相生(あいおい)

1/1
15人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
とある夫婦の家庭内風景。 時刻は午後七時。 この二人の間に子供はいない。 仕事から帰った夫はひとっ風呂浴びるとリビングにあるソファーでテレビを見ながら缶ビールを片手にゆっくり寛いでいる。妻は晩御飯の支度でキッチンに缶詰状態だ。 テレビでは地元にある穴場的居酒屋特集をしていて、かつては夫婦の行きつけだったお店が紹介されている。夫はそれを見て過去を懐かしむが妻にわざわざ話しかけるには至らず、黙ってテレビ画面に釘付けになっている。 その時だった、妻のスマートフォンに着信が入る。その着信画面を見て驚きを隠せずにいる妻。画面には『夫』と表示されている。今まさに目の前にいる夫は、テレビを見ているだけで電話をかけているわけがないのにも関わらず。 結婚して二十年以上経過しているこの夫婦は、普段から必要最低限の会話しかしない。だから妻はそんな場面でも夫には何も言わずに電話に出てみるのだった。 「はい……もしもし」 「おまえの声が聞けて嬉しいよ……」 それは確かに夫の声だった。それに加えて相手の話す内容が夫自身にしかわからないことばかりだったので、妻は本当に夫からの電話だと確信するに至る。夫が一方的に話し続けているようで、妻はただ相槌を打つばかり。 五分程後、電話を切った妻は、瞳が潤んで半ば放心状態のようになっている。きっと何か心に訴えかけてくるようなことを言われたのだろう。 夫はというと、テレビに釘付けになっており、この異常事態にまだ気づいてはいない。 妻はあまりの出来事に、料理の支度を一旦放棄し、目の前にいる夫に話しかける。 「あなた……、私、あと一年もすれば、死んじゃうんだって。さっき、あなたから電話があって。大切にしてやれなくてごめんて……、そう言われたの!」 「おまえ……、いったい何を言ってるんだ。俺は今ここにいて、おまえと電話なんかしていなかっただろう」 夫は妻がボケてしまったのではないかと、一瞬本気で心配してしまう。 その直後、家のインターホンが鳴って、誰かが家を訪ねて来たようだった。妻が動揺して動けずにいるので、夫がインターホンに出る。 「はい…どなたですか?」 「俺だ。おまえ自身だ。さっき妻と電話で話をした俺だ。きっとおまえは信じないと思ったから直接訪ねることにしたんだ。俺は一年後の未来から来ている。これは本当の話だ」 夫は新手のオレオレ詐欺かと動揺しつつも、さっきの妻宛の電話もなんだかんだ気になる。迷う間もなく玄関の扉を開け、訪問者と対峙した。 そして目の前にいる人物が紛れもない自分自身であることを認識すると、夫は腰が抜けそうになる。なんとか正気を取り戻した妻が近づいてきて倒れそうになった夫を支えると、"未来夫"はすかさず、「少しでいい、話を聞いて欲しいんだ」そう言って二人に仰々しく頭を下げたのだった。 それから三人で"最後の晩餐"となった。妻の手料理を食べながら、二人の夫が真剣な眼差しで語り合っている。 あと一年で妻はがんで死んでしまうということ。今の内に治療すれば助かるかもしれないこと。一度失うともう愛を交わすことも傷つけ合うことも叶わないということ。二度と触れることができなくなるということ。だから今日一日を大切に思いやり合うべきなんだということ……。未来夫は切々と現実夫に伝えるのだった。現実夫はその思いを全面的に受け入れる事になる。 でも未来夫がこの現実に止まれる時間はほんの一時間程度しかなかった。全てを話し終えると、 「そろそろあの御神木に行かないといけない。初詣に毎年二人で参拝していたあの神社にある"相生(あいおい)の木"に。そこから元の世界に戻らないといけない」 夫婦は未来夫を見送るために、御神木までついていくことにする。 御神木はまるで雷が落ちて裂けてしまったかのように真ん中から真っ二つに割れた状態でまっすぐに空へと伸びる二本柱だ。ただ根元ではしっかりと一つにつながっていて、全体をビクともしないように支えている。その様は夫婦二人が寄り添う姿さながらだったので、夫婦愛のパワースポットとして人気を博している全国的にも有名な場所だった。 久しぶりに御神木を目の当たりにした夫婦は気がつくと手を繋いでいた。そして未来夫は潤んだ瞳で妻に握手を求めると、お別れの言葉を口にする。 「今夜の手料理、とても美味しかったよ。まさかもう一度おまえの手料理を食べることができるなんて思ってもいなかったから。ありがとう。それじゃあ、もう行かないと……さようなら……。どうか、夫婦仲良くやっていってくれ」 そう言うと未来夫の姿はすぅっと遠ざかり、御神木の裂け目に吸い込まれるようにして消えていったのだった。 「行ってしまったな。明日の朝一、一緒に病院に行こう」 夫は死期の迫る妻を気遣った。 ※ 早い段階でがんの見つかった妻は最新治療のおかげでがん細胞の完全切除に成功。未来夫のおかげで、妻を失う前にそのかけがえなさを理解した夫は、妻が一命をとりとめた後も日々末永く、最大限の思いやりを注ぐのだった。 二人の日常に、他愛のない会話は耐えることがなかった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!