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ようやく横断歩道を渡りきって学校に向かっていると、ひとつ先の横断歩道のあたりが騒がしいことに気が付いた。
その喧騒は不穏な気配をはらんでいる。
救急車両のサイレンの音も遠くに聞こえ、途端に胸が不安でぎゅうと引き絞られた。
(……まさか)
どくどく鳴りはじめた心臓を抑え込み、焦らないように歩く。見えてくるのは破損した信号機。道路に残るブレーキ痕と、それらを見てざわつく人々。
「……あの」
僕はその野次馬たちの一人に声をかけていた。
「なにか、あったんですか」
震える声で問いかけた僕に、野次馬の男性は答えた。
「交通事故だよ。可哀そうに、高校生の子が……」
そこで口をつぐんで顔を伏せる。どくん、と心臓の音が大きくなった。
足元のシロはじっと交通事故のあった場所を見つめて、動かない。
もしかして、と継ごうとした言葉は口が乾いて上手く発せられなかった。
「もしかして、犬、とか」
「ん? ああ。その子が連れていた犬も一緒に……」
(そんな……)
目の前の景色がざあっと暗くなった。
そりゃ犬の幽霊だなとは思ったけど、ついさっき死んだばかりだとは思わなかったから……。
たった今まで命があったのに。ついさっきまで元気な体があっただろうに。
そう考えるとやるせなくて涙が出てくる。
悲しい気持ちで眩暈を起こしそうになっている僕の足が、ぐいと引かれた。シロが僕の制服のズボンを咥えて引っ張っているのだ。
「えっ、なに?」
幽霊で触れもしないはずなのに、ぐいぐいと引っ張る。試しに体に手を伸ばしてみたけど、僕からは触れもしない。シロの意思によってしか、触れることができないようだ。
「なにか、あるのか?」
まるで重要な目的があって、「それ」をするために、僕のところに来たのだとでも言うような――。
引っ張られるままにシロについて行くと、事故があった場所から少し離れた街路樹のそばに、ノートが落ちているのを見つけた。
あたりを見ても鞄の類はない。鞄から飛び出てしまったこのノートだけが見落とされて置き去りにされてしまったのかもしれない。
「もしかしてお前の飼い主の?」
問えばわん、と元気よく返事をする。僕にこれを見つけてどうしろというのだろう。
「家族に届けてほしい、とか?」
すると今度は不満そうに小さくうなる。違うのか。ノートの表面に手を滑らせる。そこに、シロの首輪にあったのと同じ筆跡の文字があった。ローマ字で名前が書いてある。
SU、MI――。
「……すみれ、さん?」
シロは視線だけで訴えてくる。読んでみて、と促す目だ。
人様のノートを開くのには抵抗がある。それでも、シロが死んだ後も霊になってでも成し遂げたいことがこれだというなら、そして僕になにか手伝いができるというのなら、と躊躇いながらもノートをめくった。
『〇月×日。今日も木崎くんに会えた。会えたっていうか、学校までの道が同じだけなんだけど。だから見えたのは後ろ姿だけ。それでも嬉しい。明日も会いたい』
『〇月△日。今日は雨でゆううつ。木崎くんがカサを忘れたら、貸してあげるのに。話しかけるきっかけが欲しい』
『木崎くんが好きな食べ物はなんだろう。一緒にお昼を食べたい。でも、さそったら断られるかも』
『明日こそ木崎くんに話しかけよう。ウチのシロ可愛いから、見せたら喜ぶかな。会話のきっかけになるといいな。木崎くんが動物好きだといいんだけど』
『木崎くんと話をしたい、仲良くなりたい』
「これ……」
シロは僕の様子を確かめるようにじっと見つめてくる。
この子の気持ちを知ってほしい、と言うんだろうか。
こんなの、ほんとうなら僕が読んでいいものじゃない。勝手に人の気持ちを見るなんて、絶対にしちゃいけないことだ。
『仲良くなれたら、勇気を出して告白しよう』
最後に、そう書かれている。「すみれ」さんは、今日僕に告白をするつもりだったんだろうか。仲良くなったら、ということは、もっとずっと先の予定のつもりだったのかもしれないけれど。
「お前は僕に、この子の気持ちを知ってほしかったんだな?」
僕の言葉がわかるように、こくりと頷く。そっか……と思っていると、再びシロがズボンの裾を引っ張り始めた。
「今度はなんだよ! 慌ただしいなお前」
僕がついてくるのを確認すると、シロは裾から口を離して勢いよく駆け出した。急いでいくから付いて来い、ということだろう。僕も心得て走り出した。
この方向は――と考えるより先に白い大きな建物が視界の先に姿を現す。
(病院!)
「もしかして、まだ生きてるのか!?」
シロはもう答えてくれない。とにかく急げ、とシロは弾丸のように道を駆けた。
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