1949(昭和24)年、8月29日

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 よく言えば朗々とよく響くバスの声、有り体に言えばちょっと怒気を含んだけで大抵の善男善女は縮み上がってしまいそうな、ドスの効いた声だ。 「ご心配には及びません。何せ、木崎さんをお乗せする車をエンストさせたんじゃ話になりませんから。今朝、自分が三十分かけて炭炊いて、しっかりガスを溜めときました。炉やエンジンの整備もバッチリです」  中国から太平洋へと無謀な戦線拡大に突入するほど軍や財界が欲していたガソリンは戦時にはますます不足した。ガソリンは軍優先として厳しく統制され、民間の車や一出先機関の公用車には降りて来ない高嶺の花であった。  日本同様、資源の乏しい自動車生産国であったドイツやイギリスなども第一次大戦以来の燃料不足は深刻で、後付けの装置で炉で薪や木炭を不完全燃焼させ、発生した一酸化炭素ガスと水素を使ってガソリン車を走らせる方法が考案され、日本でも普及した。最もポピュラーなのは木炭自動車だったが、ガソリン燃料と比べて馬力も燃費も雲泥の差でエンストや故障も多い。  戦争は終わり敗戦国となって数年経つが、貴重なガソリンを優先的に独占しているのが軍からGHQに変わっただけだ。 「それにもう、着きましたよ。ほら……」
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