犬神様の黄泉がえり

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 猫が犬を滅多打ちにしている。  それを少し離れた所から男が眺めていた。  ボサボサの頭部には傷のついた犬耳とひび割れた仮面、シミだらけの袴からは毛の抜けた尻尾が垂れている。 (犬が猫に勝てるわけないな)  犬神は大きく欠伸をして昼寝の体勢に入る。  が、急に異臭が漂ってきて目を開けた。  崩れかけた本殿の側で猫が用を足している。 「このうつけがー!」  すぐに追い払ったが、出来立てホヤホヤのブツは消えない。  枝でも使ってどけるかと辺りを見回したが、荒れ果てた境内を見て力が抜けた。 (……どうでもいいか。参拝客なぞおらぬし)  再び雑草だらけの参道に寝そべり、今度こそ眠りについた。  再び意識が浮上したのはけたたましい叫び声が聞こえた時だ。 「ぎゃー! うんこ踏んだー!」  首を捻ると、女子高生が先ほどのブツを踏んで狼狽している。 (人間とは珍しい……まあ、道にでも迷ったのだろう)  再び目を閉じると、女子高生の独り言が聞こえる。 「犬神様も用を足すなら目立たないところにすればいいのに」  考えるより早く、犬神は女子高生に詰め寄っていた。 「我のものではない、猫のものだ」  突然姿を現した異形の存在に、女子高生はびくりと肩を揺らす。  しかしすぐに目を輝かせ、逆に距離を詰めてきた。 「嘘、犬神様? 会いたかったー!」  犬神は後ずさった。  犬の嗅覚は人間の数千倍であり、犬神の嗅覚は犬の数万倍である。  すなわち、ブツを踏んだ女子高生はもはやブツそのもの。  しかし、女子高生は逃げられる前にしかと犬神の手を握りしめ、意気揚々と告げた。 「犬神様、猫退治お願いします!」 「え……やだ」 「え……何で」  これが犬神と未希(みき)の出会いであった。      ブツを体に擦り付けるぞと脅された犬神は、渋々未希と名乗る少女に付いて、猫退治に赴くこととなった。  勿論、靴は念入りに洗わせた後で、だ。  道中、未希がわざわざ廃れた神社を訪れた理由を語る。 「両親が猫を飼い始めたんです。でも、人が猫を飼うというより猫が人を飼っているようで……」 「犬だけでなく、人にまで猫の害が及んでいるのか」 「猫が座布団積んだ上に堂々と座って、両親がかしづくんですよ? あ、ほら! あれ見てください!」  涼やかな鈴の音。  どこかの飼い猫だろうか。  そう思いながら未希の指差す方を振り返れば、鈴付きの首輪をつけた人間が猫に引かれていた。 「……ここまで異常な状態となると、確実にお猫様の仕業だな」 「お猫様?」 「化け猫が神に転じた存在だ。元々気の弱い奴だったが、人から崇められるうちに頭に乗ったようだな」 「困りますね、ますます止めなきゃ! じゃ、まずはさっくりあの人から助けてあげてください!」  ぐいぐいと背中を押されて、仕方なく先程の猫と飼い人の前に立ちはだかる。  猫が吊り目をさらに吊り上げ、全身の毛を逆立てた。  犬神は猫に向かって腕を伸ばし、掌に神力を集中させる。  骨のように白い光は、犬神特有の力だ。  手が輝きを強め、その場全体が光の膜で包み込まれたかと思うと──。  風船から空気が抜けたような音と共に光は消えた。  静まり返る面々。  猫がそっと己の身を点検し始めた。  毛並み良し、爪の鋭さ良し、スタイル良し。  猫は飛び上がって犬神の顔に一撃。鼻で笑いながら飼い人と共に去った。  再びその場に沈黙が降りる。 「えっと……ちょっと調子が悪かったみたいですね。次行きましょう、次!」  呆然とする犬神の背を叩き、未希は明るく笑いながら犬神の手を引いていった。  一時間後——。  二人は仲良くベンチで肩を落としていた。  猫に遭遇するたびに犬神の神力はことごとく不発に終わる。  退治どころか、猫が放り投げた骨に反射的にかぶりついて尻尾を振る始末だ。  未希の表情も曇る。 「……やはり、我に猫退治など無理な話であったな。そなたも、隣町にでむけばまた違う神に頼めるだろう」  犬神は立ち上がって来た道を戻ろうとした。  しかし、すぐに襟首を掴まれ阻まれる。 「よし! うまくいかない時は気分転換しましょう!」 「はあ?」  呆気に取られている間に、未希はまた犬神の手を引きどんどん歩いていった。  未希の体温が、低温の犬神の手を程よく温めていく。  次第に小豆を炊いた甘い匂いが強まってきて、二人は鯛焼き屋に到着した。  店の前のベンチに座らされ、程なくして熱々の鯛焼きを手渡される。 (魚を手渡されても……)  しばし沈黙したが、隣では未希が幸せそうに頬張っている。  もう一度鯛焼きに視線を落とした後、一口だけかじってみた。  柔らかな生地に熱々の餡子が口の中でとろけていく。 「美味い」  思わずそうつぶやいた。  未希が嬉しそうにはにかむ。  今度は手ではなく、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。 (人間から何かをもらうのは久方ぶりだ……)  犬神は懐かしい記憶を思い出した。    あれは十年ほど前のことだ。  境内に五歳くらいの少女が迷い込んできた。  涙と鼻水に塗れた顔が、犬神の姿を見た瞬間、パッとお日様のように輝いた。  無遠慮に耳や尻尾を触られ愉快ではなかったが、久しぶりに人間に興味を持たれた嬉しさの方が勝っていた。  少女は満足すると犬神から離れ、ポケットから半透明の石ころを取り出し、差し出した。 「あげる」  犬神は石を自分の古い牙と交換して受け取った。  少女のあどけない笑顔に、こちらも何かしてやりたいという気持ちになったのだ。  神社の敷地の外から、母親らしき人の声が響く。  少女は慌てて駆け出したが、鳥居を潜る際に振り返り、「またくるね」と約束して去っていった。    回想を終える頃には、犬神の表情は固く強張っていた。  少女はその後、一度も神社を訪れなかったのだ。 「犬神様?」  黙り込んでしまった犬神の顔を、無垢な瞳が覗き込んでくる。  犬神は仮面の奥から光を失った目で未希を見据えた。 「何が望みだ?」 「え? 急に何?」 「何か下心があって我の元を訪れたのだろう? でなければ、あのように寂れた神社に来るはずがない」 「えぇ? そんな、私はただ——」  少女の言葉を遮り、犬神は早口で捲し立てる。 「永遠の命か? 溢れんばかりの富か? 生憎、今の我にそんな力は——」  乾いた音がして、犬神の顔が横を向く。  頬が熱を持ち、微かに痛みを発している——未希に叩かれたのだ。  ゆっくりと振り返ると、彼女は顔を真っ赤にして泣いていた。 「犬神様は、私のことちっとも覚えてないんだね。そうだよね? 神様だもん。沢山いる人間のことなんて覚えてないよね。私は……一日も犬神様のことを忘れたことなんてないのに」 「それはどういう……」 「もういい! 犬神様なんて大嫌い!」  未希が勢いよく走り去る。  自然とその背に向かって手が伸びたのに、どうしてかその場を動くことができない。  結局手は何も掴むことがないまま下ろされた。  胸に心臓をひと突きされたような痛みが走る。  鯛焼きはすっかり冷めてしまった。  残りを口の中に押し込んだが、全く美味しくない。  そまま座っているわけにもいかず重い腰を上げると、近くに小さな袋が落ちていた。  匂いからして未希のものだ。  拾い上げると、彼女以外に懐かしい匂いを感じ、思わず中を覗く。  それは自分の古い牙だった。  すぐには状況が理解できず立ち尽くしていると、鯛焼き屋の主人が店から顔を出してきた。 「未希ちゃん、走っていっちまったが、追わなくて大丈夫かい?」 「そなたは、あの少女のことをよく知っているのか?」 「あぁ、昔よくうちの鯛焼き食いにきてくれたんだ。でも引っ越しちまってな。最近になって戻ってきたんだとよ。うちのこと覚えててくれて嬉しいもんだ」  その後も鯛焼き屋の主人の世間話は続いたが、犬神の耳にはほとんど入ってこなかった。  ようやく長話から解放された犬神は、あてもなく街を歩いた。  そこかしこで、猫に飼われた人間達とすれ違う。魚屋に至っては、売り物を全て猫に捧げる始末だ。  古い住宅が多い細道にさしかかると、珍しく元気な同胞の気配がした。  辿ってみると、木造の平家で老婆が犬を膝に乗せて撫でている。  隣に座る老爺が声をかけた。 「子供や孫たちはこぞって猫を勧めてくるが、やっぱりわしらは犬が合っとるのう」 「そうねぇ。何度も試しにって預けにきてたけど、猫は気まぐれですからねぇ。どんな時でも私らの側にいてくれたのはこの子だけですよ」  犬の背に触れる皺だらけの手からは疑いようのない慈しみが溢れている。  犬神は静かにその場を離れ、久方ぶりに街中に神経を張り巡らせ、全ての犬達の気配を把握した。  ほとんどの犬は弱々しい反応だ。  それでも稀に、健康的な反応を見せるものもいた。  身体中の熱が高まってきている。  その後も街中を巡り元気な同胞の姿を目に焼き付けていく。  最後に、街の端にある大きな池にやってきた。  池は数十センチ先も見通すことはできず、藻と泥で濁り切っている。  とうの昔に、主人が身罷ってしまったためだ。  犬神は記憶を頼りに、腰ほどまで伸びた雑草をかき分け、池のほとりの小さな祠跡を探し当てた。  もう半分以上朽ちてしまっている。 「久しいな、白蛇」  昔の友の呼び名を口にする。  この祠が綺麗に輝いていたのは、もう何百年前の話だろうか。  白蛇は人々の記憶から完全に消え去り、消失してしまった。  犬神は膝をついて、脆くなった祠跡に触れる。 (まだ、我の祠は潰れていない……)  犬神は立ち上がった。  一歩、二歩と、ゆっくりと力強く地面を踏み締めていく。  段々と足の動きは早まり、ついに彼は駆け出した。      未希は汗だくになって街中を走り回っていた。 (どこで落としたの? あの牙は犬神様との大切な思い出なのに)  一度立ち止まって呼吸を整えると、十年前の記憶が蘇ってくる。  今より少しだけ小綺麗だった犬神は、ただの石をとても嬉しそうにもらってくれた。  引っ越した後も、その笑顔を忘れた日はない。  この街に戻って再会が叶い、どれほど嬉しかったか。  未希は唇を結び直し、もう一度今日歩いた場所を調べ直そうと足を早めた。  すると突然、地面から砂煙が上がって上空から何かが降ってくる。  間一髪立ち止まると、目の前に巨大な何かが落ちて、轟音と共に地面が揺れる。  未希は目を見開いた。  自分の二倍以上ある大きさの猫が二本足で佇みこちらを見下ろしている。  直感で理解した。これが『お猫様』なのだと。 「お前、懐かしい匂いがするにゃ」  顔の端から端まで広がる大きな口。その声は獣の唸り声のようで、鼓膜を大きく揺さぶってくる。  未希は吐き気を覚えた。 「猫が支配するこの街で犬コロの匂いをつけているとは、何と生意気な小娘にゃ。お仕置きが必要にゃー」  お猫様の尻尾が鞭のようにしなり、未希の華奢な体に巻きついた。  外から加わる圧力で骨が軋み、肺が押し潰されそうになる。 「かはっ!」 「ヒャヒャヒャ! 人間の怯える顔はいいにゃー。このまま骨を砕いてこんにゃくみたいな体に──」  お猫様の言葉は最後まで続かなかった。  天から駆け抜けた真空の刃が、太針のような毛並みの尾を豆腐のように容易く切る。  宙へ投げ出された未希は、そのまま誰かの腕に収まった。  未希は薄目を開けて、口元にほんのりと笑みを浮かべる。 「犬神様……来てくれたの」    ◆    犬神は全身の血が沸騰しそうなほど怒りに満ちていた。  未希を十分に離れた場所に寝かせてから、お猫様の前に立ちはだかる。 「娘に手を出すな、猫めが」  お猫様は一度きょとんと目を丸めた後、大口を開けて笑い飛ばした。 「犬神じゃあないか! 久しぶりにゃん。相変わらず小汚いにゃー」  大きな目を三日月の形に歪めて微笑みかける。  犬神は鼻を鳴らして袖口に両の手をしまい込んだ。 「我の見ない間に、随分と勝手をしたな。万死に値するぞ」  再び地鳴りのような笑いが響いた。 「万死だと! お前が! 儂に!」  お猫様は大きな手を振り上げると、犬神目指して平手を落とした。  犬神は軽く後ろへ跳ねて避ける。  アスファルトが割れ、地面が陥没した。 「やれるものならやってみるにゃ」  ヒビの入った地面から巨大なマタタビの枝が群れをなして生えた。  枝は一本一本が意思を持つように、犬神を執拗に追いかける。  犬神は手刀に気を纏わせ、次々と枝を切り落としながら、さりげなく未希から遠ざかった。  しかし、枝は切れば切るほど再生し増殖を繰り返す。  次第に犬神の額に汗が浮かんできた。 (体が重い)  マタタビの枝はますます増えて街中を覆い尽くしていく。  琥珀色の瞳に、沢山の猫からお猫様の方へ神気が集まるのが見えた。  日頃から人間に食べ物や奉仕の心をもらって、力が有り余っているのだろう。  対して、犬神が犬たちが貰える神気は雀の涙ほどだ。  猫からは虐げられ、人間からは忘れられる……皆自分の生命を保つだけで限界なのだ。  一本の枝が、腕を掠めた。  皮膚が裂け、血が流れると同時に、身体中に強い痺れが走る。 (毒か!)  犬神の動きが鈍るや否や、お猫様の張り手が飛んでくる。  辛うじて避けた……と思ったら本命は逆からの攻撃だった。  犬神の体が地面めがけて吹っ飛んでいく。 「がはっ」  衝突の衝で咳き込むと、間髪入れずに次の張り手が真上から落ちて来た。  何とか体を回転させると、すぐ隣にお猫様の手が沈んだ。  体を起こそうとするも、よろめいてこけてしまう。  頭上から嘲笑が降ってきた。 「なんと無様にゃ! お前、もう長く供物を得てないにゃ? そんな状態で儂に挑むなど、笑止千万にゃ!」  お猫様はモグラ叩きのように次々と張り手を繰り出した。  その度に犬神はボールのように転がって逃げるしかなかった。 (逃げてばかりでは力を消耗するだけだ)  犬神は脂汗を流しながらも渾身の力で立ち上がった。  毒を抜くだけの力は残っていない。  残った神気を足と手に固め、攻めの姿勢に切り替える。 「粘るにゃ?」 「まだ……終われんのだ。我を信じる者が一人でもいる限り、やらねばならんのだ!」  地面を強く蹴り、迫り来る枝をすり抜けお猫様の元へ走る。  お猫様の張り手が飛んできた。  避ける。  もう一度逆から。  同じ手は食わない。  犬神の手刀がお猫様の首を捉えた。 「覚悟──」  足に何かが触れる……尻尾だ。  犬神の体が大きく傾ぐ。  視界には歯をむき出しにして笑うお猫様の姿。  景色は反転し、やがて地面に頭から落ちていった。    ◆    未希はようやく呼吸が整い、意識がはっきりしてきたところだった。 (犬神様は……?)  周囲を見渡すと、お猫様が繰り返し何かを踏み潰している。  胸がざわつく。  お猫様の動きが止まった。  今度は踏んでいた何かを蹴り上げる。  それは空高く綺麗な弧を描き、未希の近くへと落ちてきた。  果実が潰れるような音とともに、血まみれの犬神が転がる。  手や足がおかしな方向へ折れ曲がり、ところどころ潰れていた。 「うぅぇっ」  瞬時に胃酸が逆流して吐瀉物が地面に広がる。  何度も咽せてから改めて彼を見ると、体がピクリとも動いていなかった。  スーッと血の気が引いていく。 「お前、まだいたにゃ?」  一歩一歩地響きを鳴らしながらお猫様が近づいてくる。  汗が滝のように噴き出た。  すぐに後方に目を向けたが、マタタビの枝が檻のように退路を塞いでいる。 「ちょうど犬コロが片付いたところにゃ。ちょうどいいから、二人まとめて潰し手、粘土みたいに捏ねて猫たちで遊ぶにゃ!」  お猫様の顔に紅がさし、恍惚と目が細められた。  じわりと、生暖かい液体がスカートから染み出す。  お猫様はじっくりとストレッチを始めた。  いつの間にか街の猫達も集まってきて、こちらを見ている。  掌に臭い息を吹きかけ、ニタリとひと笑み。  太陽に向け、高く腕を振り上げた。 「助けて……」  掠れる声。  無意識に、犬神の潰れた手を握る。 「助けて、お願い……」  目から溢れた透明な雫は頬を伝い、顎の先へと落ちていく。  お猫様の手がついに振り下ろされ、大きな肉球が目の前に迫る。  涙が犬神の頬で弾けた。  その瞬間、犬神の目は勢いよく開き、体から眩い光が放たれる。  白い光はシャボン玉の膜のように二人を包み込み、お猫様の手を遮った。  犬神を覆う光はどんどん強さを増し、やがて彼の体の線が崩れていった。  ドロドロと白い液体が流れ、犬神の形が変わっていく。  未希は瞬きも忘れて見入った。  頭の中で幼子の声が響く。 「そなたの供物、しかと受け取った」  再び体の線がはっきりと定まると、白い光は収まった。  目の前で、春の空のような髪色をした美しい少年が目を開けた。    ◆    犬神はあまりの体調の良さに目を細めた。  耳も尻尾もふさふさで、美しい白骨色をしている。  犬神は軽く膝を曲げると、天まで突き抜けそうなほど高く跳ね上がった。 「ははははは! 久しぶりの現世ぞ!」  降下して手近な電柱のてっぺんに着地する。  ワナワナと震えるお猫様と目があった。  犬神はお猫様の頭を指差し、そのまま地面の方へ指の向きを下げる。  指の動きにつられて、お猫様の頭がアスファルトへとめり込んだ。 「ぐ、ぬおぉ! あ、頭が上がらん!」 「猫のくせに頭が高い」 「な、なにおう!」  お猫様は神気を全身に巡らせ、犬神の支配を打ち破る。  初めて、お猫様の息が上がった。 「お、おのれ犬神、全盛期の姿を取り戻したにゃ! だがそのくらいでいい気になるなにゃ!」  再びマタタビが地面を割って暴れ狂い、次々と電柱を薙ぎ倒していった。  犬神は軽やかに飛び跳ねて、枝の一つに着地する。  別の枝が、犬神の立つ枝ごと破壊してきた。  またふわりと羽でも舞うように、犬神は軽々と身を翻す。  様々な枝に降りては、別の枝に攻撃させることを繰り返す内に、あっという間にマタタビノの木枝が弱る。 「おのれぇ!」  お猫様の叫びに合わせて、一際長い枝が犬神に向かって伸びた。  犬神は細くなった頂上部分を掴み、枝に尻をつけると滑り台のように一直線に滑り降りる。 「ははははは!」  地面に着いて満足すると指鳴らしを一つ。  マタタビは細かい光の粒子となって、空気中に消えた。 「そろそろお終いか?」 「ほざけぇ!」  お猫様が口を大きく開ける。  喉奥に大量の神気が練り集まっている。  犬神は大気中の水分を集め水を生み出した。  己の神気が纏う白い光を花の形に変え、水と融合させる。  お猫様の口から新規の砲撃が繰り出された。 「水を操るのは白蛇の十八番だった。食らえ——『水白花』」  水が砲撃を食い止め、白い花吹雪が勢いを反転させる。 「え?」  お猫様が目を丸めるうちに、砲撃はそっくりそのままお猫様を包み、やがて丸焼けになった猫のご神体が残った。      犬神の神力ですっかり元通りとなった街並みを、少女と幼子がゆるりと歩く。  沈みかけた夕日が、二人の影を長く引き伸ばしている。 「犬神様って、実はすごかったんですね」 「不敬だぞ」 「だって最初の印象があまりにも」  くすくすと笑う未希につられて、犬神の頬も緩む。  二人は初めて出会った神社に戻ってきた。  荒れ果てていた境内も、今はすっかりと整えられている。  鳥居をくぐると、犬神は振り返って未希と向かい合う。  少し冷たい風が、二人の間を通り抜けた。 「私、今度こそいっぱい犬神様に会いにきますね。犬神の凄さ、じゃんじゃん宣伝しちゃうんだから」  握り拳を作って笑う未希に、犬神は無表情で返した。 「……人は神々の詳細を知ったまま過ごすことはできない。いつか歪みが出るのでな」 「え?それってどういう……」 「さようなら、未希」  犬神は軽く浮かび上がると、未希の額に口付けた。  未希の目がとろりと細められ、やがてその体が傾いでいった。    ◆    目を開けると、見知らぬ場所にいた。  美しい朱色の鳥居に、立派な建物……どうやら神社のようだ。  太陽は地平線の向こうへ消え、空にまだ昼の名残を残している。  辺りを見回しながら、未希はどうしてこの場所にいるのか思い出そうとした。  すると、鳥居の向こう側から呼び声が聞こえる。 「未希ー! どこにいるのー!」 「お母さん? 今行くー!」  すぐさま走ろうとして、ふと足元の小石に目が止まった。  真っ白で形も滑らかな綺麗な石。  拾い上げると、踵を返して祭壇に石を供えた。  何となく、そうしたかった。  未希は今度こそ声のする方へ、勢いよく駆け出していく。  星に見守られた帰り道、どこかで犬の鳴き声が聞こえた。  
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