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あのときの私はなにも間違っていない。
どうして誰も理解しないのだろう。
「間違ってる。子どもは騒ぐもんだろ」
「限度があるよ」
「それはお前がうるさいと思ってるだけだ」
「違う。ハルが怖がるから」
夫はなにかを言いかけて口を噤んだ。
「全部あの子のためなの」
何故わかってくれないの。
「……勝手に養子縁組を進めたこと、俺はまだ怒ってるんだからな」
そう言い残し、こちらの顔も見ずに部屋から出て行ってしまった。
静かで抑揚のない声だった気がする。
そういう時は、彼が怒っているサインだ。
二人の会話はこれが最後になった。
あの日以来、夫は帰ってこない。
私は気にしないよう努めている。
元気な息子のお世話は忙しく、他のことを考えるのが時間の無駄だと思ったからだ。
ハルのことに集中していればいい。
それが一番幸せなんだから。
「ハル、ちょっと待って~。ポストの確認するから……」
散歩から帰宅し、ハルが『早く家に入れろ』と急かしてくる。
郵便受けを開くと、カーディーラーからのDMや水回り修理のチラシが入っていた。
「えっ」
そしてもう一つ。
切手が貼られた茶封筒。
差出人は……夫の名前だ。
予想外のことに脳が固まり、無意識に封筒を破っていた。
「あ……」
入っていたのは折りたたまれた白い紙。
薄っすらと緑色の枠線が透けている。
急いで破ってしまったのか、端が少しだけちぎれていた。
私は動揺しているのだろうか。
「ワン! ワン!」
ハルは元気よく吠えている。
ねえ! 早くお家に入ろうよ!
きっとそう言っているのだろう。
でも、今はその声に応えられない。
私は離婚届を見て、「相変わらず筆圧が強いなあ」と考えていたからだ。
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