愛寿-あんじゅ- ~あなたのママになってもいい?~

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 子犬に逢いに行くと決まったからと言って、私の日常がなんら変わることはなかった。  相変わらず、基礎体温を記録し、食生活にも気を配り、どれだけ片頭痛に悩まされても薬は飲まずにひたすら我慢する。  街で妊婦や小さな子供を抱いた母親を見かけてはつい目で追ってしまう私の眼差しは、今では羨望か嫉妬かわからないものになっていた。  我が子への虐待が報道されるたびに、あんな人間でも親になれたのに何故自分はなれないのかと、激しい憤りを感じてまた泣いた。  そんな毎日の中で、子犬のことなどすっかり忘れていたある日曜日の朝、私は夫に急かされるままに身支度を整え運転する夫の助手席に座っていた。  犬に逢いに行くのだと知らされたのは車に乗ってからで、どうやら夫なりの軽いサプライズだったようだ。夫があまりに嬉しそうに言うものだから、笑って見せたものの内心どうでもよかった。  犬に関心がないのは初めて話を聞いた、1カ月前も今も変わっていない。それにもしもこの先私が妊娠することがあれば、犬の毛は赤ちゃんに不衛生なのでないかという心配もあった。夫は仕事で普段家にはいないのだから当然、世話をするのは私ということになる。 散歩にも行かなくてはならないし、万が一犬が赤ちゃんを襲うようなことがあったら―なんてことを想像するだけで気が重くなった。  どれだけ考えても、犬を飼うなど今の私達夫婦にとって百害あって一利なしの状態なのに、夫はなぜ犬に執着すのか不思議で堪らない。  それでも隣を見れば、上機嫌で鼻歌を歌う夫にとてもはないが今の私の本音を言える雰囲気ではない。  車が高速道路に入り、景色が都会のビル群から緑の木々に変わると共に、徐々に空が大きくなった。からりとした秋晴れの空が、どんよりとした私の心をあざ笑っているかのように感じ、更に気持ちは沈んだ。  隣で夫が色々話をしていたが、どれも空返事で返し、話しの内容などなにひとつ入ってこないまま1時間と少し経ち、山を少し登った辺りで車はようやく止まった。  周囲は樹々が生い茂り他に家らしいものもない。  こんなところで生活をしているなんて、変わり者に違いないと心の中で悪態をついた。  夫が呼び鈴を鳴らすと、すぐに玄関から人の良さそうな中年男性が現れた。
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