9月11日、再び松越前駅

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 明治時代後半に馬車鉄道の軌道を継承する近代交通として誕生し、都民の足、東京の象徴として縦横無尽に活躍した「チンチン電車」「都電」は、営団地下鉄(現・東京メトロ)及び都営地下鉄の各路線が本格的に整備されると荒川線の一路線12キロ余り(現・東京さくらトラム)のみを残して姿を消した。  その時代になって初めて、日本最古の地下鉄路線は「銀座線」と名づけられる事となる。  もちろん木崎は、この時点では予測すらできない未来の盛者必衰に思いを馳せていたわけではない。人が窓からはみ出し、屋根や連結部にしがみつく復員列車や買い出し列車ほど酷くはないが、辛くも焼失を逃れた都電の青い木製車両には変わらず超満員の客が詰め込まれている。  木崎の目の前で窓から制服姿の女性車掌が上半身を乗り出し、ぱんぱんに膨れた黒の肩掛け鞄の中身をわし摑みにして軌道上に繰り返しばら撒いた。都電の走り去った軌道上に薄日が差し、打ち捨てられた白い貨幣が昼間の星のようにキラキラと輝くと洗車や靴磨きで日銭を稼ぐ子ども達が我先に駆け出して夢中で拾い出す。 「女性車掌ですか。最近はめっきり見なくなりましたな」  なんとなく目が離せないでいた木崎に、安井が声を掛けた。 「戦時中は人手不足で、都電も省電も妙齢の女性が健気に駅員も車掌も勤めてたもんですが」  対米戦争の戦局が悪化するにつれ、国内の労働者不足はより深刻になった(※)。政府はこの労働力不足を、外地からの徴用と女性の労働力によって補ったのである。(※※)
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