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木崎怜、十七歳。動物は好きだけど、これまでペットを飼ったことは一度もない。
たとえば僕が犬を飼っていて、その犬が死んだ後も僕を慕ってついてきた、というのならわかる。
とても仲の良い友達で家族で、なにがあってもずっと一緒にいようね、と約束をしたとか、僕が飼い犬の死を受け入れられずに幻を見ている――とか。
そういうことならわかる。
だけど残念なことに、僕はこの犬に見覚えがまるでないのだ。
「だからさ、悪いけど離れてくれないかな」
信号はもう青になっている。今日は遅刻してしまったのでできれば急ぎたいのだけど、足に犬がくっついていたのでは走ることができない。
遅刻は明らかに決定だから慌ててもしょうがないのだけど、せめて走って息を切らして「急いできたんです!」という体は取り繕っておきたい。
それなのに。
「そんな目で見るなって」
うるうるとした目に見上げられ、僕は諦めのため息を吐いた。
(なんかもう、いいか)
僕の遅刻くらい、誰も気に留めないだろう。
というのも、うちの学校は遅刻どころか無断欠席は当たり前、授業をサボって街に繰り出し喧嘩をする不良もいるような学校だからだ。
特に目立つトップなんて存在もいるので、僕の遅刻は真面目な生徒のちょっとしたうっかりくらいにしかならないはずだ。
実際には僕は別に良い子ちゃんの生徒ではないけれど、周囲が不良だと地味な生徒は相対的に真面目に見えるのだ。
「ホラ、青なんだってば。行くぞ。ぶつかるなよ」
声をかけて歩き出そうとすると、今度はその手に顔を近づけて「かまって」をしてくる。ぐっ、なんだこいつ可愛いな。
なかなかの威力の攻撃を喰らってよろめいた僕を、反対側から横断歩道を渡ってきた人が不審そうな目で見てくるのに気付いた。
(しまった)
この犬がほんとうに霊だとしたら他の人には見えていない可能性が高いわけで、つまり僕はなんにもない空中に話しかけている不審な男子高校生になってしまっているというわけだ。
そもそもの話、どうして僕にだけこの犬が見えているのだろう。これまで心霊現象のたぐいになんて遭ったことがない。霊感なんてゼロだ。
「どうしてお前、僕に姿を見せたんだ?」
周囲に人目がないのを確認してから撫でようとしたら、その手は手応えなく犬の体をすり抜けた。
(そっか、ぶつかる心配とかもいらなかったのか)
「なぁお前――、って、なに?」
呼びかけると犬が軽く首を上げた。顎の下を見ろ、とでも言うような仕草だ。仰せのままにそこを覗き込むと、ふわふわの毛並みの中に赤い首輪を見つけた。
「首輪に名前書いてあるのか。えーっと」
お世辞にも上手とは言えない字で書かれた名前を読む。
『シロ』
この二文字がこいつの名前のようだ。
「そのものズバリすぎない?」
シンプルだからといってそれが悪いとは決して思わないけれど。
そう。名は体を表し、体は名を表わす。
この白いほわほわとした毛が可愛いから、名前は「シロ」でぴったりなのだ。
「お前の飼い主はおじいちゃんなのかな」
昔の人はシロとかクロとかポチとかつけるイメージだ。
「それならそれで、お前はその本来の飼い主さんのところに行ったほうがいいんじゃないかな」
シロは僕の言葉など聞く耳を持たないと言うようにそっぽを向いた。
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