Ⅷ章

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Ⅷ章

 クルーズ当日、空は快晴で雲一つなかった。風もそこまで強くなく、過ごしやすい気候である。クルーズ船の出港地のル・アーヴルは戦後に再建された都市として世界遺産に登録されている。そんな観光するのにうってつけの中、順也、伊織、雅貴の三人は真っ暗な貨物室の中に居た。クルーズ船が出港準備をしている際に、乗船客に提供する食品に紛れて、貨物室に密航したのである。貨物室は暗く、電気もない。 「雅貴、また吐かないでよ」 「あの時はたいへん申し訳ありませんでした」  暗闇で顔は見えないが、雅貴は非常に反省の色を感じられる言い方をする。“あの時”とは、東南アジアでの任務の際、日本人のメンバーも居た強盗団が金品を盗み、海外に売りさばこうとするのを阻止するものだった。しかし地上では強奪した品を取り返すことが出来ず、勢いでコンテナと共に密輸船に乗ることになった。その日はとても波が激しく船の揺れも大きかった為、船酔いした雅貴が伊織の胸や腹に吐いたことがあるのだ。それから二週間は雅貴は伊織に食事をご馳走していた。 「みんなお天道さん見れてええな。さながらヴァンパイアの気分や」  順也達がしばらく待機していると、停止していた船が振動し始める。いよいよ出港するのだ。 “マサさん、聞こえますか” 「はいは~い」  雅貴の持っている無線から翼の声がする。 “今珠樹と陸郎さんと待機しています。案の定、初めに挨拶だけしたら後は家族四人で過ごしたいとのことでした” 「了解。翼はそのまま陸郎さんと待機してね。食事の時間が近づいたら俺達も上に出るから」 “了解です” 「さて、珠世姉さんはどう出るかね」  無線を切ると、雅貴は独り言のように呟く。 「食事に変なもの入れて誘拐とかしないよね」 「可能性はあるんちゃう? 毒でも入れて解毒剤と引き換えに情報を引き出すとか」 「せめて家族団欒の時は大人しくしてほしいけどね」  順也は伊織の意見に同意だ。育三の余命が少ないのは事実や。きちんと思い出作りをしてほしい。 「でもさ、もとはと言えば育三が珠樹を社長に任命した所為で珠世が社長になれなかったわけだから、父親のことも恨んでるんじゃない?」  雅貴の言葉も一理ある。育三が珠世を社長にしていれば、こんなことにはならなかった。 「この船、タイタニックみたいにならへんよな」 「……さすがにないでしょ」  雅貴は苦笑する。 「無事に陸に帰れることを祈るしかないね。まだまだ食べたいものがあるから、こんなところで沈むのは絶対嫌」  伊織は心底嫌そうに言うのであった。  翼からの合図で順也一行は貨物室から出て船の一階部分へと上がる。暗室から船に出ると眩しく、更に風も感じ、一瞬ふらついたがすぐに歩くことに慣れた。三人はパーティーに招待された客を装う為に、スーツとドレスを着て場に紛れる。 「レストランは顔が割れていない俺が行くよ。二人は近くで待機」  雅貴が指示を出す。乗船してしまえば、一般の客としか思われないだろう。特に顔が知られていない雅貴は気付かれない。ただ西洋人が多い中、アジア人は目立つ。なるべく大人しくしている方が良い。 「俺達はどうする?」 「レストランの横がデッキになっているからそこで待機しよう」  順也と伊織はデッキに出て海を眺める振りをして待機することにした。 “とりあえず俺はバーのカウンターに座れたから、こっから珠樹を監視するね” 「うちのボスは任務中に酒とは、ええ御身分やな」 「私達は飲まず食わずなのにね」  順也と伊織が苦言を呈すると、無線の向こうの雅貴は慌てたように弁明する。 “バーカウンターで酒を頼まないって、逆に怪しまれるからね” 「へいへい。まあちゃんと監視しといたらええ」  しかしその後数時間は特に動きはない。瀬戸一家はフレンチのコースを頼んだ後、デッキへ出て談笑していた。遠目で見ているだけでは、一見仲の良さそうな家族である。とても笑顔を浮かべている姉が弟を殺そうとしているようには見えない。 「動きなしやな」 「下船時間まであと三時間。何かしら仕掛けてくると思うんだけどね」  順也と伊織は辛抱強く待つ。  この船は二階、三階部分があり、乗船出入口は一階で自由に座れる椅子が設置されている。二階部分はバンケットホールになっており、ランチコースを振る舞っていた。三階は屋根がなく、開放的になっているので海を見るのに最適である。珠樹達は食事をした後は三階の甲板で歓談していた。三階では雅貴、二階は引き続き順也と伊織が待機する。  時間が経つと、育三の元に友人らが集まって来た。珠樹と母親は邪魔しないように一歩引く。 “今二階に下りる” と、珠樹が無線で報告する。順也と伊織は三階から二階へ続いている階段へと向かう。しかしいつまで経っても珠樹は現れない。 「珠樹、今何処に居るんや」  無線の反応がない。 “ジュン、どうしたの” 「珠樹が下りてこおへん」 “俺には下に下りたように見えたけど。とりあえず捜索しよう” 伊織と順也は顔を見合わせ、階段付近を捜索するが珠樹の姿はない。 “俺も一階を探してみます”” 「よろしゅうな」  翼からの無線の後、二階のバンケットホールも覗いたが珠樹は見当たらない。 “珠樹、一階に居たんですけど” 無線から翼の声が聞こえたが、含みのある言い方である。 “神父と一緒です” つまり、捕まったと言うことか。 「俺、先に翼と合流するわ」  順也は伊織に合図をし、そのまま一階へと駆け下りる。伊織は一先ずは一階の様子を見て二階で待機することにした。  順也が一階に到着すると、階段の下には翼が待っている。 「珠樹は何処や」 「あっちです」  翼の後をついて行くと、黒の礼服を着た男が珠樹の腕を引っ張って歩いている後ろ姿が見えた。 「どうしますか」 「悪いけど俺は突っ込むことしかできへん」  順也の言葉に翼は目を細める。 「俺もです」  二人は聖と珠樹が歩いている通路に出た。 「珠樹!」  翼が声を出すと、珠樹は慌てて振り返った。 「加賀美!」  珠樹は困惑した目で翼と順也を見る。 「二階に下りようとしたらこいつが居て、いきなり手錠かけられたんだけど!」 「手錠?」  翼は思わず聞き返す。よく見ると、珠樹の右手が不自然に上がっている。珠樹の右手には銀の手錠がはめられており、もう一方は黒衣の男の左腕に繋がっている。 「神父さんが白昼堂々手錠プレイとか、イエス様が泣いとるで」  男、小早川聖は立ち止まると振り返って二人を見やる。 「聖、そのまま連れて行って良いぞ」  順也と翼、珠樹と聖の間に二人の男が割り込む。楽し気な表情でナイフを持った白瀬耀央と月島瑛が現れた。 「また会ったな」  瑛は順也を見て、ほんの少し笑みを浮かべる。 「瑛……」  この状況は目の前の二人と神父を倒して、珠樹を奪還するしかない。そう覚悟を決めた時。 「変態神父、動いたら撃つよ」  二階で待機していた伊織が一階へと降り、聖に銃口を向ける。これで優勢になった。順也が喜んだのも束の間、伊織の背後から彼女を襲う者が居た。当麻有彩である。有彩も同じように銃口を伊織の背中に付きつけようとしたが、それを察した伊織が避け、背後を取られないようにデッキの手すり、海の方角へと移動する。 「あんたがこの変態神父を撃つなら、横の坊ちゃんを撃つよ」 「仲間からも変態と思われとるんやな」  有彩の言葉に思わず順也が独り言を言うと、 「言っとくが手錠は聖が勝手にやっていることだ」 「俺達は関係ない」  と、耀央と瑛は自分達は関与していないと主張する。順也はこの緊迫した状況にも関わらず、笑いそうになった。しかしすぐに現実に引き戻される。こちらの方が劣勢だ。順也、翼、伊織、三人それぞれに戦うべき相手が居る。そうなると、聖は自由に動ける。マサに援護してほしいが、そもそも裏方で戦闘スキルも乏しい。こん中の誰かが相手を倒して神父を止めるしかないな。 「そんじゃ、採血タイムの始まりだな」  耀央が翼の方に一歩歩き出す。順也と瑛もそれぞれの深呼吸をし、戦う体勢を整える。その時だった。何処からか銃声の音が聞こえた。それも数発ではない。連続である。この場に居る全員の動きが止まった。 「この間のパーティーみたいにまた一般客を巻き込むんか」  順也が呆れたように瑛を見るが、 「いや、俺達は関係ない」  と瑛は至極真面目な顔で返答する。 「また珠樹を狙ったことを隠す為に他の客を襲ってんのか。汚ねえぞ」 「は? 知らねえよ」  翼と耀央は戦いながら言い合う。 「お前達、何してるんだ!」  この場に新たな声が響く。英語である。西洋人の男が二人、渡り廊下に立っている。二人の手には銃が握られている。またこのパターンか。 「乗船客は全員二階のホールに集合だ」 「おい。そこの女二人、銃を持っているぞ!」  男の一人が伊織と有彩の拳銃に気が付き、すぐに持っているマシンガンを向け発砲をする。順也達はすぐさま廊下から逃げる。 「おい、どうなってんだよ!」  耀央は困惑した様子で聖に駆け寄る。 「こんな作戦だって聞いてないぜ」 「私も」  有彩も苛ついたように聖に詰め寄る。 「……俺は関与していない」 「は? じゃあ何だよ、あいつら! お前らなんか知ってんのか」  訳が分からないと言った耀央は翼に尋ねる。 「知らねえよ。お前達の仕業じゃないのか」 「今はそんなことはどうでも良いよ」  伊織は一喝する。 「まずはあの二人を何とかしないと」  伊織は廊下の方に戻って行く。 「順也! あいつらに向かって体当たりだ!」 「俺をそんなポケットなモンスターみたいに言うなや」  順也はそう言うも、再び廊下に飛び出した。 「いたぞ!」  男達はマシンガンを構えるが、すぐに伊織が男二人の足を狙って射撃をする。二人は体勢を崩し、順也が辿り着く頃には弱っている。その状態で一人は頭部に蹴りを入れて意識を失わせ、もう一人は首を腕で挟んだ。 「お前ら一体、何者なんだ」  順也は英語で尋ねる。 「俺達はバンディー。この船に金持ちや会社の役員が乗り込むと聞いてやってきたんだ。脅して金を奪い取る為に……」 「なるほどな。つまり海賊ってことやな」  順也は日本語で独り言を言う。 「さっきの神父達は仲間ではないんだな」 「神父? 金髪の男を手錠で繋いでいるイカれた神父なんて知らねえよ!」  男は叫ぶなり、順也は男の頭部をデッキの手すりにぶつけ、眠らせた。 「と言うわけでこいつらは海賊みたいやな」 「あんたもういい加減にしなさいよ!」  伊織が順也の両肩を掴むなり強く揺らす。 「またあんたの疫病神の災難に巻き込まれたってわけ? この間強盗事件に巻き込まれて、今度はクルーズ船で海賊登場? 疫病神に少し休めって言ってこい!」 「俺だってそうしたいけど」  先程避難した翼達が戻って来る。伊織と順也のやり取りを見ていた瑛は思わず笑いだす。 「やっぱりお前、持ってんな」 「俺の言うとったこと、嘘やないって分かったやろ」 「ああ。海賊に襲われるとか、お前間違いなく疫病神に愛されてるわ」 「瑛、お前何言ってんだ」  耀央は瑛に訝し気に尋ねる。 「どうやらこの船には海賊が乗り込んできたらしい。どうすんだ」  瑛はそう言って聖を見る。 「俺は一時休戦してこいつらと手を組んだ方が良いと思う」 「はあ? 何言ってんだお前」  瑛の意見に耀央が噛みつく、 「坊ちゃん連れて船から降りれば良いだろ」 「この状況では無理だ」  今まで沈黙していた聖が口を開く。 「俺達が使おうと思っていた船は海賊に差し押さえられている可能性が高い。耀央が逆の立場だったら、乗船客を逃がさない為にまずは救命ボートや船代わりになるものを排除するだろう」 「……確かに」  耀央は納得したようである。 「それに船があったとしても、こいつらが放っておかない」  聖は順也達に視線を向ける。 「海賊と言うことは近くに船があるはずだ。その船を叩くのが手っ取り早い」 「ちょっと待って。乗客は?」  耀央の次は伊織が聖に物申す。 「さっきの奴ら、二階のホールに行けと言って来た。きっとそこに乗客が集められている。まずは乗客を助けるのが一番だと思うけど」 「俺達は正義の味方ではない」  聖はきっぱりと言い切る。 「俺達は海賊船を叩く。お前らは乗客を助ける。それで良いだろう」 「お前の意見には賛成だが、珠樹は解放しろ」  翼は自分よりも背の高い聖を睨みつける。 「……」  聖は何も言わず、翼の双眸を見下ろす。 「こいつは一般人だ。戦えない。手錠繋いだまま海賊船に乗り込むのか。邪魔になるだけだと思うぞ」 「加賀美の言う通り、俺は足手まといだ」  翼に便乗して珠樹も提言すると、ようやく聖は鍵を取り出して手錠を外した。 「手錠は外したが、お前は俺の監視下にある。一緒に来い」 「じゃあ俺も海賊船に乗り込むぜ」  翼は聖の前に立つ。 「それで良いだろ」 「……好きにしろ」  聖は翼から視線を逸らした。 「私は食堂の方に行くから」  今まで沈黙していた有彩が口を開く。 「海賊の奴ら、弱いからって女ばかり狙う気がする。ちょっと様子見たらすぐにそっちと合流する。良いでしょ」 「分かった」 「じゃあ俺も食堂の方行くわ」  今度は耀央が食堂行きを宣言する。 「そっちの方が良い血取れるかもしれねえし。どうせ海賊ってむさ苦しい男ばっかりだろ。それにこっちの方が楽しそうだし」  と、耀央は伊織と有彩を見る。伊織と有彩は無言で耀央を睨みつけた。 「瑛のチーム、まとまりないな」 「元からこんなもんだよ」  瑛は平然としている。 「それでお前はどっちに行くんだ。正義の味方は乗客助けにホールか?」 「いや、海賊船の方に行くわ。一回乗りたかったんやんな。伊織、頼んやで」  順也達海賊船チームはそう言うと、さっさと行ってしまう。場に取り残されたのは伊織と有彩、耀央の三人だけだ。この三人で大丈夫かな。そう言えば、誰か忘れている気がする……。伊織は不安を抱えながらも二階へと向かった。
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