をこの世界に産み落としたんだぞ。誰かに向かって言うとか、心の中で呟くとかではなかったけど、そんな思いが胸の底にずっとあって、私に力をくれた。そのおかげで、あらゆることに前向きになれた。自分に自信が持てた。  スムーズにコミュニケーションがとれるようになると、その人がなにを考えているのかや、なにを感じているのかが分かるようになった。本当にこの人たちは、美しい声が好きなんだな。美しい声に快さを感じているんだな。そうひしひしと伝わってきて、その道のプロを目指していた人間としては、それが素直に嬉しくて。今こうして会話をしている私と同一人物だとは露知らずに、昔の私の声を聴いて「いいな」って思ってくれたことがあるのかな、なんて考えると、それだけで笑みがこぼれた。実際には、プロの声優の鉱石ばかりが人気を集めて、名前も分からない人間の声を聴く人はまずいないんだけどね。  そんな中、大地くん。偶然とはいえ、あなたが私の鉱石を手にとって、私の声を聴いてくれた。それだけではなくて、高く評価してくれた。  私が配っていたチラシがきっかけで美術館に来てくれたといういきさつもあって、ほんの少し運命的なものを感じていたの。専門学生時代にも、大地くんみたいに私の声を好きって言ってくれる人がいたら、未来もまた違っていたものになっていたのかな。がんばりすぎる私に「がんばらなくてもいいよ」って言ってくれていたのかな。そんなことを頭の片隅で考えながら、あなたとの交流を重ねてきた。  正体を明かしたい気持ちがなかったと言えば嘘になる。だけど今はこんな声だから、失望されるのは分かりきっていたから、実行に移さずにはいられないくらいに膨らむことはなかった。ずっと、ずっと、ささやかな欲求のままだと思っていた。  その気持ちが初めて揺らいだのは、『アヴェ・マリア』を歌っているのは307番だって、大地くんが断言した瞬間。  あのときの私の動揺は凄かった。顔や声には出ないようにがんばったつもりだけど、大地くんは薄々感づいていたんじゃない? ……ああ、そうなんだ。ちょっと意外かな。動揺していたのは大地くんも同じで、だから他人を気にするだけの心のゆとりがなかった、ということなのかもしれないね。  とにかくあの一件で、正体を明かす覚悟が固まった。  とはいえ、完全にではなかったから、最終的な判断はトークショーが終わってから下そうと思ったの。そうしたら、大地くんは鉱石を盗むという行動に出て、私が大地くんを捕まえて、大地くんがソラへの思いを熱烈に語って。思い描いていたのとは違う形になったけど、過去を打ち明ける機会を作ることができて、今こうして思い出話をさせてもらっている。  でも、大地くんが盗もうとしたのが『アヴェ・マリア』の鉱石で、嬉しかったな。だってあれは、この美術館に展示されている私の作品の中で、一番の自信作だから。  あの鉱石を未分類ボックスに置いておいたのは、実はわざとなの。セリフを言うのと歌うのとでは、声の出し方が違っていて、ちょっと聴いただけでは同一人物だって分かりにくいでしょ? でも、お客さんの中には鋭い方もいるから、いつか307と同一人物だと指摘する人が現れるかもしれない。そんな遊び心から、あえて未分類扱いにしたの。まさか、本当に現れるとは夢にも思っていなかったけどね。 『アヴェ・マリア』の鉱石がなぜ好きなのかっていうと、満足がいく仕上がりだっていうのももちろんあるけど、がむしゃらにもがいていた時代の私を代表する一作だから。実力が足りない、だけどみんなに注目されたくて、セリフじゃなくて歌を録音する。特に思い入れがあるわけでもない『アヴェ・マリア』を猛練習して歌う。そういう青くさくて泥くさい、だけど微笑ましい努力が、十年経って振り返ってみると眩しくて、眩しくて。  あのころの声は戻ってこないけど、そういう姿勢で日々を生きていくことならできるでしょう。だから、今日という日を区切りにそうしたいなって、私は思ってる。
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