第5話 猫耳のある風景

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第5話 猫耳のある風景

 その日も気分の良い朝だった。  猫耳になってから朝日がより心地よくなった気がする。  目覚めた陽翔はいつも通り朝食の用意をした。だが、テーブルの上に並べ終わってもまだ日葵が起きてこない。 「日葵、朝ご飯の用意が出来たよ!」  呼んでも返事がないので、陽翔は起こしに行くことにした。  昨日ノックもせずに入った仕返しに陽翔もノックもせずに入ることにする。  着替え中だったらどうしようと心配だったが、日葵はまだ寝ていた。  何だか子供の頃のことを思い出して、陽翔は微笑ましく思いながら彼女の肩を揺さぶった。 「日葵、起きて。朝だよ」 「あと5分」  布団が気持ちいいのは分かる。陽翔も同じ気分だったから。だが、時間は非情だ。陽翔は心を鬼にする。 「あと5分じゃないよ。学校に遅刻するよ」 「うーん? 何であたしの部屋に陽翔がいるの?」 「ここ僕の家だから。昨日のことを思い出して」 「昨日のこと? はっ」  日葵は目を見開いた。陽翔の頭を見てから自分の頭を触る。 「猫耳……」 「まだあるね」  苦笑いするしかない。  悪化はしなかったが、一晩経てば直る物でも夢だったのだと忘れられる物でも無かったのだ。 「おはよう」 「おはよう」  今日も学校は生徒達で賑わっている。みんなも変わらずに猫耳だった。  だが、そこに悲壮感は無く、みんなはすっかりいつもの日常として受け入れているようだった。  男子は猫耳を気にせず雑談を楽しんで笑い、女子は和気あいあいと猫耳の触り合いっこをして楽しんでいた。  そんな微笑ましい女子の一人が席で頭を抱える日葵に近づいて声を掛けた。 「ねえ、日葵ちゃんの猫耳も触らせてよ」  その言葉に日葵は切れたように立ち上がった。 「もう! 何でみんな平気なの!? あたし達、猫耳になってるんだよ!」 「何でって」 「俺達に何とか出来る物じゃないし」 「可愛いし」 「きっと医者や政府が何とかしてくれるよ」  みんなはわりと呑気だった。  痛みや命に別状が無い物ならそういうものなのかもしれない。陽翔も彼らと同じ気分だった。  みんなと同じだから。そう安心してしまうものもある。  それに学生は勉強で忙しい。  退屈な国語の時間が終わって休み時間になった。 「今日の体育は何だっけ」 「水泳だろ。ほら、男子は教室で着替えるから女子は出て行けー」  日葵はまだ難しい顔をしている。 「ほら、日葵」 「分かってるわよ」  日葵は渋々と出て行った。  数分後、みんなが着替え終わった頃。日葵が教室に駆け込んできた。  大きなタオル一枚を羽織った格好で陽翔に駆け寄った。 「陽翔! あたし、あたし!」 「どうした、日葵」  ただ事ではないことを陽翔は感じていた。日葵は言いにくそうに瞳を震わせて言った。 「尻尾が……生えて……」 「尻尾……?」  日葵は体を回してそれを見せてきた。タオルの隙間から尻尾がにょろんと出てきた。 「確かに尻尾だ……って、日葵?」 「え……?」 「お尻! お尻見えてるよ! 何で水着着てないの!?」 「おおお!」  男子が盛り上がって背伸びをし、日葵は顔を真っ赤にした。 「だって尻尾が生えて……キャアアアア! 見ないでよ!」  日葵のビンタが振るわれる。陽翔はダメージを覚悟したが、その手を止めた手があった。  孝介の手だった。 「おっと、俺の見ている前で陽翔に暴力は震わせないぜ」 「孝介?」 「言っただろ? 俺はお前の味方だって」 「言ったけど……」  それで日葵が困ったことになっているのは良いのだろうか。孝介は日葵のことが好きのはずなのに。 「離して! 離してよー!」  孝介が捻り上げる日葵の腕の下ではタオルの下に隠された日葵の大事な部分が見えそうになっている。陽翔は顔を真っ赤にさせて叫んだ。 「見える! 見えそうになってるから!」 「ふっ? ふえええええ!?」  日葵は顔を真っ赤にさせる。 「いやああああ!」  そして、蹴ってきた。その蹴りをも孝介の手は止めてしまい、彼女をお姫様抱っこしてしまった。  何という運動神経だろうか。こんな状況でもなければお似合いの二人だと思えるのに。  陽翔がどうしていいか分からずにいると、そこに凛とした声が割って入った。 「これはゆゆ式事態ですね」  幸奈がやってきた。彼女はすでにそのお嬢様らしい綺麗な体を学校指定の普通の水着に包み終わっていた。 「幸奈さん?」  みんなが彼女の動きに注目する。  水着姿の彼女はこんな時でも堂々としていた。 「我々はすでにこの学校に猫耳化の中心があることを突き留めていました。まだ確証はありませんが、それはどうやら、日葵さん。あなただったのかもしれません」 「そんな……」  日葵は顔を青くする。彼女が暴れなくなったので孝介は彼女の足を床に下ろした。  陽翔は訊ねる。 「日葵はどうなるんですか?」  幸奈の態度は不安を掻き立てる物ではなく、暖かい優しい物だった。 「安心してください。科学はまさに日進月歩。我々はさらに研究を進め、すでに新しい猫耳化を防ぐ装置を完成させたのです。その名はSCMZ!」 「おお、SCMZ!(エスシーエムゼット!)」  その強そうな名前の響きに誰もが驚嘆し、息を呑む。不安そうな顔を見せるのは日葵だけだった。  猫耳の中心だと言われたのだから無理もない。まだ確証は無いらしいが。  幸奈は優しい慈愛に満ちた笑みを日葵に向けた。 「受け取ってくれますね。日葵さん」 「はい……それで猫耳を防げるなら喜んで」  不安そうながらも鞄を受け取る日葵。その顔が鞄を開けて驚きと戸惑いから軽蔑へと変わった。 「あの、幸奈さん」 「何ですか?」 「あなた本当にやる気があるんですか?」 「どういう意味なのでしょう?」 「だって、これってこれって……」  日葵は鞄からSCMZと名付けられし対猫耳用特殊装置を取り出した。それは見慣れた群青色をしていた。 「ただのスク水じゃないですかー!」  確かにそれはスク水のような形をしていた。と言うかただのスク水にしか見えなかった。  それも昭和のレトロさを感じさせる物で、胸元の白いゼッケンには平仮名で大きく『よこやま』と書かれてあった。 「本当にこれであたしの猫耳を防げるんですか!?」 「我々の科学チームは優秀です! プフッ」 「今吹いた! 吹いたー!」 「吹いてません! とにかく! 決断するのはあなたですよ。ミス横山」 「むうー」  日葵は難しい顔をして考え込んでいたが、決断した。 「どうせ次の時間は水泳だし。その時間だけなら……」  そして、水着を手に教室を出ていった。
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