習性

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「まあ、ろくなおもてなしも出来ないが、誰にも気兼ねは要らない状態なのは、かえって好都合かもな。ま、何事もポジティブに考えることだよね、ははは。今日はゆっくりしていってくれ」  黒澤とは、もう長い付き合いになる。双方に共通の趣味、つまり怪談の取り持つ縁で、十年以上に亘って親しい付き合いを続けてきたが、自宅に招かれたのは今回が初めてだ。  何事もポジティブに、か。なるほど、無理やりにでも自分を励まそうとしているんだろうな。失意の中にある黒澤のことが、私は少し気の毒に感じた。実は、彼の周囲で最近、ちょっとした変化があったのだ。はっきり言うと、三か月ほど前に、彼の奥さんが長年の不倫関係にあった男と駆け落ちしてしまったというのである。ある日、彼が仕事から帰宅すると、リビングのテーブルの上に、記名捺印済みの離婚届と「今まで有難う。好きな人と暮らすことにします」という簡単な手紙だけが残されていたらしい。  当初は流石に荒れていたが、もう最近では、落ち着いてきたらしい。もともと少々感情的なところがある男だったが、三か月たって少しは落ち着いて話も出来るようになったかなと思って、たまには一杯やらないかと私の方から声をかけたら、彼の方から自宅に招いてくれた。というわけで、今、私と黒澤は、リビングルームで杯を傾けながら、怪談談義に花を咲かせているのである。 「そう言えば幽霊は、自分が死んだ時の行動を繰り返すって言う話があるね。特に成仏できなくて、その場に地縛霊になってしまった霊は、そういう傾向が強いって言うじゃない」  空になったグラスにウイスキーを注ぎながら黒澤が話題を変えた。 「そうそう。それはよく聞くよな。特に飛び降り自殺の現場なんかで、何度も繰り返している自殺者の霊の話とかね」 「うん。飛び降り自殺者の話は有名だけどね。自殺者以外はどうなんだろうね」 「自殺者以外?」  私の質問に、ウイスキーを一口流し込みながら黒澤が頷いてみせた。 「そう、自殺者以外さ。もっと言うと、例えば殺された人なんかも、その場面を再現したりするのかね」 「ああ、そりゃ、そういうケースもあるだろうね。要は死んだときの強烈な無念の感情がそこに残ってしまうことによって、地縛霊になって、その場面を繰り返すわけだからね。そう考えると、殺される方が、より無念や恨みの思いが強いわけだから、むしろ殺された場合の方が、そうなりやすいかもしれないな」  私が適当な相槌を打つと、黒澤は、難しい顔をしながら一言「うん、そうかもな」と言って、もう一杯グラスにウイスキーを注いだ。  今夜はペースが早いようだ。やはりまだ奥さんに逃げられたショックを引き摺っているのかな、と思った私は、何となく彼の顔を見てるのが気まずくなり、ふと庭の方へ目をやった。  リビングの掃き出し窓から向こうに、比較的広い彼の家の庭が広がっている。と、そのど真ん中の庭土の上に、何か動いているものが私の目に入った。見ると、それは一匹の犬だった。こげ茶色の毛並みで、大きさは中型犬のサイズ。私は犬種にはあまり詳しくないのだが、雑種のように見えた。  その犬が庭土を掘っている。前脚を物凄い勢いで回転させながら一心不乱に表土をかきむしっているのだ。犬は土を掘る習性があるとは聞いていたが、このままにさせておいて良いのかな。黒澤は叱りもしないで黙々と酒を飲んでいる。そう言えば、そもそも彼は犬を飼っていたのだっけ。 「可愛い犬だね」  声をかけると、黒澤は怪訝な顔をした。 「犬?」 「そう、ほら、あの犬だよ。お利巧そうな顔したワンコだな。でも、庭土を掘り返すのは止めたほうがいいんじゃない?」  私の言葉に、黒澤はますます怪訝な顔をする。 「犬?どこにいるんだ?俺は犬なんか飼ってないぞ。変な事言わんでくれ!」  酒のせいもあるのか、妙に強い調子で黒澤が否定する。改めてもう一度見ると、確かに何もいない。庭土も綺麗なままだ。おかしいな。さっき、あの犬と一瞬目が合ったような気さえしたのだが。 「あれ、おかしいな。確かに犬が見えたんだが……」  さすがに極まりが悪く、照れ笑いを浮かべるしかない。 「おい、しっかりしてくれよ。飲み過ぎじゃないのか。それとも飲み足りないのかな。さ、こっち来て、もっと飲もうぜ」  妙に明るい調子で黒澤が私をテーブルに引っ張る。    あらためて怪談談義の続きを始めたが、もはや会話は全く頭に入ってこない。私の頭は、別のことを考え始めていたのだ。   実は、私には少々霊感があって、時々”そういう類のもの”が視えてしまうことがある。さっき、私が見た庭を掘り返していた犬とは、まさに犬の幽霊だったのだ。そして私にはその犬に起きたことの大体の事情も分かってきた。  その犬は、たまたまあたりをうろついていた迷い犬だったのだが、ある晩黒澤の家の庭にふらりと迷い込んできた。いや、迷い込んできたというのは正確ではなく、何かに導かれて庭へと入ってきたのかもしれない。そして、いかにも犬のやりそうな行動だが、彼はそこで庭土を掘り始めたのだ。  ところがその光景を見るなり、黒澤は逆上し、バットを持って庭に飛び出すと、犬の脳天に振り下ろした。何度も何度も。そして、頭をかち割られて絶命した犬はそのままそこに埋められたというわけだ。  庭土を掘り返されることは、勿論迷惑ではあるが、それにしても何故、黒澤は、そんなに逆上したのだろう。そう、勿論、それは絶対に掘り起こされたくないものがそこに埋められていたからに他ならない。そもそも通りすがりの犬を彼の家の庭へと誘ったのも、”そこにいたもの”だったのかもしれないのだ。つまりは自分を掘り出してもらうために……  奥さんが不倫関係にあった男と駆け落ちしたという彼の話はどこまで本当なんだろう……  私は、グラスを置くと、慌てて帰り支度を始めた。 「悪いけど、ちょっと用事を思い出した。今日はこれで失礼するよ」 「え?もう帰るのか?どうしたのさ、急に」  唐突に辞去しようとした私のことを、黒澤が呆れたように見つめる。 「いやあ、すまない。どうも家の戸締りを忘れてきてしまったみたいだ。すぐに帰らないとまずい。本当に申し訳ない。今度は、ちゃんとゆっくり来させてもらうよ。じゃあ、またね」  そそくさと荷物をまとめた私は、後も見ずに黒澤家の玄関を走り出た。  実際、後ろを振り返るなんてとんでもない。犬の幽霊のいなくなった後、庭土の下から、もっと恐ろしいものが這い上がってくる気配が感じられてきたからだ。もう二度と彼の家に行くことはないだろう。 [了]
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