私をさがして

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第14章 葉月  その教室に入ると、そこは階段教壇だった。そしてその前の方に彼がいた。私はたくさんの学生がいるその教室で、一瞬で彼の姿を見つけられた。 (やった!)  なんだか嬉しくなって来た。見ると彼の隣の席が開いていた。私があそこに座って、彼と並んでこの講義を受けてもいいのかしらと思った。すると急に胸がドキドキして来た。私は意を決して帽子とマスクを外した。そして一歩前に出た。すると一歩彼に近づいた。続けてもう一歩前に進んだ。もう一歩彼に近づいた。 私はそうやって普通に彼に向かって進んで行った。階段の両側にはたくさんの学生がいたけど、それは気にはならなかった。目の前には彼がいたから、彼が私の行く手で待ってくれているから、私は彼らにとらわれることなくそこを歩けた。 「ここ空いてますか?」  その時、そう言って突然彼の隣に女子学生が座った。私の歩みは止まった。 「うん。空いてるよ」  彼の横の空間が消えた。私を迎え入れてくれるはずだった、その場所がなくなった。それで私は居場所がなくなってしまって、先へは進めなくなってしまって、そこに呆然と立ち尽くした。 「ちょっとなんで止まってるんだよ」  後ろからそんな声がしたような気がした。私の意識は遠くなっていた。私は人ごみに立つと自己防衛が働いて、その場で意識を遠くに飛ばしてしまうことがよくあった。それは不安からだった。自分が一人だという不安、支えてくれるものがないという不安が私を立ちすくませ、そして意識を飛ばせた。 「ちょっと邪魔です」  私の周囲が騒がしくなった時に、彼の隣に座った人が後ろを振り返った。 (うそ!) 私はその顔を見てびっくりした。それは冴子だった。私は思わずその瞬間にしゃがんだ。それは無意識の行為だった。冴子に見られたくなかったからなのか、今の不安な状況がそうさせたのかはわからなかったけど、私はその場に座り込んでしまった。 「大丈夫ですか?」  誰かの声がした。しかし、そう声を掛けてくれるだけで、彼らは普通に私を追い越して前の方へ行ってしまった。するとやっと先生が前のドアからその教室に入って来た。今まで立ち話をしていた学生も慌てて空いている席に着き出した。私はそのゴタゴタに紛れてその教室を出た。 (どうして冴子と彼が一緒にいたんだろう?)  私はそのことばかり考えながら帰宅した。その時私は冴子の性癖を思い出した。そう、それは例のメッセージだった。 ―私を捜して―  あのメールを送ったのはやっぱり冴子だったのではないかと思った。そしてその彼女の罠に彼が落ちてしまって、そしてあのように知り合いになったのではないかと思った。 (許せない)  私は、巧みに男性心理の裏をついて男の子を引き寄せて、そしてそのことだけを楽しんでいる冴子の行動が、今度ばかりは許せないと思った。しかし、そのことをどうやって彼に伝えようかと思った。あんな人と付き合うのは止めてと言ったとしても、どうして私が冴子のことを知っているのかときっと彼は思うだろう。 「あの子のことどうして知ってるんだ?」 「どこで知り合ったの?」 「どんな関係だったの?」  私には彼には知られたくない話だった。そう、私は彼には引きこもりの話をしていなかった。私のこのことは私の母と母の新しい旦那さんしか知らなかった。二人にはこのことを彼には内緒にして欲しいとお願いした。そういうことを引きずって新しい生活をスタートさせたくなかったからだった。私は母の再婚を機に今までとは違った自分になりたかった。だから家では明るく元気に振る舞った。そして一度そういう自分を演じることが出来ると、それが元々の私の性格のような気がした。家では三人は私をそういう人だとして接してくれた。 そういう意味で私の今の生活、そして今の家族は大切な存在だった。特に彼は今の私にとって掛け替えのない人だった。そう考えると私は過去の自分と決別したかった。だから、忘れ去りたい過去を掘り返すようなことはやっぱり出来ないと思った。しかし、一方で彼のことが心配だった。冴子の悪意から彼を守りたいと思った。彼に冴子のことを話せないとしたら、冴子から二人の出逢いを聞き出せばいいと思った。それで私はずっと放置していた冴子のメールアドレスにメールを送ることにした。 「冴子、元気ですか?」  私がそう送ると、冴子からはすぐに返事が来た。 「久しぶりね。今度会える?」 「是非、お話したいことがあるし」  私は冴子に会うことにした。しかし、私は人がたくさん集まるところが苦手だったので、冴子にその旨を伝えると、彼女は土曜日の大学を指定した。 「教授の研究室が入ってる棟があるの。そこならまず人が来ないから大丈夫よ」 「ありがとう」 「じゃあ2号館だからね。わかるかな?」 「正門の警備員に聞けばわかる?」 「そうね。それなら大丈夫ね。2号館の屋上に来て」 「屋上?」 「うん。鍵は開けておくから」  私は、何故冴子が屋上の鍵を持っているのかちょっと気になったけど、それは軽く流してしまった。二人切りで話せるのならそれでいいと思ったからだった。  
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