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第7話 聖戦の時
そして、日葵の着替えが終わって、作戦名ジハードが決行された。
「日葵、今その制服の下って」
「言わないで。気にしないようにしてるんだから」
陽翔の視線から隠すように両手で自分の体を抱きしめる日葵。
ともかくジハードが始まる。幸奈は真面目ぶった優等生の顔をして椅子に座らせた日葵の前に立った。
「では、始めましょうか。セバスチャン、あれを」
「はい、お嬢様」
そう言って幸奈が執事から手渡されたのはもう何度も見た覚えのある鞄だった。日葵は不審な物を見つめる眼差しをして言った。
「今度は何を着せるつもりなんですか?」
「これは服ではありません。聖戦を勝ち抜くための武器です」
「武器!?」
その不穏な響きに誰もが驚きの声を上げる。
「我々の科学チームはこれをグリーンデストロイヤーと名付けました」
「グリーンデストロイヤー!」
「いったいどんな武器なんだ……」
「わたしはこれを陽翔さん、あなたに使って欲しいと思っています」
「どうして僕に?」
日葵でなく自分に差し出される鞄に、陽翔は戸惑ってしまう。幸奈の表情は真剣ではあるが優しかった。陽翔のことを信頼する者の目だった。
「今回の作戦は危険です。しかし、安心出来る者にこの武器を託した方が成功率は飛躍的にアップすると科学チームは言っています。わたしの見た所、日葵さんと最も仲が良いのはあなたです。作戦名ジハードの最前線に立っていただけますか?」
「陽翔……どうするんだ……?」
孝介は緊張の小声で訊いてくる。誰か他の者に任せることも出来ただろう。でも……
「陽翔……」
不安そうな日葵の顔を見たら決意するしかなかった。陽翔は日葵がずっと猫耳を嫌がってたのを知っていた。それに両親から日葵のことを任されてもいた。
陽翔はその決意を伝える。
「分かりました。僕がやります」
「お前達はやっぱりお互いのことを……くっ、始めから俺の入る場所なんて無かったんだな」
「では、受け取ってください。対猫耳用の最終兵器。ジハードの命運を決する聖なるウエポン、グリーンデストロイヤーを」
「はい」
陽翔は緊張の息を呑み、鞄を受け取った。
そして、日葵がいつもそうしていたように鞄を開けて中を見た。
その表情はもう緊張していなかった。陽翔もいつもの日葵と同じ反応を見せていた。
「幸奈さん、これって」
「グリーンデストロイヤーです」
「いや、だってこれって……」
陽翔はゆっくりとそれを取り出した。緑の聖なる武器グリーンデストロイヤー。それはよく見た覚えのある形をしていた。
陽翔は近所の空き地でも見たことのあるそれを手に叫んだ。
「ただの猫じゃらしじゃないですかー!」
意識せず反応がいつもの日葵と被ってしまった。
幸奈は上品なその瞳を少し見開いて言った。
「この町ではそう呼ぶのですか?」
「どの町でも同じだと思いますけど。これで本当に日葵が治るんですか?」
「はい、この猫じゃら……グリーンデストロイヤーで日葵さんの中の猫を呼び出します」
「今猫じゃらしって言いかけました?」
「名前などどうでもいいではありませんか。信じなければ作戦は成功しませんよ」
「うわ、開き直った。幸奈さんがこんな人だったなんて……」
「最初からこんな奴だったと思うぜ。陽翔、他人に幻想を持つのは止めろ。お前は人ならもっとうまくやれると思ってるだろうが、別にそんなことは無いんだぜ。だからこそ必要な時は自分で決めないといけないんだ」
「うん……」
確かに孝介の言う通りだと思えた。陽翔はグリーンデストロイヤーを握る手に力を入れた。
「それに俺はお前の方が……いや、今はそんなことよりも作戦が重要だな。日葵を救わないと。頼んだぜ、陽翔」
「あたしの中に猫が……」
「さあ、始めてください」
幸奈は手を鳴らして作戦の開始を告げた。
陽翔はグリーンデストロイヤーを手に日葵の前に立った。しばらくお互いに無言で見つめあう。
「じゃあ、始めるよ」
「うん」
陽翔はゆっくりと日葵の目の前で猫じゃらしを振り始める。日葵は黙ってそれを見つめる。
最初は半信半疑だった陽翔だったが、やがて変化が起こってきた。
日葵の瞳が猫のように細められ、手を出して暴れ出したのだ。
「猫化が進行しているのです。抑えておいてください!」
「任せろ!」
幸奈に言われて孝介が後ろから日葵を羽交い絞めにする。陽翔は心配になって幸奈に訊いた。
「このまま続けていいんですか?」
「はい、作戦は順調です。このまま猫を誘い出してしまいましょう。さあ、猫ちゃん出ておいで~」
幸奈が猫撫で声を上げる。日葵は自分のことを信頼してくれている。ならば陽翔も逃げるわけにはいかなかった。
陽翔は猫じゃらしを振り続ける。そうしながら神に祈った。
どうか日葵を助けて欲しいと。
その願いが通じたのかもしれない。
「ふぎゃあ! ふぎゃあ! ニャア!」
暴れていた日葵の体から何かがすっぽ抜けてきた。それと同時に日葵の体から力が抜けた。
ぐったりとする日葵の体を孝介は支えた。
「あらら、可愛い猫さんね」
腰を下ろして差し伸べる幸奈の指先には猫がいた。陽翔のよく知っている猫だった。
「これって……」
「あの時の猫……?」
日葵も気が付く。それは子供の頃に会った猫だった。
だが、そのはずは無い。あれは子供の頃のことだったのに、猫はかつての姿のままだったのだから。
猫はみんなの視線に気が付いた。
「やれやれ、バレてしまったようだね」
「喋った?」
「事情を説明してくれますね?」
「ことここに至っては止む無しだね」
猫は語りだした。
「僕はあの後誰にも知られずに死んでしまったんだ」
「あっ」
猫が言っているのは拾わずに置いていった後のことだ。そうと気づき、日葵は言葉を失っていた。
「君さえ猫が好きだったなら。そう悔やんだよ。でも、そんな僕に神様が奇跡を与えてくれたんだ。僕は君が猫を好きになってくれるようにと願った」
「それで猫耳に?」
猫は小さく首を横に振った。
「僕に具体的な事象は起こせなかったよ。奇跡の力は途方もなく大きな海のような物で、僕の力では扱い切れなかったんだ。ただ君が猫に触れて良さを知れたら、きっと君も猫を好きになってくれるはずだと思ったんだ」
猫の体が輝き出す。光に包まれて宙へと浮いた。
「時間だ。奇跡には条件があって僕の事を人に知られてはいけなかったんだ。奇跡の時間は終わりだよ」
「猫さん?」
「それでどうだろう。君は猫のことを好きになれたのだろうか?」
日葵はしばらく無言だったが、やがて顔を上げて答えた。
「あたしずっと気になってた。あの時の猫はどうしたんだろうって。あたし本当は猫のこと……好き!」
「僕も好きだよ。久しぶりに人と触れ合えて楽しかった」
「でも、陽翔が可愛いって言うから。あたし……構ってもらえなくなる気がして……」
「そうか。人とは難しい生き物なんだね。ありがとう、楽しい思い出を。また来世で」
そして、猫は消えていった。
猫耳も消えていた。
「また……会おうね」
日葵の顔には寂しさと微笑みがあった。
猫耳の事件は解決し、いつもの日常が戻ってきた。
学校のみんなは相変わらずだ。猫耳が無くなっただけでいつもの生活を送っている。
心配しただけ損だったのかもしれない。
授業が終わり、帰宅の途につく。
陽翔は日葵と道を歩いている途中で猫を見かけた。
日葵は小さく手を振った。
猫は気にせず走り去っていった。
日葵は微笑む。それを陽翔は隣で見ていた。
そんな天気の良い帰り道だった。
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