真夜中、窓の外には犬がいた

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「え、犬だ……」  よく見ると窓の外には、人懐っこい表情をした犬がいた。  俺は犬を飼っていないし、近所に窓から遊びに来るようなやんちゃな犬の知り合いも居ない。  月の綺麗な静かな夜、何故俺は犬と向き合っているのか。  それは、ほんの数分前に遡る。  真夜中に目が覚めて、水でも飲むかとベッドから降りた。  一人暮らしを始めて随分経ち、その静けさにも慣れていたから暗くとも怖くもない。  月明かりが差し込んだことで、カーテンが少し開いていたのに気づいて閉めようとした。  その隙間。  何かの影があることに、寝ぼけていた俺はようやく気付いた。  それがこちらを見ていることに気づいて、息が止まる。  大きな角、漫画とかで見るような鎌のシルエット。  一人で過ごしている静かな夜は、嫌なことを考えそうになる。  月明かりのせいなのか、風が強いのか。  その影は俺が認識してしまった後、激しくゆらゆらと揺れ始めた。  俺の魂を連れて行こうとでも言うのだろうか。  寝ぼけているせいか、それともまだ夢なのか。  夢なら覚めてくれればいいのに。  そうしていても埒が明かないので、そっと窓に近づいて隙間から覗き込む。  すると、そこにはまん丸の月を背にした――愛らしい表情の犬がいたのだ。  化け物の角に見えたのは、先端がまるっこい三角の耳だった。  怪しく揺れる謎の物体は、嬉しそうに振られた尻尾だった。  この寒い時期にも関わらず警戒心はまるでなく、舌を出してハッハッという音が窓越しでも聞こえるようだった。 「……可愛いなぁ」  最後に犬を触ったのはいつだっけ。  なんて思いながらガチャリと鍵を外してガラガラ、と窓を開け放つ。 「バァゥッ!!!」 「ぅわ……っ!」  それまで大人しくしていた犬が、突然大きく吠えたので後ろに尻餅をついた。  丁度強い風が部屋の中に舞い込んで、一瞬で部屋が冷えるような気がした。  でも、気だけだったのかその冷たさもすぐになくなり、犬は人なつっこい笑みを浮かべて尻尾を振っていた。  常に暖房をつけているし、立つのも億劫だったせいかここ最近はロクに換気もしていなかった。  どこか淀んでいた空気が流れるような気がして、ちょうどよかったのかもしれない。 「びっくりした……。やっぱ足腰鍛えないとな」  一応付き合いもあるので多少外に出る。  けれど、それ以外はリモートワークだし、部屋にこもりがちだったのでぽつりとつぶやく。  ゆっくりと立ち上がって、犬へと歩み寄る。  手を伸ばしても嫌がるそぶりもなく、噛まれそうな雰囲気もなく。  むしろ存分に撫でると良い、とでも言いたげに頭を良い位置に整えてきた。  誘惑に抗えずに、そっと頭に手を置いてゆっくりとやさしく撫でる。  暖かな感触が伝わってきて、犬もどこか嬉しそうな気がする。  知らない犬なんて触っちゃいけないのに――?  そこまで考えて、犬に見覚えがあることに気づいた。  手が止まったのを不思議そうに見上げる、見慣れた瞳。 「ああ、そうか。お前――」  フッ、と笑ってまた柔らかく頭を撫でる。  こういうのは気づいてはいけないんだと思う。  それでも俺は、懐かしい名前を音にした。 「カグヤだったのか」 「ワンッ」  と元気に一声鳴くと、犬の姿は光の粒のようになって消えてしまった。  窓の外には都会の明かりが輝いているのが見える。  ――まともな犬は5階のベランダでもない所の窓の外に立てない。  寝ぼけてなかったらすぐ気づいていただろう。  静かにガラガラと窓を閉めて、ガチャンと鍵をかける。  また静かになった部屋を振り返ると、今まで目を逸らしていた物がそこにはあった。  ここ最近疲れていて、片づけるのも億劫になっていたことで床にモノが散りばめられ始めていた。  それでも食品類のゴミだけは、早めに片づけてあるから言うほど汚くはない。 「なんにもしたくなくて隠れてると、絶対見つけてくれたんだよな」  子どもの頃の記憶を思い出して、懐かしくなる。  階段の下の小さなスペースに隠れていると、カグヤがいつも隣に座ってくれたのだ。  人間と犬との時の流れの違いは残酷だ。  生まれた時から一緒に居ても、どうしても人間は置いていかれる。  カグヤの事で片づけられなくなったわけでじゃないけど、少しだけ身が引き締まるような気がした。 「ん? 成仏もできないほど心配ってコトか……?」  実家にいた愛犬からの辛辣なメッセージなのでは、なんて少しだけ気分が下がる。  そんなことするようなヤツじゃない、と打ち消しながら顔を左右に振る。 「よし、もうちょっとだけ頑張ってみるか」  この街で頑張るのをやめてしまおうか。  明日には物件を探し始めて、地元に戻ろうか。  行ったことのない田舎もいいかもしれない。  そんな風に数時間前。  やることを全てを投げ出して、ベッドに転がった時とは違う。  妙な清々しさに包まれていた。 「そういえばペット可だったよな、この部屋」  ぽつりと小さく呟いて、もう一度愛犬が訪れた窓の外を見る。  そこには、憧れて来たはずの街の夜景が輝いていた。  しばらくぼんやりと眺めた後、開いていたカーテンを閉じた。  明日は早く起きて、今やることをこなす為に。
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