私をさがして

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第12章 葉月 「さっきから携帯ばかり気にしてるけど」  彼が携帯をずっと気にしているのを見て、私はそう言った。 「朝食は大事な一日のエネルギーを供給してくれるんだから、しっかり食べてね」 「うん」  彼の朝食は私が作った。最初は私の母が作っていたのが、いつの間にか私の仕事になっていた。彼はそれを最初、私の厚意だろうと思っていた。しかし、私の母が、それは葉月の仕事だからしっかりやりなさいねと私に言ったのを聞いて、それが母の言い付けだと知ったようだった。 「ごめんね。なんか僕の為に」 「こうでもしないと、私お昼まで寝ちゃうから」  彼が状況を察して、申し訳なさそうにそう言って来たので、私はそう答えた。 私は彼には学力不足で通信制の大学に入学したと話していた。通信の単位は、夏と年明けにレポートを二度送って、夏休みに数日スクーリングを受ければ取得出来た。だから普段の時はダラダラと家で過ごす日を送ってしまうのが常だった。一旦大学に入ってしまうとみんなが受験の反動で気が抜けてしまって、だらけてしまっていたので、私も同様にそうなってしまったのではないかと彼は心配しているようだった。そして母にしても同様に私を心配して、私に喝を入れるために、彼の朝食を作ることを申し付けたのだと理解したようだった。 「迷惑メールでも来たの?」 「うん。そんなところ」  私が見せてというように彼の真横に行ったので、彼はそのメールを画面に表示させた。 「これなんだけど」 ―私を捜して―  そこにはたった一言それだけが表示されていた。 「何これ?」 「でしょ? 何だかわからない」  彼はそう言ってその画面を閉じた。 「誰かの悪戯?」 「差出人のメアドは知らない人だしね」 「じゃあチェーンメール?」 「個人の携帯から送られて来てるから、そうかもね」 「そっか」  私はその話を聞いて一瞬送り主は冴子ではないかと思った。しかし、次の瞬間、そんな偶然はあり得ないと思った。確かに以前、冴子からそのような悪戯メールを知り合った男子に送って、その反応を楽しんでるという話を聞いたことがあったけど、それはずっと前の話だった。 それに冴子と彼は直接の知り合いではないし、また今は遠くに住んでいて、どこかで知り合うことはまずないと思った。それで私はそれはチェーンメールだろうと推測した。  私はずっと母と二人暮らしだったので、急に知らない男性二人と同居することがどんなことになるのかを母は心配していた。しかし、それは取り越し苦労だった。私の新しい生活には、母の新しい旦那さんの存在はそれ程影響を及ぼさなかったからだ。いい人には違いがなかったけど、空気のような存在だったからだ。寧ろ私の生活は、彼の存在で大きく変わることになった。でもそれは素晴らしい変化だった。私は彼の存在で本当に生き返った気がした。私の生活は彼の生活のリズムできっちりと制御されて行った。そのおかげで不安定だった心の状態もみるみる良くなって行った。  私の一日は彼の朝食を作ることに始まった。それが朝早く起きる目的を持たせてくれて、しっかりと毎日のスタートを切ることが出来た。母と二人暮らしの時は、母がいつ仕事に出て行ったのかも知らない状態で、時には夜まで布団の中にうずくまっていたこともあった。それが二人と同居したことで、私の生活スタイルが、どんどん良い方に変わって行くことに母は本当に感動していた。 私が彼の朝食だけではなく、母と母の旦那さんの分も作るようになって一週間くらい経った日のことだった。その日は日曜日にも関わらず、いつもの癖で早くから目が覚めてしまって、キッチンで朝食を作っている時だった。 「おはよ」  後ろから声を掛けられたので、振り返るとそこに母が立っていた。 「葉月、今日は日曜日よ」 「うん、わかってる。でもつい目が覚めちゃって」  私がまな板の上でお味噌汁に入れる豆腐を刻んでると、それを柔らかい笑顔で見つめながら母が言った。 「葉月最近変わったね。生きる力に溢れてる。凄いわ」  母の目が潤んでいるように見えた。でもそれは今私が刻んでいるネギの汁が目に入ったからだと思った。 「頑張ってるかはわからないけど、今はしっかり生きてるっていう実感があるよ」 「頑張ってるよ」 「意識的に頑張ってるつもりはないの。だから続けられるのかもしれない」 「ママ、結婚して良かったんだよね?」 「え?」 「ママの結婚は葉月にも良かったんだよね?」 「うん」 「葉月に無理させてないよね?」 「うん」 (あ!)  私が包丁を持っていて危ないのに、母が真横から私を抱き締めた。 「お味噌汁が煮詰まっちゃうから」  私がそう言って母の腕を振り解くと、母はお茶碗を食器棚から出し始めた。 「いいよ、座ってて」 「うん。でもこれくらい手伝わせて」  母と朝食の準備が終わる頃、二人がキッチンに降りて来た。母は旦那さんの横に、私は彼の横に座り、家族全員がテーブルにつくと、その日は四人の朝食が始まった。 「こうして四人で朝食なんて初めてかな?」 「あ、言われてみればそうだね、父さん」  二人の会話を母と私は笑顔で聞いていた。私はずっと以前からこの四人がこうやって一緒に生活をしているような気持ちになっていた。 「それ取って」  母の旦那さんがそう言うと、母が醤油を手渡した。その醤油は目玉焼きに掛けられた。 「あ、それ取って」  彼が続いてそう言った。母が再びその醤油を手渡そうとすると、私がケチャップを手渡した。 「え?」  母の動きが止まった。 「葉月、孝司さんは目玉焼きに醤油を掛けたいんでしょ?」  彼は苦笑いをしながら、私が手渡したケチャップを目玉焼きに掛けた。それを見て母が笑った。 「あなた世話女房みたい」  私はその言葉を聞いて耳が熱くなるのを感じた。でも今は髪をロングにしているからそれはばれないだろうと思った。  こうして私は彼のために朝食を作り、時々は家族のためにも作り、それから彼を大学に送り出し、それから洗濯をしながら食器を洗ったり、部屋の掃除をしたりした。それはまるで主婦だった。勿論母と二人暮らしをしていた時も家事は私の役目だった。二人分の家事が四人分、つまりそれが倍になったというだけのことだった。倍にはなったけど、私は次第に家事の手際もよくなって、いつしかそれも楽しく出来るようになっていた。 最初に同居した時は母の旦那さんと彼の洗濯物を母が1週間分まとめて、近くのコインランドリーに持って行ってたので、それがゴミのような扱いになっていた。掃除については、私は私の部屋だけをしていた。みんなの部屋は恐らく掃除がされていないだろうと想像がついたし、リビングやキッチン、玄関、トイレ、お風呂場なども全然手付かずの状態だった。それを私が先ずは彼の朝食から始めて、それがスムーズにこなせるようになってから、次第に洗濯、掃除とこなして行くと、みるみる家の中が綺麗になって行った。 或る日、母が1週間分の洗濯ものがなくなっていることに気が付いた。そしてキッチンやお風呂場等がことごとく磨いたように綺麗になっていることに気が付いた時に、遂に驚嘆の声を上げた。そして、家の中がそういう状態になると、不思議なことにみんなの部屋も掃除しようということになって、私たち四人が同居して2カ月を要さず、家の中が見違えるように綺麗になったのだった。  私のお昼は一人だった。それは寂しかったけど、それから夕飯の準備までは大学の勉強をすることにした。綺麗な家で、家族の温もりを感じられる環境で、私はゆったりと勉学に集中出来た。明日への不安がいつしか消えていた。何か言いようのない恐怖や不安に襲われていた時が不思議なくらい、私には安らぎしかなかった。辺りが暗くなって来て、部屋の電灯をつける頃になると、私はみんなの帰りを待ちながら夕飯の支度を始めた。夕飯のリクエストは主に彼から取った。それで家にその食材がなかったりすると、メールでこれを買って来て、と彼に伝えていた。そのやり取りも楽しかった。 その日、いつもなら彼から、「了解!」というメールが返って来るのに、その日はよくわからない食材だからスーパーまで来てくれ、というメールが返って来た。私はその時、自分が引きこもりだったことを、すっかり忘れていた。辺りが暗かったせいもあったからかもしれない。私はすぐに彼の待つスーパーに行かなくてはと思った。それで私は家を飛び出していた。彼は駅前のスーパーの入り口に立っていた。 「あ、ごめん」  彼は私を見つけると先ずそう言った。 「ううん」 「だってパプリカなんてわかんないよ」 「ピーマンみたいなやつだよ」 「ピーマンはわかるよ。それくらいは僕だって知ってるけど、その国名みたいなものは知らないよ」  私はその瞬間急に彼に手を掴まれて、そしてぐいと引っ張られた。連れて行かれた先はピーマンが陳列されている場所だった。 「これはピーマン」 「うん」  私が少し照れてそう頷くと、彼は真剣な顔をしたままパプリカはどれだと言い出した。パプリカは近くにはなかった。 「緑じゃないピーマンていう説明がよくわからなくて」 「そう?」 「うん。赤いピーマンはあったんだけどね」  私はパプリカを探してその辺りを何度か回ってみた。しかし結局パプリカを見つけることが出来なかった。どうやら売り切れか、そのスーパーには置いてなかったらしい。 「緑じゃないピーマンだって言うから、あれかと思ったけど、赤ピーマンだって表示されてるし」 「だったね」 「でも赤ピーマンとパプリカってどう違うんだろう?」  私は彼のその姿を見ていて、幸せってこういうことなんだろうかと思った。どうしてそんなことが幸せに繋がるのかわからなかったけど、彼とスーパーに一緒に来て、並んで買い物して、そして一緒に帰って、そして夕飯を一緒に食べるということが、それが幸せなんだと私には急に思えたのだった。  私の日常はこの繰り返しだった。しかし、それは決して退屈なルーティーンの繰り返しではなかった。同じような繰り返しの中でも時々小さな幸せが転がって来て、それに気付くことがこの上ない喜びになった。だから私は彼となら前に進めると思った。  
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