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* * *
雄太の友人が、飲み会に誘ってくれた。
雄太を励ますための会。
病気が分かって以降、雄太は酒を飲むのをやめていた。
「ジュース、飲んでていいから」
そう言って、誘ってくれたのは嬉しかった。
友人とのバカ話は、雄太の心を解きほぐしてくれた。
帰りは深夜になっていた。
最終バスを逃した雄太は、例によって徒歩で自宅へ向かった。
鈴木の家の前で足を止める。
――病気のことで、噛まれたことなど、忘れてたな。
あの事件は遠い過去のように思えた。
ジャラっと、鎖が擦れる音がした。
目を凝らすと、門の向こうにペロが立っている。
――結局、室外で飼うのは変わってないのか。あれっ?
ペロは背筋を伸ばして、お座りの姿勢をしている。
飼い主がいるときと同じように、穏やかな表情に見えた。
――なぜ、吠えない?
狂ったように吠えかかり、噛みついてきた猛犬が、大人しく立っていた。
――ペロに噛まれたからこそ、病気が分かったんだよな。まさか!
犬の嗅覚は、人間の一万倍もあると聞く。
麻薬捜査に加わる犬もいる。あと……病気を匂いで嗅ぎ分ける犬もいると、テレビ番組で見た気がした。
――お前、もしかして、俺が病気だって分かっていたのか?
雄太は記憶を辿った。
吠え始めたのは、それ程、昔ではない。
お酒が飲めるようになった以降なので、ここ半年といったところだ。
最初は酒の匂いが嫌いなのかと思っていたが、そうではなかったのかもしれない。
雄太は、足音を殺して門の前まで近付いた。
ペロは舌を出して、雄太を見上げている。
雄太は、恐る恐る、鉄格子の隙間に手を入れて、ペロの頭を撫でた。
柔らかな毛並みは、とても心地がよかった
ペロは「くーん」と喉を鳴らして、喜んだように尻尾をパタパタと振った。
――でも、治療はこれから。今はまだ、病気の真っただ中だぞ。
直ったなら匂いが変わるので、吠えなくなるのも分かる。
しかし、本格的な治療はこれからだ。
犬が「病気が分かって治療に入ったので、吠えるのをやめます」などと判断できるはずもない。
そもそも、雄太が医者に行ったことなど、知るはずもないのだから。
だとすると、この変化の理由は何だろう。
あまりのペロの変化に、雄太は戸惑った。
撫でていた頭から手を離すと、ペロは背筋をピンと張って、空中に向かって「ワン」と一声吠えた。
雄太は、その姿に威厳のようなものを感じた。
――この姿、どこかで見た気がする……そうだ、神社だ!
雄太の脳裏に、古びた神社の狛犬の石造が思い浮かんだ。
その下で拾われたペロ。
――まさか、お前、狛犬の生まれ変わりなのか!?
それはないよな……。
そう思いつつ、雄太は昔「狛犬に頭を噛んでもらうと賢くなる」とか、「痛いところがやわらぐ」といった言い伝えを聞いたことを思い出した。
「俺が名前を付けてやる。名前は『コマ』だ。病気を見つけたら、また教えてくれよな、コマ!」
雄太は勝手に別名を付けて、語り掛けた。
そして、内心で罵倒したことを謝罪した。
ちょこんと座る犬を見て「犬も可愛いかも」と思ってしまう。
「俺が猫派なのは変わらないからな。でも、ありがとう。おかげで命拾いしたよ」
雄太は、改めてペロの頭を撫でた。
「明日、犬用の美味しいおやつを買ってきてやる。ご主人には内緒だぞ」
意味が分かったのか、ペロはクルクルと回ってから、空に向かって大きく吠えた。
「しっ、静かに! 近所迷惑だろ」
雄太は慌てて、唇に人差し指を当てた。
(了)
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