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不協和音
妻「家族で富士山に登るって言ってたじゃない」
夫「そうだけどさ、それって15年前の話だろ」
妻「この15年になにがあったったのよ」
15年前、夫は息子が産まれた時、つい調子に乗って、登山好きな妻を喜ばせようと家族で富士山に登ろうな、と、調子のいいことを言ってしまったのだ。
それは単なるお調子者の夫のいっときの戯言に過ぎなかったが、妻は忘れてはいなかった。
妻とはそういう生き物なのだ。
どうでもいいと夫が思うことこそ、忘れない。
夫「この15年、いろいろことがあったな」
妻「何よ」
夫「・・・風邪をひいた、深爪もした」
妻「登山に影響なし!」
夫「水虫にもなった」
妻「なしっ!」
夫「えーと、ケータイのキャリアを」
妻が夫の太ももをパシッと叩く。
妻とは、そういう生き物なのだ。
叩けるものは、固い肉でもニンニクでも気にいらない教師でも、なんでも叩く。
妻「孝文の受験も終わって、そのお祝いに登ろうって、その時も言ってだじゃないの。私もそれだけを楽しみにして今日まで生きてきたのよ」
夫「お前にとって富士山ってなんなんだ」
妻「富士山が、じゃなく、家族で富士山に登ることよ」
夫「そしたらさぁ、2、3日だけ俺を家族から外してもっていいかな」
妻が夫の反対の太ももをパシッと叩き、胸ぐらを掴む。
妻とは、そういう生き物なのだ。
ハゲ頭でもカツオでも、そこにあれば、叩く。
妻「もう一度言ってみなさいよ」
夫「く、苦しいです」
妻「富士山に登りたくないから、離婚するって?」
夫「そんな大袈裟な話じゃない。2、3日だけ籍を抜くってだけだよ。ブチだよ、ブチ離婚」
妻「正気で言ってんのあんた。ブチだろうが離婚じゃないの」
夫「あくまでプチ」
妻が夫の頬をピシャリと叩く。
妻とはそういう生き物なのだ。
干した布団でも・・(割愛)。
夫「それにさ、富士山つったって、所詮土が盛り上がっただけじゃん。それをわざわざ登るってさ」
妻「もう一回言ってみろ!ただ土が盛り上がっただけのもの?」
夫「実際そうじゃないか。マグマによって大地が隆起・・おおお!」
妻が夫わ抱え上げた瞬間、一本背負いし、夫は宙をゆっくりと舞い、数メートル投げとはされた。そして、したたかスネをテーブルの角にぶつけた。
妻とは、そういう生き物なのだ。
投げるものがそこにあれば投げる。それがゴミでもフリスビーでも、夫でも。
夫「いててて。ちょっとぉ、あんまりだよ。たかだか富士山登らないって言っただけなのに。おー痛てぇ。これで完全に行けなくなりました、と」
夫の言葉を聞き、妻がキッチンに向かう。帰って来た妻の手には、出刃包丁がギラリと光っていた。
妻とは、そういう生き物なのだ。
キッチンに立てば、包丁を握る。
夫「お、おい。夕飯の準備には早すぎるんじゃないか」
妻「包丁ってね、人にも使えるって、知ってた?」
妻が夫に歩み寄ろうとした時、玄関のドアが開き、学校から帰って来た息子の孝文が現れた。
2人の状況に、孝文は目を見開く。
孝文「な、何やってんだよ!」
夫「孝文、助けてくれ。お父さん、現在、命の危機にあります」
妻「大袈裟なんだから、ギリ殺さないわよ」
夫「おんなじだ!」
孝文「母さん、何があったんだよ。そんなものしまえよ」
そう言われ、妻は仕方なく出刃包丁をテーブルに置いた。
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