すみれノート

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    *  息を切らせて病院の廊下を進む。受付で聞いた部屋はここで間違いないだろう。汗で湿った上着を脱いだ。  別の病室からピッ、ピッ、という機会の音が聞こえてきて、心が不安で潰されそうになる。  震える手でドアをノックし、そっと開けた先には――。 「えっ」  うちの学校の不良のトップ、三上笑太がベッドに座っていた。 「えっ」  予想外のことに僕も声を上げる。  三上笑太は突然あらわれた僕を見て固まっているし、僕も同じく混乱して動きを止めた。  目が合うことしばし、硬直したままの三上笑太の顔が、一気に赤くなった。 (んんん!?)    ――三上笑太。  通称、血祭りのスマイルくん。  売られた喧嘩は必ず買い、売られてなくても買いに行く。殴り合いの末に相手も自分も血まみれになりながらも、不気味で不敵な笑顔を見せることからついたあだ名だ。恐ろしすぎて同じ学年だけど関わったことは一度もない。 「どうしてスマイルくんがここに!?」  僕はすみれさんの部屋を看護師さんに訊いたはずだけど、間違ってしまったのだろうか。 「交通事故にあった高校生の病室を尋ねたんだけど」 「……それ、俺」  ギギ、と音がしそうなぎこちない動きでスマイルくんが手を上げる。その腕には痛々しい包帯が巻かれている。 「それ、今朝?」 「今朝」 「あそこの、横断歩道?」  窓の外を指さす。 「あそこの、横断歩道。突っ込んできた車を避けたらつまずいて、こけた」  怪我はその時にしたと言う。ざっと体のあちこちを見てみるけど、酷く大きな怪我をしている感じはなさそうだ。受け答えもしているし、意識ははっきりしている。 「そ……そっかぁー、なんだぁー」  ほっと息を吐く。なんだかいまいちよくわからないけど、交通事故で人が死ななかったのなら良かった。野次馬の人の語り口があまりに辛そうだったから、早合点して死亡事故か重傷だと思ってしまったのだ。 「無事で良かったね、スマイルくん」  いつもはツンツンに立てて周囲の人を威嚇しているスマイルくんの髪も、事故の衝撃でなのか下りている。見た目の雰囲気がいつもと違うのもあって、気が抜けて怖いと思う感情も湧かずに話しかけられた。  スマイルくんはこわばった顔のまま、返事をする。 「お、おお……」  その時、安堵で力が抜けた僕の手からノートがすり抜けた。ばさり、と音を立てて床に落ちる。 「っあー!!!」  落ちたノートを指さして、スマイルくんが大声を上げた。 「お前! それ! ノート!」 「えっ、これ?」 「俺の! 何でお前が!」  病院だというのにスマイルくんは大絶叫だ。 (スマイルくんの、って、名前が違うじゃ――)  ノートを拾い上げて名前のところをもう一度よく見てみる。「返せ!」という声は無視した。  SU、MI……。 (違う、Uがない)  ――SMILE。 「スマイル!?」  僕も叫んだ。 「これ、君の!?」  スマイルくんのベッド近くまで行って顔を近づけて問い詰める。スマイルくんは「近いぃ~」とヤンキーにあるまじき弱々しい声を出した。 「……違う、俺のじゃない」 「俺のってさっき言ったじゃん」  じと、とスマイルくんが睨んできた。 「中、読んだ?」  つい、目を逸らす。 「読ん……だ、ない」 「どっちだよ!」  声を上げてからスマイルくんも目を逸らす。少しの沈黙を挟んでから、「……そうだよ、俺のだよ」と文句を言うような口調で小さく言った。 「今日、犬も連れてた?」 「……連れてったよ。ウチのシロ」  どうして連れて行ったのか、までを聞いたら意地悪だろうか。顔を俯けるスマイルくんを見つめる。――と、そこで急に思い出した。 「あっ! ていうかそうだよ、シロ!」  すっかり忘れていた。  霊になって僕のもとに出て来たということは、シロのほうは無事じゃなかったんじゃ――。 「シロならここで寝てるけど。気絶してたから手当てして特別に入れてもらった」  スマイルくんのベッドのすぐ横で、シロは実に健やかな寝息をすぅすぅと立てていた。  僕の足元から白いふわふわが「きゃん!」と鳴きながら飛び出して、眠っている体に飛び込んだ。  つまり。 「生霊かよ!」 「うわなに」  ビクっとスマイルくんが肩を跳ねさせる。  すみれさんはスマイルくんだったし、誰も死んでないし重症でもなかった。シロも心残りを果たしに出て来たわけではないようだ。 「みんな無事じゃん、なんだよもー」  へなへなとしゃがみこんだ僕の上から、「悪かったな」とぼそっと呟く声が降って来た。 「んー?」  ずっと避けていたヤンキーが、僕の一挙手一投足に反応して驚いたり謝ったりしているのがなんだかおかしい。 「だから、迷惑かけて悪かったって」 「別に、いいよ」  しゃがんだ場所からはスマイルくんの足の包帯も見えた。無事は無事でも、怪我はやっぱりしている。 「それと、ノートの持ち主が俺で悪かったな。……どうせ可愛い女子とか期待したんだろ。なぁ、木崎くん」  がっかりさせただろ、と続く言葉に僕は立ち上がってスマイルくんの手を掴んだ。 「全然問題ないけど!? ノートにあった言葉すっごいときめいたし!」  かたわらにあった椅子が音を立てて倒れる。僕の勢いに、あのスマイルくんが気圧されて吠えた。 「なんでキレ気味なんだよ!」 「なんかスマイルくんの落ち込んでる声聞くの嫌で! ……それと、相手がスマイルくんでも別に嫌じゃないから。ていうかほんと、嬉しかったから。それ力いっぱい伝えたくなったらキレ気味になっただけ」 「やっぱ読んだんじゃん……」  ぐっと掴んだ手を引くとスマイルくんの顔がゆでだこのようになった。  怖いもの知らずの不良のトップ。血祭りのスマイルくん。  なんだ、すごく可愛いじゃないか。
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