佐藤さん(サトウサン)は唸る。

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佐藤さん(サトウサン)は唸る。

 マツゴは真っ赤な顔で抵抗する。  でもサトウサンにひねり上げられ、動けない。 「癇癪を起こすのはやめた方がいい」  耳元で諭すサトウサンに、マツゴは混乱したままもがく。 「今夜が最後の晩だろう? さっき自分で言ってたじゃないか?」  サトウサンはマツゴの首に腕を回し、瞬時に力を入れた。  ぐいとひねれば、息の根が止まる。  サトウサンの鼻の奥に、つんと強烈な臭いがきた。  アドレナリンと血の鉄分と生臭さが混じった、懐かしい香りだ。  忘れていた記憶がまざまざとよみがえる。    ……刃物が身体に食い込むときの手触り。  体内の骨がぐきりと折れるくぐもった嫌な音。  怒号と叫びが行き交った。  たくさん血が流れた。  放っておいた過去の光景が目の前に溢れ出す。  小学生時代は本を読むことが好きで、生家の禅寺の本堂の片隅で、文庫本を積み上げて読書にふけっていた。忘れてしまったが、教室で何か嫌なことがあって引きこもっていたように思う。中学生になってからは、見よう見まねで寺の手伝いを始め、掃除や法事の準備を手伝うようになり、読経も始めた。  ところが、高校になってから、ささいな親子喧嘩で実家を出てしまった。喧嘩の理由は、やっぱりよく覚えていない。  しばらくの間は同窓生の家を泊まり歩き、幾晩かは野宿して、一か月後、木造モルタルの安アパートを借りて、街のブラジル料理店に働き口を見つけた。  日系ブラジル移民の主人は元ブラジリアン柔術の選手で、料理と共に習っているうちにぐいぐいハマった。  そうなると、力を誇示したくなる。  半グレ連中とつるんで荒事を引き受け、車を運転して、敵対する相手の隠れ家に突入したり、仲間の逃走を助けたりを繰り返した。  やがて、仲間がしでかすことはエスカレートし、本当の反社会勢力と繋がり血生臭い荒事ばかりを手掛けることになり、さすがに嫌気がさして「飛んだ」。  仲間が追ってくることはなかったが、「佐藤」という偽名で暮らし始めた。まともな働き口を見つけようとしなかったわけじゃない。  でも結局、闇バイトのサイトに登録して、汚れ仕事に手を染めるしかなかった。
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