5人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
背中があれば
「よし、今からふたりきりで、僕たちだけの結婚式をやろうか?」
「それいいね!」
不安な気持ちが顔に出ていたのか、私を元気づけるように彼が言った。夫婦の初仕事だ。今日買ったばかりの揃いの指輪で。
真新しい輝き、太い指、差し出された温もり。
私は自分の手を重ねて握りしめた。
明後日には帰国予定の私。そのあとの半年は、違う国で別々になる。同居に向けての準備期間を乗り切るための勇気を今、フルチャージしよう。
彼は私を連れて寝室に行くと、窓辺の棚からシルバーカバーの本を取り出した。
「僕はこの本に繫けて誓う。キミは何に?」
真剣そうな顔で私から離れていった手は、宗教上大切にしている本の上へ置かれた。
根っからの日本人である私が、一緒になってその本に誓うのは違う気がする。
「あなたの背中に繋けてもいい? 一番大事なものって言ったら、それしかない」
「やっぱりミントは変わってる。いいよ、それで」
真美子と発音できない彼は、マミント、ミントと呼ぶ。
彼の背中に恋した私だった。
今でこそ頼りがいのある大きな背中だと思えるが、日本で最初、英語通訳者として出会ったとき窓の外を見ていた彼が、ひどく小さく、守ってあげたい存在に感じた。重荷を背負っているようで、つい世話を焼いてしまった。
そのお礼にとデートに誘われて。
彼は自分がないくらいに優しすぎで……。私はまるで押しかけ女房のようにバンクーバーへ来ている。
プロポーズされて、さっそく買いに行った結婚指輪は、婚約指輪をすっ飛ばした。お互い突っ走るようで危なっかしいと誰に言われようと構わない。早くふたりで一緒に暮せるようにしたい。望みはそれだけだった。
私はありったけの想いを込めて大好きな背中にくっついて、後ろから自分の左手を彼の上へ重ねて置いた。
「夫婦の初仕事ね!」
「何それ?」
「お互いに誓うこと」
自分の名前を言って、一生このひとと一緒にいると宣誓するだけで、ふたりきりのドラマは完成。
言葉の重さが部屋の空気を深閑させて、それが祝福。
そのあとは一糸まとわず、お互い指輪だけをつけていて、それは彼が言うところの新しく生まれ落ちた姿(リボーン)だった。
フニッシュしたときの雄叫びが英語でなかった。普段は完璧なカナダ英語を話すひとなのに、まるで魂が生まれた国を呼ぶかのようだ。リボーンしたつもりでもお国が出ている。
彼はヨーロッパ系の移民だ。難民として来たという過去を詳しく教えてもらったが、押しかけ女房としては、聞いたあとも結婚の意志は変わらない。
私は彼の悲しみも含めて、すべてを愛す。
最初のコメントを投稿しよう!