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第10章 葉月
私は、所謂引きこもりだった。
―引きこもり―或る朝、目が覚めると突然学校に行きたくなくなっていた。今まで普通に付き合っていた友達とも会うことが億劫になっていた。それからの私は、唯一自室のパソコンから外の世界と繋がっていた。その時、私は偶然あるブログを見つけた。
―私を探して―それはそういうタイトルだった。
私は、「探して」は「捜して」じゃないのかとコメントを書いた。するとその人から、ありがとうと返事が来て、それでなんとなくメールのやり取りが始まった。その子は冴子といった。冴子は外の世界を色々と教えてくれた。私が決して行くことが出来ないような繁華街の話もよくメールで話してくれた。
或る時、彼女は私に人を好きになったことがあるのかと聞いて来た。私はないと即答した。すると彼女は自分の友達でこんないじらしい恋をしている子がいるという話をメールで送ってくれた。私はその話に夢中になった。そしていつしかそこに出てくる男の子が好きになっていた。
私と冴子は一度だけ会った。ずっとメールで話をしているのだから、一度会ってみないかということになった。正直私は怖かった。もしかしたらその人は女の子ではなくて、男の子かもしれないとも考えた。でもメールだけのやりとりだったけど、長い時間を掛けて私達はしっかりと信頼関係を築き上げて来たし、それに万が一男の子だとしても、あんなに素晴らしい話をしてくれる人に悪い人はいないと思った。
でもそんな心配なんかまるで笑い話になった。彼女が誘ってくれたのは女子会だった。女子会には女子しか来られない。彼女が男子であるわけがなかった。彼女はその女子会に参加するに当たって、私にプレゼントをくれると言った。何だろうと思った。するとそれは私がとても気に入ってたあの恋の話の当人を呼んでくれたのだった。彼女は冴子と同じ読みで小枝子さんといった。私はもしかしたらその相手も来るのかと期待したけど、女子会に男子が来るはずがないと改めてそう気が付いてちょっとがっかりした。
女子会で実際に小枝子さんに会うと、やっぱり素敵な人だった。私は小枝子さんを紹介してもらって、とても嬉しかった。実在した人の話だったということは、あの彼の話も本当のことなのだと胸が高まった。すると私は小枝子さん本人に彼のことを尋ねてみたくなった。でも出来なかった。ところが私にはその会場に来るまでがどうやら限界だったらしく、それから調子が悪くなって、別室で休ませてもらうことにした。せっかく招待してもらったのに冴子にも悪い気がした。
私はその後暫く冴子に連絡が取れなくなり、次に連絡をした時は病院に入院した時だった。冴子は気を遣ってお見舞いには行かないねと言った。せっかくリアルの関係が始まるかもしれないと思ったのに、やっぱりヴァーチャルな関係でしか私は人間関係を構築出来ないのだと痛感した。
ところが私の身辺が大きく動いた。それは母の再婚だった。まさかと思った。私のことをずっと守ってくれていた母が、いつも頼りにしていた男の人と結婚をしたいと言い出した。私は母に以前からそういう人がいることは薄々知ってはいたが、前にも一度このような話が持ち上がり、それが破談していたことがあった。だからお付き合いということはあったとしても、まさか本当に結婚をするとは思ってもみなかった。きっと母も寂しかったのだろうと思う。女一人で子どもを育てて行くことは大変だったろうし、これからの生活も女手一つでは大きな不安があるのだろうと思った。けれど新しい人をうちに入れるということには、その思いとは逆に大きな抵抗があった。
「一緒には暮らさないのよ」
「どういうこと?」
「籍は入れるの。でもね、葉月のこともあるし、一緒には住まないの」
「いいの?」
「通い婚っていうのかしら、それでいいと思ってるから」
「それでいいの?」
「だってこれで歴とした夫婦には変わりないでしょ?」
母がそれでいいと言うのなら、と私も母の再婚に合意した。相手は父一人、子一人の家庭で、子どもは私と同い年の男の子だった。私にはそれも同居に抵抗がある理由だった。もしそれが女の子だったら違っていたかもしれないと思った。勿論、母の幸せを願うのは娘の当然の役目だと思った。そこで一度4人で会ってみてはどうかと提案した。母は驚いた。私がそんなことを言い出すとは夢にも思っていなかったようだった。しかし、その機会を逃してはいけないと思ったらしく、先方に連絡をして、旅行がてら顔合わせをするということになった。
「別々の車で行けばいいよね?」
母が私を気遣ってそう言ってくれた。
「別々の車で?」
「もし会ってみて反りが合わなくても、別々に行動できるし」
「うん」
「葉月、どこへ行きたい?」
母のその言葉に私はどこがいいだろうかと迷った。行き先までは全然考えてはいなかったからだ。と言うよりも、そもそも行きたいところなどなかった。しかしその時に、私の脳裏に冴子から聞いたあの話のことが思い浮かんだ。
―平泉の金色堂―
「平泉がいい」
私は思わずその場所を口に出していた。
「平泉って岩手でしょ? 遠くない?」
「でも、そこがいい。そこ以外なら行かない」
初めて会う人と、うまく打ち解けることが出来るかを見定めるための旅行が、そんな遠くの場所だということに母は難色を示した。万が一、相手が嫌なタイプだったという時の場合を考えると、もっと近場のほうがいいように思ったのだろう。しかし、私は頑なに平泉がいいと主張したので、そのことを先方に告げて、そして平泉に行くことになったのだった。でも私は違う意味でその場所に行くことを楽しみにしていた。そこに何かがあるわけではなかったけど、そこに行くことで何かあの話の一部に私もなれるのではないかという思いがあったからだった。
第11章 小枝子
「冴子、ずっと前に女子会で会った子だけど」
「いつだっけ?」
「葉月さん……って言ったっけ?」
「葉月?」
「うん」
「もう付き合ってないよ」
「そう?」
「うん。でも葉月がどうしたの?」
「冴子、あの子に私のことしゃべったでしょ?」
私は冴子にずっと気になっていたことを聞いてみた。
「うん」
「やっぱり」
「どうして?」
「私に初めて会った時、あの子、好奇の目で私を見てたもの」
「そう?」
「うん。まさか、あのことはしゃべってないでしょうね?」
「あのことって?」
「中学のこと」
「あ、あれ、しゃべっちゃった」
「え!」
「でも実名は出してないよ。だって私も彼の名前忘れちゃったしね」
「そういう問題じゃなくて」
「どういう問題?」
「なんでしゃべったの!」
「なんとなく」
「もう!」
私が後悔してたこと。それは影山君の思い出をつい冴子にしゃべってしまったこと。そして、私が気になってたこと、それは冴子が影山君のことを他の人にしゃべってしまうことだった。しっかり口止めはしたつもりが、相手が大人しい葉月さんだから大丈夫だろうと思ったらしく、彼女にはそっくりそのままのことをしゃべってしまったらしい。しゃべったと言ってもそれはメールでのやりとりで、しかも影山君の実名は出してないから、それが変な噂になることはないだろうと思ったらしい。
「そう言えば、あれからサークル出てる?」
私と冴子は大学のあるサークルに入った。私はその新入部員歓迎パーティーに出て以来、そこには顔を出していなかった。
「私は出てない。小枝子は?」
「私も」
「あの時知り合った男子の反応がいま一つで」
「反応って?」
「メール送ってるんだけど、どの子も反応が鈍くて」
「メールってまさか例の?」
「うん」
「まだやってるの?」
「まだって、久しぶりにやったんだよ」
「もう止めたって言ってなかった?」
「止めたよ。でもまた始めたの」
「誰に送ったの?」
「歓迎パーティーで知り合った男子三人に」
「三人も?」
「うん。三人だけ」
「誰と誰と誰?」
「誰も覚えてないよ」
「え?」
「顔も名前も覚えてない。ただメアドだけしっかり覚えておいて、それであのキーワードを送るの。だから後腐れないっていうか、楽しく遊べるんじゃない」
「酷くない?」
「そうかな?」
「止めなよ」
「心に来る返信がないから、どうせこれもこれで終わりだよ」
私はいつか冴子がこのことで何か事件に巻き込まれるのではないかと心配していた。冴子が単なる遊びでやっているその行為が、相手には単に遊びには留まらず、それでストーカーみたいなことになって、それで冴子が酷い目に遭うのではないかといつもハラハラしていた。
「平気、平気、もうやらないから」
「ほんとだよ。もう止めてよ。心配だから」
「はーい」
その返事が頼りなかった。
(ケース1)
―私を捜して―
なんだろうこのメール、意味不明。誰からかもわからないし、怪しいメールに以前うかつに返信してしまったことがあって、それが原因で不当請求のメールがしつこく届いたことがあった。それ以来、知り合いからのメールでも注意して、やたらに開けたりしなかったのだけど、このメールに限っては、何か引っ掛かるものがあって、不用意に開いてしまった。開けた瞬間に、「しまった!」と思った。内容は意味不明なもので、メールを開けたことによって、何かこちらの情報が向こうに届いて、これからしつこく変なメールが届くのかなと戦々恐々としていたのだけど、それ以降、そういうメールは一切来なかった。ではこのメールはいったい何なんだろうと気になりだして、それもうかつに「誰?」とメールをしてしまった。でもそのメールに返信は来なかった。
(ケース2)
朝起きると迷惑メールの中に紛れて、一通だけ件名のないものが紛れていた。前は件名のないメールに怪しいものが多かったけど、今は却って、もっともらしい件名のあるメールの方が怪しいものが多く、その中で敢えて件名を書いてないメールが気になってしまった。それでそれをついクリックしてしまった。
―私を捜して―
(なんだこれ?)
誰だろうと送り主を確認しても、見慣れないメールアドレスしか表示されず、それは僕のアドレス帳にはないものだった。結局誰からのものかわからないメールは、どうしようもなく、そのまま放置した。
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