もう一度、はじめまして

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 もう一度、はじめまして

 端的に言うと、俺はネコちゃんを探しにきた。  2丁目の雑居ビル、その地下に隠れるようにひっそりと看板を灯したこのバーは俺の行きつけだ。  スナックというほど砕けていないが、バーボンで氷を転がすほどの堅苦しさはない。俺は程よくフランクで程よく畏まったこの雰囲気が気に入っている。 「あら、慎さんいらっしゃぁ〜い❤︎」  味気ないステンレスの扉を開けるとすぐに目に入るカウンターから声をかけてきたのは店主のハトちゃんだ。彼は筋トレが趣味で身体がゴツく、それを見せびらかしたいがため、真冬でも店の中ではぴったりサイズのTシャツを着ている。短髪だが、顔には化粧が施され、やたらと体をクネクネさせる絵に描いたような「オカマ」だ。  彼の接客は一見軽薄だけど、会話や行動の節々にそれとない気遣いが感じ取れる。 「こんばんは、ハトちゃん」  コートを脱いでネクタイを緩めながら、俺はいつもの入口近くのカウンター席に腰を下ろした。  コの字を壁にくっつけたような形のカウンター席と、テーブル席が数席設けられたこぢんまりとした店内の客入りはちらほらというところ。テーブル席の客はすでにカップルなのか二人きりで身を寄せ合って盛り上がっているようだ。もう一人カウンターの向こう側、俺とは丁度反対に当たるコの字の端に、髪色の派手なやつが突っ伏している。  多分ハトちゃんは話し相手がいなくて少々退屈だったのだろう。まだ頼んでもないビールとおしぼりが、速攻で俺の前に並べられた。 「今日は珍しく空いてるね?」  俺はおしぼりで手を拭きながら、挨拶代わりの雑談を切り出した。 「混むのはこの後よ。この時間はだいたいいつもこんな感じ。慎さん今日は早かったわね?」 「ちょっと、仕事で面倒なことがあってね。うんざりしたから、早めに切り上げてきちゃったよ」  グラスを持ち上げ「いただきます」と言葉なくハトちゃんに目配せをする。ハトちゃんも同じく言葉のないまま「どうぞ」と手のひらを上向けた。  薄張りのグラスの口から流し込んだビールは冷たく冷えて、きめ細かい泡の口当たりが心地いい。暖冬の今夜はコートを着込むと電車の中では汗をかき、俺の喉はどうやらなかなか乾いていたらしい。 「慎さんここ一軒め? ご飯食べた?」 「まだなんだ。ご飯系なんかある?」 「ピラフとかで良ければできるわよ」 「いいね、じゃあそれちょうだい」  こんな感じのさりげない気遣いが出来るハトちゃんも、俺がこの店を行きつけにしている理由の一つだ。  だけど今夜の目的はここでまったり酒を飲むことではない。俺はネコちゃんを探しにきた。ネコちゃんってのは、ペットショップや猫カフェにいるあの子たちのことではない。男性同士の性行為で、女性側……つまり抱かれる方のことを「ネコ」と言うのだ。  ここはゲイバーではあるけど行きつけすぎて、出入りするだいたいのネコちゃん達とは顔馴染み、というか致したことがある。俺は後腐れなくがもっとーで、出来るだけ同じ相手とは寝ないようにしている。  じゃあなんで来たんだと言うと、まあ、勝手に足が向いたのだ。とりあえず二、三杯呑んで、ピラフを食べたら違う店に行くつもりでいる。 「わ、ラッキー! 今日慎さんいるじゃんっ!」  背後で店の扉が開き、聞き覚えのある声がした。声の主は流れるようにこちらに近づき、許可も得ぬまま俺の隣にちょこんと座った。  ピラフを頬張りながらそちらを向くと、可愛らしく大きな瞳が媚びるように俺を見上げている。彼はこの店でよく見かける、マコと名乗る青年だった。確かまだ大学を出たばかりくらいの若い子だ。 「こんばんはー! 慎さん! 遊び行こ?」  この子の言う「遊び行こ」は、ホテル行きましょうってこと。前にもそう言って誘われた。まあ、付いていってやることもやった。若いし、肌が綺麗で、こなれた感じも悪くなかった。だけど、俺は実はこう言う可愛らしい子じゃなくて、もうちょっと体つきがしっかりしてて、激しくしても壊れなさそうなネコちゃんの方が好みのタイプだ。今夜は思いっきり自分の性を発散したい。だから、出来ればドストライクの相手と過ごしたい気分だ。 「ごめんね、今日はもうちょっと飲みたい気分だから」 「えー、俺、慎さんが飲み終わるの待ってるよ?」 「待たれてるってのも気まずいな」  若い彼は少し年上に憧れる時期なのだろう。  落ち着いた物言いと、美形と称される肌が白くて繊細な顔立ち、それでいてジム通いで引き締まった身体とある程度の経済力を仄めかせば、彼らは向こうからしっぽを立てて近づいてくる。  だけど彼は少し俺への関心が高すぎて、それも含めてちょっと距離を置いておきたい。 「こぉら、あんまりしつこくしないのよ? 慎さん来なくなっちゃったらあんたのせいだかんね?」  冗談めかしてハトちゃんが嗜めると、マコは「はーい」と口を尖らせながらジントニックを注文した。 「ね、そこの人、生きてんの?」  マコが指差した先に、俺とハトちゃんは目を向けた。  店に入ってきた瞬間からその存在には気づいていたけど、あまりにも動かないから忘れていた。俺の反対側のカウンターで突っ伏している派手な髪色の男のことだ。 「あーん、そうなのよ。ちょっと飲んだら、寝ちゃってえ」  ハトちゃんはジントニックを作りながら、腰をクネクネとさせている。 「えー、めっちゃ迷惑じゃん、起こして追い出そうか?」  俺に断られたことで少しむしゃくしゃしているのか、マコがイキリだった。 「いーのよ!」  マコの前にジントニックを出しながら、ハトちゃんがカウンターから身を乗り出した。俺とマコの間にぬっと頭をだしてくる。顔もゴツいので、なかなか迫力がある。  ハトちゃんは声を抑えるように、自分の口の脇に手を当てた。 「あのね、ものすんごいイケメンだったのぉ〜!」  小声だったのは「ものすごい」と言うあたりまでで、その後の声量は興奮をはらんで上がっていった。足元で小刻みに床を踏みつけている。 「まじ?!見たい見たい!」  ハトちゃんの言葉を聞いたマコはころっと態度を変えて椅子から降りた。俺が、「やめておきなよ」と言う隙もなく、とことこ反対側の席に回ると突っ伏した男の隣にちょこんと座り、不躾にも肩をつんつん指で突いている。 「お兄さーん、おーい」  派手な髪がもそもそ動くが、彼が起きる気配はない。  俺は食べ終えたピラフの皿をカウンターの上におき、「ごちそうさま」とハトちゃんに告げるとおしぼりで口元を拭った。  マコが突っ伏した男に気を取られている間に次の店に移動するかと頭をよぎる。と、その前にちょっとトイレへ。  俺は立ち上がり店の奥のトイレに向かった。丁度マコの後ろを通った先の通路の隅にある。  用を済ませてトイレから出ると、マコがまだ突っ伏した彼の肩を揺らしていた。少し進展があったのは彼がむくりと体を起こしたことだが、それでも顔は伏せていて髪の毛がそれを隠している。  "ものすんごいイケメン"なのかどうかをどうしても確かめたいらしいマコは、カウンターに頭を乗せるほど体を伏せて、彼の顔を覗き込んだ。 「わ! ほんとだ、すっごいイケメン!」 マコが色めきだった声を上げた。 「ね、慎さんみてみて! この人ハーフかな?」 マコは手をひらひらと降って、トイレから戻ろうとしていた俺を呼んだ。そんなに言われたら流石に気になる。俺は呼ばれるまま彼らの席へと近寄った。 「……慎……さん?」 「しゃべった!」  突然名前を呼んだのは、酔って顔を伏せていた彼だった。マコが被せるように声を上げたせいでよく聞き取れなかったが、確かに俺の名前を呼んだ。  そして直後突然腕を掴まれ、俺の心臓が跳ね上がった。手のひらが大きく長い指はスーツ越しでも伝わるほどの熱をはらんでいた。でも、俺の心臓を揺らしたのはそれじゃない。  こんな瞳の色を見たことがない。琥珀色の虹彩がまっすぐ俺に照準を合わせるように煌めいた。睫毛の色が薄く、もしやこの銅食器のような魅惑的な色の髪は地毛なのかもしれない。アーモンド型の形のいい瞳は美しかったが、二つの瞳の間を通る鼻筋がしっかりと雄々しい顔を印象付けていた。確かにすんごいイケメン。 ……そして、俺のドストライク。  長い時間見つめあっているように錯覚したが、周りにとっては一瞬の出来事だったらしい。 「え、慎さん知り合い?」 とマコに問われて俺は我に帰った。 「い、いや。初めまして……だよ……ね?」  こんな子見たら絶対忘れない。だからほとんどわかりきっていたが、一応確かめるようにそう尋ねた。  彼は少し長めの間を開けた後、コクリとどこか寂しげに頷いた。 --なんか、そのちょっと寂しげな感じ……めちゃくちゃ唆る!! 「お兄さん大丈夫? けっこう飲んだの? 名前は? 彼氏いる?」  マコは声を弾ませて矢継ぎ早に尋ねている。俺はさりげなく、マコの隣の椅子に腰を下ろし、マコ越しに好みの彼を観察した。  顔が抜群にイイ! それに、体つきもしっかりしてそうだ。足も長そうだし、下手したら俺より背が高いかも、180とかあるのかな。若く見えるが大学生か、もう少し年上か? まあ、俺よりは下だろうな。あー……でも…… ーーまだ、若いのに、見えるな。 「ねーねー、名前は? 名前くらい教えてってぇ!」  マコは彼の膝に手を置き足をばたつかせながら、またあの媚びるような上目遣いをしている。間違いなく狙っている。  俺は人知れず唾を飲んだ。この子がネコかタチか。この界隈の比率で言うとネコの可能性の方が高い。つまり、マコより俺が優勢だ。 「もしかして、日本語わからないの? ネームだよ! ユアネーム!」 「こらこら、寝起きでぼっとしてるんだろ? あんまり矢継ぎ早に聞いたら可哀想だよ。ハトちゃんお水あげたら?」  俺が言うと、ニヤニヤ彼の顔を見ていたハトちゃんがはっと我に帰ってグラスにレモン水を注いで出した。彼はそれを手に取ると、ぐっとグラスを傾け一気に飲み干している。 「うーん、どこの国の人だろ?スマホの翻訳つかってみる?」  マコがポケットからスマホを取り出した。すると彼はその動きを止めるようにマコの腕に手を当てた。 「ワカルヨ、日本語、だいじょぶ」 カタコトだ。めちゃくちゃ可愛い。 俺は勝手ににやける口元をごまかすように唇を結んだ。 「良かったあ! ねえ、お兄さん、お名前は?」  マコがあざとくこ首を傾げた。 「ナマエ……名前は、レオン……レオンだよ」  そう言って、レオンと名乗った彼は視線を上げた。何か言いたげに俺の顔をまっすぐ見ている。  悪いなマコ。これは多分俺の勝ちだ。 「うわぉ、名前もカッコいい! ね、レオンくん酔っ払っちゃったんなら、俺とホテルで一緒に休む?」  マコはこの機を逃すまいと、ガッチリとレオンの腕を掴んでいる。 「……ホテル?」 「そ、行こうよ一緒に、ね?」  マコに言葉を返しながら、レオンはずっとまっすぐ俺を見ている。  こんなにアピールされて、何もしないわけにはいかない。というか、俺だってこの機を逃したくはない。 「マコ、彼はたぶん……タチじゃないよ」  俺はやや抑えめな声で、マコに囁きその肩に手を置いた。 「えー?俺のレーダーはタチだって言ってるけど」  マコは口を尖らせている。  このマコのレーダーはかつて俺にも反応したわけだけど、多分好みの男を都合よくタチだと思い込んでるだけの気もする。 「いや、違うと思う」  俺はきっぱりそう告げた。 「じゃあ、本人に確かめてみようよ」  マコの言葉に多少不躾だと思いつつも、俺はレオンに尋ねることにした。 「レオンくん、君って、ネコ、だよね?」  少々遠慮がちに言うと、レオンはその琥珀色の瞳を揺らした。 「うん、そうだよ、慎さん」  その言葉を聞いて、俺は小さく拳を握り、マコがカウンターの上で項垂れた。 ◇
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