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第2部
第7章 冴子
高校の入学式の日、指定された自分のクラスに行くと、前に座っている女子になんとなく見覚えがあったので、後ろから背中を突いてみた。
「小枝子でしょ?」
振り返ったその顔はやっぱり小枝子だった。
「やだ! 冴子?」
「やっぱり小枝子だ。小枝子もこの高校に来たの?」
「うん!」
「一緒のクラスだなんて嬉しいね!」
「ね!」
小枝子は小学校の時、仲の良かった友達だった。中学では学区が違ったので一緒の学校ではなくなったので、それで疎遠になってしまったけど、3年ぶりの再会はその離れていた時間を全く感じさせないくらい、二人はすぐに打ち解けた。
―小枝子と冴子―
私達は同じ名前だった。正確には名前の読みが同じだった。それで小学校の時もすぐ仲良くなった。名前が同じだからと言って、何か特別なことがあるというわけではないけど、一緒に帰ったり、一緒に勉強したり、学校での行動がいつも一緒になった。私が小枝子を追い掛けたのか、小枝子が私を追い掛けたのかはよくわからないけど、私達はいつも一緒にいた。私はそれが高校でもきっと再現されるだろうとその時思った。
それから私達はいつも一緒にいた。やっぱり入学式の日に予想した通りになったと思った。そしてその日も、一緒にテストの準備をしようということになって、それで小枝子のうちで勉強をすることになった。小枝子はとても勉強が出来た。それで私はいつも教えてもらう立場だった。数学の試験範囲の最初の一ページ目でちんぷんかんぷんだった私が、なんなく全範囲をクリア出来たのは、やっぱり小枝子のおかげだった。私はいつも小枝子におんぶされているような自分が申し訳なくて、また悔しくもあって、いつか小枝子に何かしてあげたいと思っていた。それで私にも出来ること、それが何かないかなといつも気にしていた。
(私に出来ること……やっぱり男の子のことかな?)
勉強が終わって、じゃあ何をするっていうことになって、私は無意識に本棚で目に付いたアルバムを引っ張り出していた。
「あ、これって、小枝子の中学のときのアルバムでしょ?」
「あ! だめだってば」
私はそんな小枝子の取り乱した顔を初めて見たので、これはきっと何かあると思って、強引にそのアルバムをカバーから引き抜いた。
「小枝子ってどのクラス?」
「……3組」
私は一気にそのページまでアルバムをめくると、小枝子の姿を捜した。
「あ、いたいた。小枝子、今と変わらないじゃん」
「もう」
私達は女子高だし、学校のある場所も繁華街とはほど遠い山の中にあったので、男の子と知り合う機会など、ほとんどなかった。しかし、それにしても男の子の話を全くしない小枝子に、どうしてだろうと興味があった。だから中学の時のアルバムに過敏に反応したことに、きっとそこに答えがあると思った。
「好きな人がいたんでしょ?」
「え?」
「図星だ!」
小枝子は急に狼狽しだして、無理にアルバムを私から奪おうとしたので、そのアルバムに彼女が好きな子が写っているんだと確信した。
「えー、どの子? 教えて」
「知らないよ」
「いいじゃん」
それから小一時間、私達は悪戦苦闘した末に、やっと彼女はある男の子を指差した。
「絶対内緒だからね」
「へー、この子なんだ」
「へーって?」
「小枝子が男の子を好きになるなんて意外だったし、小枝子が好きになる子ってこういう子なんだなって」
「なにそれ」
「今も好きなの?」
「え?」
「今でも好きなんでしょ」
「もう」
学校で一、二番の成績を争う小枝子だって、やっぱり普通の女の子。別に誰かを好きになったって、おかしいというわけではなかった。そう思うと私はそのことが何だか嬉しくなった。
「ね、この子どんな感じだったの?」
「どんなって?」
「この子と同じクラスだったんだから、色々とエピソードがあるんでしょ?」
「うん。まあね」
「じゃあ聞かせてよ。どんなことがあったのか」
それで小枝子は、その男の子の中学での話を色々と話し始めた。
第8章 小枝子
冴子に女の子だけの集まりがあるから来ないかと誘われた。学校でも女の子ばかりなのに、それに加えて何の集まりか知らないけど、そこまで女の子だけということにこだわる必要があるのかと思った。しかし、結局その集まりに私は参加してしまった。私は初めての参加におどおどしていたが、冴子はもう何度目かだったらしく、その中の一人と随分親しそうに話をしていた。
「あ、紹介するね。こちら山野葉月さん」
冴子と仲良く話してたその子が、私を見て会釈した。私もあっと思って、少し遅れて頭を下げた。
「それでこちらが、よく話に出てた小枝子。私と同じ名前のさえこ」
「あ、あなたが」
そう言ってその子が少し笑った。
「冴子、私の事何を言ったの?」
冴子が首を大きく横に振りながらおどけて見せた。
「冴子さんから素敵なお話を色々と伺っていました」
私は冴子が何の話をこの子に言ったのか気になったが、冴子は私のところから逃げるようにして他の女子のところに行ってしまったので、それでその話は終わりになった。 私のところにはその子が一人残った。私は何を話していいのかわからなくて、ずっと黙ったままだった。すると暫くしてそこへ冴子が戻って来た。
「やだ。二人ともお見合いみたいに黙っちゃって」
「え?」
「あ、女同士でお見合いなんて変だね。例えるならお通夜か」
(お通夜だなんて、まるで誰かが死ぬみたいな話をして)
私はその女子だけの集まり―と言っても単なる立食パーティーに小一時間ほど参加しただけで、すぐにそこをおいとました。レポートの課題があった。それに知らない人と話をすることに関心がなかった。冴子は私とは一緒に帰らずにそこに残った。私が帰る時にもあの葉月という子と楽しく話をしていたので声を掛けることはしなかった。 翌日学校に行くと、すぐに冴子が寄って来て、昨日のあれからの話を始めた。
「小枝子急にいなくなっちゃうから」
「ごめんね。葉月さんと楽しく話をしてたので声を掛けなかった」
「うん。盛り上がったよ」
「どんな話をしてたの?」
途中で帰ってしまった手前、私は冴子の話を聞くことにした。
「聞きたい?」
(どうでもいいかも)
「うん!」
それから冴子は水を得た魚のように昨日のことをしゃべり出した。冴子は自分と葉月という子の一人二役でしゃべりだした。しかし、話を聞く限り、それは一方的に冴子がその子にしゃべりまくったように感じられた。
「この前ね、知り合いの高校の文化祭に行ったの。そうしたら帰りにその文化祭に来てた他の学校の男子に声を掛けられちゃったんだ」
「うん」
「それでね、君、ここの生徒じゃないよね、なんて言うから、そこの学校の制服を着てないし、文化祭をやってる途中で学校から帰ろうとしてるんだから、ここの生徒のわけないじゃないって思いながら、それでも、うんって言ったの」
「うん」
「そうしたらね、さっき私のこと見掛けて、それで捜しちゃったって言うの。さっきっていつの話よって感じでしょ?」
「うん」
「でも、そんなこと言えないし、とりあえず、そうなんですかって無難な返事をしたの」
「う、ん……」
「そうしたら、帰るんだったらちょっと駅前で遊んで行こうよっていうことになったの。それで一緒に遊んじゃった」
冴子の話だと、冴子に声を掛けた彼らも中学の時の同級生の文化祭に招待されて来たら、凄い混みようで、とってもいたたまれず逃げ出して来たとのことだった。それでたまたま前を歩いていた冴子を見て声を掛けて来たということだった。冴子は彼らに誘われるままにカラオケに行ったらしい。そしてカラオケの最中に、携帯の番号とメールアドレスを交換して、それ以来連絡を取り合ってるらしかった。
「でもね、私達付き合ってるわけじゃないよ」
冴子の男友達の話は尽きなかった。そしていつも最後はその子とは特別な関係じゃないからと締めくくっていた。
「カラオケには何人で行ったの?」
「こっちは一人で向こうは三人」
「一人で? 凄い!」
「なんで?」
「だって怖くない?」
「うん」
冴子は鈍感と言うか勇気があると言うか、怖いもの知らずと言うか、こういうことに無頓着だった。私だったら初めて逢った男子には一人では絶対についてなど行かなかった。
「メアドは三人と交換したの?」
「まさか、そんな私、不節操じゃないよ」
「はあ?」
冴子の口からそんな言葉が出るとは思わなかったので、私は呆れた。
「その中の一人だよ」
「誰?」
「私を捜したって言った子」
冴子の高校生の時はいわゆるモテ期で、通学の途中や、カラオケ、普通に町を歩いていても、よく男子に声を掛けられた。しかしその中で冴子が反応したのは、何故かいつも決まった感じの子で、その誘い文句が一定の法則に従っていたことを私はやがて見つけた。そしてその法則を或る時冴子に言ったことがあった。
「冴子のタイプってなんかいつも決まってない?」
「どんなこと?」
「なんか、決まった誘い方をされた子にいつも興味を持ってない?」
「どんな子?」
冴子は、「なんか君って僕が捜してた子なんだよね」とか、「ずっと君のような子を待ってたんだ」とか、そんな言い回しに反応していた。冴子が私と一緒にいても、そんな誘いを受けると、カラオケだけだからいいでしょっていう感じでついて行こうとしたことが何度もあった。その度に、ああいう人は遊び人だから行っちゃだめよと戒めたことがあった。容姿やその人から発する何かに魅かれるのではなくて、何かその言い回しに冴子が反応するのは、どうしてなんだろうと、私は思った。そこで私が気が付いたのは、男の子って結局みんな同じで、みんな同じような誘い方をするんだなあっていうことだった。狩猟本能がそうさせるのか、追い掛けるような対象に男の子は魅かれてしまうのではないかと思った。そして私は、女子の方からそのキーワードを使って誘ってみたらどうなるのだろうかと思った。
―私を捜して―
私はこの思いつきを冴子に話した。すると意外なほど冴子はその話に関心を示して、それを実践してみようと言い出した。
「やめなよ。そんなこと」
「何言ってるのよ。面白そうじゃん。それに言い出したのは小枝子だから」
「それはそうだけど……」
結局冴子は私の冗談を本気にして、私の制止も聞かずにそれを実行した。結果、その「私を捜して」というキーワードは見事、殺し文句になった。冴子がゲームセンターでこの子どうだろうって目星をつけて、そのキーワードを投げ掛けると、その子は必ず反応して寄って来た。それは遊び人風の男の子だけではなく、真面目な感じの子も同じだった。次はそれが図書館で実行された。隣で勉強している子に冴子がメアドを添えて、あのキーワードが書かれたメモを渡すと、必ずと言っていいほど、その日のうちにその子からメールが送られて来た。
冴子はゲーム感覚でそのことを繰り返した。だから、男子から次々とメールが来ることだけを楽しみにしていて、彼らと付き合う気なんてさらさらなかった。冴子は暫くその遊びを続けていた。そしてそれがいい加減に飽きた頃、私は冴子と同じ大学に進んだ。推薦で今の高校の上の女子大に行くことは出来たのだが、敢えてそれはしなかった。冴子と相談して、もう女子だけの世界は卒業することにした。それで共学の四年制の大学に私たちは入学した。
第9章 影山
「着いたよ」
どれくらい寝ていたのだろうか。父がいきなり僕を旅行に誘ったと思ったら、どうやらある女性を紹介したかったということだったらしい。僕が逃げられない状況を作り出して、そこでご対面という企てのようだった。そこは大きな駐車場だった。そこには雨の中、観光バスが何台も止まっていて、多くの人が列をなしてどこかへ向かっていた。
「ここが平泉?」
「ああそうだよ」
僕達がそれぞれ傘を差して車を降りると、そこに傘を持たない女の人の二人連れが現れたかと思うと、一人ずつそれぞれの傘の中に入って来た。
(え!)
父の傘の中には父より少し若い感じの女性が、そして僕の傘の中には僕と同年代の女の子が少し緊張した面持ちでいた。
「あ、孝司、紹介するよ。山野さんだ」
(誰?)
「お前に会わせたかったんだけど、なかなか機会がなくて」
父がずっと女の人と付き合っていたのは知っていたけど、それがこの人だったのかと思った。
「本当はちゃんとした席で紹介したかったんだけど、お前の都合がなかなかつかなくて」
確かに僕はそんな父の雰囲気を悟って、その機会をことごとく壊していたことは事実だった。
「孝司さん、はじめまして」
その女の人が僕を見て、そう挨拶をして来た。感じのいい人だった。父が好きになるのもわかると思った。
「それからそちらが娘の葉月です」
僕は急に隣にいるその子を意識した。
「はじめまして。葉月です」
「どうも」
そう僕が答えると、その子は笑った。僕の愛想のない挨拶はいつも笑われる。
「孝司、葉月さんはお前と同い年だ」
「うん」
(同い年だからどうなの?)
「でも、お前の方がお兄さんになるのかな」
「お兄さんて?」
「誕生日はお前の方が先だと思う」
(え?)
「私の母とあなたのお父さんが結婚するのよ」
(そういうことか)
どうやら僕以外の三人は既にその気でいたらしかった。僕一人が蚊帳の外にいたのだった。今日の顔合わせは交際宣言程度のものかと思っていたけど、そうではなくて結婚しますという報告のための顔合わせだったのだ。
父と新しく父の奥さんになるその人は、仲良く相合傘でずっとおしゃべりをしていた。
「この坂道結構急ね」
「天気も悪いから、足元を気を付けないと」
「お土産は降りて来たら買おうね」
一方僕は、初めて会った葉月という子と窮屈な相合傘でずっと無言のままだった。何かをしゃべらないと悪い気もしたが、話題がまるで見つからなかった。初めて会ったのだから仕方ないと思いながらも、まさか趣味は何ですかみたいなことは場違いな感じもしたし、この先の道中をどうしようかと思った。そんなことを考えていた時に、彼女から急に話題を振って来た。
「雨なのにすごい人ね」
「うん」
「平泉って、やっぱり有名だから?」
「うん」
「ここでは何が特に有名なの?」
「え、なんだろう」
「今向かって行くところが有名なのかな?」
「そうかも」
でも、なかなか会話にならなくて、彼女が前を歩く二人に声を掛けた。
「ねえ、お母さん、ここって何が有名なの?」
するとそれには父が答えた。
「やっぱり金色堂かなあ」
「金色堂?」
「国宝で、現世に極楽浄土を現わしたものだと言われているんだよ」
「それって京都の金閣みたいに金なの?」
「ははは。それは見てからのお楽しみだな」
「え、じゃあ今向かってるのがそこ?」
「ああ、そうだよ」
彼女は何故かとても喜んでいた。けれど、僕は、こんな雨なのに大勢の人がこの急な坂を登って、その金色堂に向かっているなんてご苦労なことだと思った。ぬかるみに足を取られて、靴が脱げている人もいた。
「雨でなければなあ」
傘もぬかるみも、僕にはうっとうしかった。
「五月雨の降のこしてや光堂」
父が急に俳句を口にした。
「何それ?」
「芭蕉だよ。知らないかい? この句」
「聞いたことはあるような気がする」
「聞いたことはあるか」
父が苦笑した。
「その句は今頃詠まれたのかしら?」
「どうして?」
父とその人がまた二人の世界に入って行った。
「五月雨って五月の雨でしょ? まさに今日の日じゃない?」
「そうだね」
僕がちょっと呆れた顔をしたのだろうか、葉月さんが僕を見て再び話し掛けて来た。
「あの二人仲がいいね」
「だね」
これから結婚する二人なのだから、確かに仲がいいに超したことはない。
「その光堂って何ですか?」
今から質問するからね、という仕草を僕にして、彼女は父にそう聞いた。
「光堂はこれから行く金色堂のことを指しているんだよ」
僕達4人が平泉で会って2週間後、山野さんと葉月さんがうちへ引越して来た。本当は半年くらいかけて徐々にうちへ移って来るはずだったらしいのだが、向こうの賃貸マンションの賃料がばかにならないということで、うちの一戸建てにさっさと引越して来てしまったのだった。男二人だけだった家が途端に華やいだ。山野さんは明るくて優しい人だったし、料理の腕も抜群だった。そして僕の妹? になる葉月さんもとても感じのいい人だった。父と僕の生活は急にばら色になった感じがした。
「夕食が準備出来ましたよ」
1階から山野さんの声がした。
「はーい」
僕は感じ良く響く声でそう返事をすると、一階へ降りて行った。階段を降りる途中から美味しそうな匂いがした。今日はシチューかなと思いながらキッチンへ行くと、山野さんと葉月さんの優しい笑顔が待っていた。僕は心の底から笑顔が込み上げて来る自分を実感していた。
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