背中があれば

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背中があれば

「よし、今からふたりきりで、僕たちだけの結婚式をやろうか?」 「それいいね!」 不安な気持ちが顔に出ていたのか、私を元気づけるように彼が言った。夫婦の初仕事だ。今日買ったばかりの揃いの指輪で。 真新しい輝き、太い指、差し出された温もり。 私は自分の手を重ねて握りしめた。 明後日には帰国予定の私。そのあとの半年は、違う国で別々になる。同居に向けての準備期間を乗り切るための勇気を今、フルチャージしよう。 彼は私を連れて寝室に行くと、窓辺の棚からシルバーカバーの本を取り出した。 「僕はこの本に()けて誓う。キミは何に?」 真剣そうな顔で私から離れていった手は、宗教上大切にしている本の上へ置かれた。 根っからの日本人である私が、一緒になってその本に誓うのは違う気がする。 「あなたの背中に繋けてもいい? 一番大事なものって言ったら、それしかない」 「やっぱりミントは変わってる。いいよ、それで」 真美子と発音できない彼は、マミント、ミントと呼ぶ。 彼の背中に恋した私だった。 今でこそ頼りがいのある大きな背中だと思えるが、日本で最初、英語通訳者として出会ったとき窓の外を見ていた彼が、ひどく小さく、守ってあげたい存在に感じた。重荷を背負っているようで、つい世話を焼いてしまった。 そのお礼にとデートに誘われて。 彼は自分がないくらいに優しすぎで……。私はまるで押しかけ女房のようにバンクーバーへ来ている。 プロポーズされて、さっそく買いに行った結婚指輪は、婚約指輪をすっ飛ばした。お互い突っ走るようで危なっかしいと誰に言われようと構わない。早くふたりで一緒に暮せるようにしたい。望みはそれだけだった。 私はありったけの想いを込めて大好きな背中にくっついて、後ろから自分の左手を彼の上へ重ねて置いた。 「夫婦の初仕事ね!」 「何それ?」 「お互いに誓うこと」 自分の名前を言って、一生このひとと一緒にいると宣誓するだけで、ふたりきりのドラマは完成。 言葉の重さが部屋の空気を深閑させて、それが祝福。 そのあとは一糸まとわず、お互い指輪だけをつけていて、それは彼が言うところの新しく生まれ落ちた姿(リボーン)だった。 フニッシュしたときの雄叫びが英語でなかった。普段は完璧なカナダ英語を話すひとなのに、まるで魂が生まれた国を呼ぶかのようだ。リボーンしたつもりでもお国が出ている。 彼はヨーロッパ系の移民だ。難民として来たという過去を詳しく教えてもらったが、押しかけ女房としては、聞いたあとも結婚の意志は変わらない。 私は彼の悲しみも含めて、すべてを愛す。
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