9月11日、再び松越前駅

2/15
37人が本棚に入れています
本棚に追加
/386ページ
「人と会う」と言って歩を進めた木崎は一旦立ち止まり、松越百貨店の方を見やった。店の前とこちら側の貿易会館の間に横たわる通りのそこここに、界隈を行き来する勤め人や買い物客目当ての物売り達が散見する。さっきのライター屋の青年の姿はない。  自動車はGHQのトラックやジープ、ボンネット型の路線バスが主で、民間人はせいぜいオート三輪がバイク、荷車もちらほら……といったまばらな自動車交通に混じり、乗客を鈴鳴りに乗せた路面電車が鐘を鳴らしながら通り過ぎる。この時代、「銀座線」と呼ばれているのは地下鉄ではなく路面電車の事である。  反面、「地下鉄」と言えば日本橋松越前駅を通過する上野〜浅草間を指す。というのも戦前、数社の鉄道会社が地下鉄路線の開設、営業を目指したが、認可と資金面の両方をクリアしたのは当時の東京地下鉄(後に帝都高速鉄道)の運営するこの一路線のみであったからである。  この翌年に米以外の統制が撤廃され、さらに朝鮮戦争の勃発と貿易や渡航の解禁、占領政策の終了と時代が進みやがて高度経済成長の時代が訪れるとベビーブームや労働力需要により都内の人口は飛躍的に増えた。  バスや鉄道といった従来の地上交通では輸送量が間に合わず、混雑と渋滞が常態化する事となった。特に公共交通の花形であった路面電車は車内も停留所も人で溢れ「待っても乗れない」と流行歌で揶揄されるほどの異常な混雑ぶりは急増した自動車交通の渋滞や事故の原因ともなり、次第に前時代の老害扱いとなる。
/386ページ

最初のコメントを投稿しよう!