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 婆さんに顎でしゃくられ、薄暗い小屋の中へと足を踏み入れる。  古びた木造の小屋は木々の間に隙間があるおかげで風通しがよく、屋根は意外と高かった。 「ぼぅっとしてないで、さっさとおし!」  婆さんの説明によると、小屋の突き当りの大きな樽に入っているエサをバケツに入れ、それをコップ1杯ぶんずつ犬の目の前の土に流すのだと言う。  僕はバケツを持ち、大きな樽をのぞき込んだ。途端にドブくさいような、獣くさいような悪臭が鼻につき、僕は思わず顔を背けてむせた。涙に、鼻水まで垂れてくる。 「ふぉれ、腐ってないれすよね……?」  鼻声で婆さんに尋ねるも、 「腐ってんのはアンタの根性さ! さっさとやんな!」  と一蹴される。  観念した僕は、息を止めて勢いよくバケツにエサを掬う。  オエッ。  少々粘り気のある茶色い液体は気色悪くて仕方なかった。 「いいかい、段々畑の上のほうから順番にエサをやるんだよ! 走って! サボッたら承知しないよ!」 「わかりました!」  僕は半ばやけくそな気持ちで、片手にバケツ、もう片手にカップを持って段々畑を駆ける。エサをこぼさないように注意しながら。  犬たちの鳴き声が頭にガンガン響いてくる。一番上、奥の犬の前にたどり着いた。  婆さんに言われた通り、コップ一杯のエサを犬の目の前の土に流す。  すると、さっきまでキャンキャン鳴いていたポメラニアンが静かになった。 「す、すごい……」  何の原理でこういうことができているのかわからないが、これで犬の命は保たれているらしい。  僕は張り切って、次から次へと順番に、この奇妙な犬のエサやりを行った。バケツが空になっては小屋へ駆け戻り、また一杯持ってはエサをやり。何度も何度も往復し、最後の一匹までしっかりとやり遂げた。あの悪臭も、気が付いたら何ともなくなっていた。  静かになった段々畑を背に、ずっと作業を見ていた婆さんに報告する。 「あの、エサやり終わりました。バケツとコップは洗って戻したらいいですか?」 「……そうだね。ついでに小屋の掃除もやっとくれ。掃除用具は小屋の左手にある」 「はい。わかりました」  僕は小屋の外の水場でバケツとコップを綺麗にすすぎ、ひっくり返して水を切った。それから小屋へと入る。  犬の畑は手入れが行き届いているように見えたが、小屋の中はよく見ると埃っぽくて不衛生だった。  僕はまず小屋の小窓を開けて換気をし、エサの入った樽にゴミや埃が入らないよう、脇にあった比較的綺麗なビニールを上からかぶせた。小屋の隅にあった脚立を持ち出し、上のほうから埃を払い、順々に掃除をしていく。    夢中で掃除をした甲斐あってか、日が暮れる頃には小屋はピカピカになっていた。  僕は小屋の外の切り株に座ってこちらを見ていた婆さんに、終わったことを伝えに行った。 「あの、掃除終わりました。あと、脚立が少々ぐらついていたので、修理させてもらいました。勝手なことをしてすみません。そしてあの犬のことも……謝って済むことではありませんが、本当に申し訳ありませんでした」 「……」  婆さんは何も言わずにじっと僕を見つめて、ぽつりと言った。 「アンタ、たいした働きもんだね」  出会ってからずっと怒ってばかりだった婆さんの、初めての笑顔。  僕はようやく許しを得たこと、自分の働きが認められたことで、胸がいっぱいになった。 「あの、お婆さん……は、おひとりで、犬を育てているんですか?」 「ア・マ・ン・ダ! あたしゃ、アマンダって言うのさ。犬を育てて、もう30年にはなるかねぇ。もともと主人とやってたんだが、主人が早くに死んじまったもんだから、今じゃアタシがひとりでやってんだ」 「あの、アマンダさん。犬って、本来、土で育てるものではないですよね? 哺乳類であり、人間と同じように、繁殖していくものだと思うのですが……」  おずおずと僕が申し出ると、アマンダさんは大きく目を見開いて、ガハハと豪快に笑いだした。 「なんの冗談かいそれは。一体なんのことを言ってるのか、アタシにはわからんね。犬ってやつは、種から土で育てて収穫するもんだよ! そんな突飛なことを言うなんて、アンタ、こりゃ傑作だ」  アマンダさんはまだゲラゲラ笑っている。    僕の頭はハテナでいっぱいだった。
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