Ⅹ章

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Ⅹ章

 頭部を殴られ、混濁する意識の中、甲板に三人の男女が見えた。そうか。俺は捕まったのか。翼は幾らか安堵する。暗殺集団に何をされるか分からないが、珠樹が捕まるよりは良い。しかし。数秒後に船が大きく揺れる。 「おいおい。飛んで火に入る夏の虫だな」  耀央の高揚感がある声音。 誰か、乗って来たのか。 頭を動かす。 嘘だろ。 翼は目を疑った。甲板には珠樹が立っていたのだ。 「おい、聖。標的が向こうから来てくれたぜ」  耀央の呼びかけに聖は沈黙している。船の操縦で忙しいらしい。有彩が操縦席へと入る。それから船内に下りると、何処からか縄を持って来た。 「良かったね。拷問は陸に上がってからだってさ」  有彩はそう言って二人を縛った。翼は動けないことはなかったが、この船の上では孤立無援だ。下手に暴れて海に落とされるよりは大人しく縛られる方が得策である。珠樹の方も黙って捕縛され、そのまま船内の一室に連行される。 「陸までの最期の時間を楽しめるように、口は動かせるようにしたから感謝してよね」  有彩はそう言うと、部屋の扉を閉めた。彼女の言葉通り、翼も珠樹も両手、両足を縄で縛られただけである。部屋は船底に近く、酷く揺れる。か細い明かりが頼りなく部屋を照らす。仮にこの部屋から逃げ出すことは出来ても、甲板からの脱出方法はない。暗殺者四人全員を倒すしかない。しかしそれは無理だ。俺は小早川にすら勝てなかったのだから……。 「……加賀美、大丈夫か」  沈黙している翼の顔色を伺うように、珠樹は恐る恐る声を発した。 「……お前、一体何考えてんだよ」 「え?」  翼は怒りを抑えられなかった。 「俺はしくじって捕まったのに、何でお前まで来るんだよ! わざわざ敵の懐に飛び込んで、俺達が護衛する意味ねえじゃねえかよ!」  翼は思わず声を荒らげるが、 「でも。怪我してんじゃん!」  と、珠樹は負けじと声を張り上げる。 「こんな怪我、この仕事をしていればしょっちゅうだ。それに俺はエージェントだぞ。もっと酷い怪我を負ったこともある。こんなのは何ともない」  でも、と珠樹は俯く。 「元はと言えば、俺が姉貴を怒らせたからこんな目に遭ってるし……」 「は? 逆に俺達はお前が命を狙われているから護衛の任務があって、報酬を貰ってんだ。そんなこと気にしてんのか」 「……」  珠樹は大きな瞳を揺らがせた。 「今までせっかく護衛してたのに、無駄だったじゃねえかよ」  翼は感情のままに呟く。  こいつは一体、何を考えているんだ。俺だけが捕まればそれで良かったのに。それなのに自ら危険を承知で飛び込んで来るなんて、イカレている。そもそも珠樹が捕まってしまったら、俺達が来た意味がない。翼の怒りが伝わっているのか、珠樹は黙っている。 「お前、何考えてんだよ。俺だけが殺されるだけで済んだのにさ。馬鹿じゃねえの」 「……ごめん」  珠樹は翼の顔を見ることなく、弱弱しい声で謝罪する。 「自分でも馬鹿だと思う。だけど、勝手に身体が動いていたんだ。あの時みたいに……」 「あの時?」  翼が珠樹を見ると、居心地悪そうに目を逸らした。 「親父の具合が悪くなって姉貴が次の社長に就任する噂が流れ始めて、歓迎する一方で良くないと思っている人も居た。姉貴が良からぬ裏社会の人間と取引しているって話で、正直やっているだろうなと思った。でも親父も同じことをしていたし、特に気にしてなかったんだ。でもあの日」  珠樹はようやく翼と目を合わせた。 「何も考えずに散歩するのが好きでさ、あの日も会社から家までぼんやり歩いていた。そうしたら姉貴がバーから出て来たのが見えた。後ろからはガラが悪い連中がぞろぞろ出て来た。俺は咄嗟に隠れて姉貴たちが居なくなるのを待った。そうしたら会話が聞こえて来たんだ。“本当に良いのか。お父上は会社の情報は決して渡さなかったのに”」 「……なるほどな。お前の姉貴はアヴニールの企業情報を漏洩していたんだな」  珠樹は頷いた。 「姉貴は“別に良いのよ。次に会う時に渡すわね”と言った。俺は考える前に手が動いていた。建物の影から密会の写真を撮った」 「その写真が珠世が取り戻したいデータか」 「それもあるけど」  珠樹は首を横に振った。 「姉貴と一緒に映っていた人物を調べたら、人身売買の噂のある組織だった」 「もしかしてお前の姉貴が渡したのって……」  アヴニールは人材紹介の企業である。そして相手は人身売買の組織。渡すとしたら思い当たるのは……。珠樹は黙って頷いた。 「アヴニールに求職者として登録したリストだ。履歴書も職務経歴書も全部だ」  珠樹の顔つきがひと際険しくなる。 「まさかと思ったよ。俺の親父も情報屋として恨みを買うようなこともして来たけど、決してアヴニールを売るようなことはしなかった。だけど姉貴は職権を乱用して求職者の個人情報を売り渡そうとしていた」 「証拠はあるのか」 「ああ。会食中を狙って姉貴のパソコンを調べた。そうしたらどの闇組織に何の情報を渡すか書かれたリストを見付けたんだ。すぐにデータを保存して証拠として残した」 「最低な女だな」  珠樹は言葉にはしないが沈痛な面持ちになる。 「……アヴニールは、外国で働くアジア人が差別を受けることなく、スキルや才能を生かせる職に就けるように創業したんだ。最初は上手く行かなくても、親父が諦めずに企業に片っ端から声を掛け、社員も奮起して、何より求職者が一番努力して就職した後も実力を発揮して評判になったんだ。みんなの努力で会社が成り立っている。それを、職を探す為にアヴニールを信用して個人情報を登録してくれた人達やアヴニールに人生を託した人の気持ちを悪用するなんて、絶対に許されない」  珠樹の声も握りしめた拳も震えている。それは怒りからだ。 「……だから、命を狙われても社長になるって決めたのか」 「そうだ。本当は人と関わることが苦手だし、そもそもどうやって会社を経営するのかも分からない。経理部の社員として電卓叩く方が向いているよ。でも、平気で人の人生を壊せる人間よりかはマシな社長になれると思う」 「……」  翼は珠樹のことを生意気なお坊ちゃんだと思っていた。実際そう言う一面もあるが、こいつは……。 誰かの為に、行動出来る人間だ。 口や態度は横柄で人と距離を取っているが、人が嫌いなわけではない。本当に嫌っているのなら他人がどうなろうが関係ない。今だってそうだ。俺だけ捕まれば良かったのに、珠樹はわざわざ俺を助ける為に捕まった。 「……悪かった」 「え?」 「さっきは言い過ぎた」 「何だよいきなり」  翼の突然の謝罪に珠樹は面食らう。 「お前さ、人のことを信用出来ないみたいだけど、本当は人を信じたいと思ってるだろ」 「は? 何だよいきなり」 「お前は自分のことよりも他人を思いやれる、良い奴だ。それは母親や陸郎さんにちゃんと愛情を注がれたからだと思う」 「頭殴られておかしくなったのか」  珠樹は翼の言動に気恥ずかしくなり、軽口を叩く。  船内はごとごとと揺れている。これから俺達は拷問されるだろう。そして殺されるかもしれない。最悪な状況だ。 翼の中である感情が湧き上がる。俺は仕事で仕方なく、珠樹を護衛していた。仕事では余計な感情を持たないようにしている。いくら顔が笑っていても、笑い声を立てても、本心ではつまらないと思っているかもしれない。人の表情と心理は一致しないこともある。俺がそうだ。先輩や伊織さん、マサさんの前では心の底から尊敬をしているから、彼らの言うことはなんでも従うし、何か危険が及ぶようなことがあればこの命に代えても守りたい。しかし三人以外はそうじゃない。仕事の延長線上で笑みを作り、大人しく話を聞いてるが、本心では別の感情を抱いている。俺がそうだからこそ、俺は他人を信用するのが怖い。外面と内面が一致しているのか、それは目には見えない。理解することは出来ない。出来て“察する”ことだ。 だから、仕事では円滑に進める為に笑みを絶やさず、扱いやすい優男を演じている。 そうだ。そもそも俺は本性を珠樹に見せている。 何故だ? それは尊敬に値しないと思ったから。 けれど今は……。 こいつは、人の為に自分の“安全”を手放せる人間だ。 俺は珠樹から見たら悪態をつくボディーガードにしか見えないだろう。そんな俺を迷いもせずに助けようとした。 “俺は今のお前の方が話しやすいけど” “加賀美!” “でも怪我してんじゃん!” 「……なあ」  翼の呼びかけで珠樹は視線を向ける。翼はじっとその大きな瞳を見た。 「俺の命。お前に預ける」 「……」  珠樹は突然の翼の言葉に動揺して、何も反応が出来なかった。 「俺はお前を守る為に命を捧げても良い覚悟が出来た。そう思えるくらいお前は、誰かの為に行動出来る、善人だ」 「……それ、自分で言ってて恥ずかしくねえの」  珠樹は翼から視線を逸らすと、ここに来て初めて笑った。 「うるせえな」  翼も何だか急に恥ずかしくなり、笑って誤魔化した。 「お前、恋人が出来ても重すぎてすぐにフラれそうだよな」  図星である。 「まあ確かに彼氏には一週間、彼女は十日で逃げられたな」  翼は在りし日のことを思い出す。仕事で裏切られアフリカの地に置き去りにされた以降は恋人を作る気力は湧かなかったが、それ以前は何度か交際を申し込まれ、付き合ったことがある。しかし総じて一方的に別れを告げられてしまった。翼はその理由が分からなかった。毎朝、毎晩連絡をしたり、スマートフォンに位置情報共有アプリを入れてほしいと頼み込んで監視したことが原因であるが、翼は自覚がなかった。一方珠樹は翼の発言に動じていた。 「……彼氏って、お前そう言う感じなの?」  珠樹の“そう言う”とはバイセクシャルのことだが、単語を口にするのは憚られた。 「よく分かんねえ。ただ女だろうか男だろうが、俺の事を好きになってくれたのが嬉しくて付き合っただけ。まあ恋人関係が続いたのは最長十日だけど」  翼は自虐的な笑みを浮かべる。 「……まあ所詮は性格の相性だよな」  二人は笑い合うが、状況は決して良くはない。むしろ助かる希望がない程、先は真っ暗である。 「……珠樹。お前は陸に着いたら確実にそのリストの在りかを聞く為に拷問される。情報を言っても言わなくても、最終的に殺される」  翼の言葉に珠樹は顔を強張らせた。とても一分前まで笑い合っていたとは思えない。 「だが俺達がそうはさせない。必ず先輩達が俺達のことを助けに来てくれる。それまで、何とか持ちこたえてくれ」 「……分かった」  珠樹は不安な表情を浮かべながらも頷いた。この最悪な状況。死ぬかもしれない現実。だけど。こいつの言うことなら……。珠樹の方も、口にはしなかったが翼に対してある感情が芽生えていた。  それから数時間が経つと、船の振動が止まった。停船したようである。カウントダウンは終わってしまった。部屋の扉が開かれると、早速瑛の殴りと蹴りによって洗礼を受ける。翼はまだ良かったが、珠樹はあまりの痛みで意識を失った。  目を開くことよりも先に、後頭部の痛みを感じた。鈍痛が珠樹の意識を目覚めさせ、瞼を開いた。ぼんやりとした視界の中に真っ黒なものが見えた。 死神。 何故かはよく分からないが、そう認識した。 「瀬戸珠樹。姉から奪ったデータは何処だ」  死神、小早川聖の言葉が頭上から降って来る。 「……」  ああ、そうか。珠樹はようやく事を理解した。  今珠樹は椅子に座らされているが両腕と両足を縛られ、身動きが取れない状態である。縛られた両腕は椅子の背中に回され抵抗が出来ない。ああ、本当に拷問されるんだな。珠樹は自分でも驚くくらい冷静であった。もう覚悟が決まっているからだ。 「何を笑っているんだ」 「……別に」  聖はゆっくりと右腕を動かした。初めて会った時と同様、刀を握っている。 「それで俺を切るのか」  聖は何も言わず珠樹の髪を乱暴に引っ張り、顔を上げさせた。露になった首に日本刀があてられる。さすがに珠樹の鼓動は早くなる。そう言えば加賀美は? 珠樹は部屋を見るが、聖の他に誰も居ない。 「大人しくリストのデータを渡したら、命だけは助けても良い」 「……俺を殺すって言ったり、助けても良いって言ったり、何なのお前」 「……」  聖の表情は何一つ変わらない。 聖は珠樹の髪を離すと持っていた日本刀の刃を下に向けた。 そして何が起こったのか理解出来なかった。  珠樹は頭部に強い衝撃を感じた。何かで殴られたようだ。衝撃で身体が傾いた珠樹は、ゆっくりと姿勢を戻す。聖は起床した時と同様、無感情で立っていた。 死神。 死神の手には日本刀が握られている。しかし刀身は天にではなく、地面に向けられている。ああ、そうか。柄で殴られたのだ。 「瀬戸珠樹。リストは何処だ」  聖はもう一度問う。 「……今殴られた所為で、保管場所忘れた」  珠樹の返事に苛立ちも怒りも見せず、突っ立っている。 「どうしたんだよ、殴らないのか」 「……耀央。やはり俺に拷問は向いていない」  聖は振り返って、誰も居ない空間に呼びかける。 よく見ると、珠樹が椅子に座らされている奥にドラム缶が部屋を隔てるように置かれている。 「だろ?」  姿は見えないが、場違いな明るい声が聞こえた。耀央である。 「お前は甚振るよりもさっさと殺す方が得意だからな」  耀央は自分よりも背の高い聖の背中を叩くと、珠樹を見るなり大声を出す。 「血出てるじゃん! 勿体ねえ!」  珠樹は殴られた衝撃で流血していた。 「よし! じゃあ坊ちゃんの血の色を見せてくれよ」  耀央はにやにや笑いながら注射器を取り出した。 「お前、何するつもりだ」  珠樹の中で初めて恐怖の感情が顔を出した。 「大丈夫だよ。リラックスしろ」  注射器を持った人間が笑いながら迫りくる場面で落ち着いてなどいられない。耀央はもう片方の手にあるナイフで両腕を縛っている珠樹の縄を切った。解放されたのも束の間、左腕を捕まれる。 「聖、手伝ってくれねえか」 「……分かった」  聖は耀央の代わりに珠樹の左腕を掴み、掌を向けさせる。採血される体勢と同じである。 「やめろ、何する気だ」 「大丈夫。薬打ったりしねえから。ちょっと血を見させて貰うだけだ」  耀央は慣れた手付きで注射器の針をつけると、採血を始める。注射針は珠樹の血管を突き刺し、チューブに自分のどす黒い血が運ばれていくのが分かる。健康診断で血液検査をされても特に何ともない珠樹であったが、今回ばかりは身体が軽くなるような、倒れそうな感覚に陥る。 「……俺の血を抜いて何するつもりだ」 「お前、護衛の奴らから聞いてないのか」  耀央は信じられないと言った様子で珠樹を見返す。 「俺はブラッディ・アーティストの白瀬耀央。人間の血を絵具代わりにしてキャンバスを描く。見るか、俺の作品」 「断る」  耀央は注射針を抜くと、採血管をよく振る。 「……どうだ」  聖はこの耀央の奇行にも一切動じず、相変わらず抑揚のない声で尋ねる。 「可もなく不可もなく……」  耀央は黙り込んでから言い放った。 「普通。でも勿体ねえから取っておくわ」  そう言うと持参したクーラーボックスのような箱に採血管を入れ始める。 「坊ちゃん、これが俺の作品。特別価格で売ってやるぜ」  耀央は赤黒い色をキャンバス全体に塗りたくったような、何が描いてあるのか分からない絵を見せてくる。 「いらねえよ」 「耀央、もういいか」 「ああ、お遊びはここまでだな。拷問のプロを呼んで来るわ」  耀央は大事そうにクーラーボックスを運ぶとドラム缶が並んでいる奥へと姿を消す。 「次のお客様、お願いします~」  まるで店員のように呼び掛けると、奥から有彩が出て来た。その後ろから瑛と縛られた翼がやって来る。 「加賀美!」  翼はこの二人に暴行を加えられたのか吐血し、あちこちから血が出ている。翼は瑛に強引に押され、地面に倒れ込む。 「さて坊ちゃん、データの在りかを吐く準備は出来たかな」  耀央はナイフを向けるが、すぐに翼の方に歩いていく。 「坊ちゃんには暗殺の命が出ているけど、こいつにはない。こいつが生きるかは死ぬのかお前の行動次第ってことだ」  耀央は心底楽しそうである。 「……珠樹。絶対に言うな」  翼は力強い視線を珠樹に向ける。目だけでも感情が、翼が何を伝えたいのか理解出来る。 「まあすぐには言わないよな」  耀央はそう言うと、瑛と有彩を見やる。 「……私、もう疲れた」  有彩はそう言うとポケットからスマートフォンを取り出して部屋の端の方に座る。対して瑛は翼の右腕を掴んで天井に向けると、足で翼の肩を踏んづける。その後、骨が折れたような嫌な音と共に翼の呻き声が空間に響く。 「……叫ばねえとは立派だな」  瑛は意外そうに呟く。 「……加賀美」  目の前の翼は自分の所為で傷ついている。翼は叫び声を上げなかったものの、暴行を受け続けた為か息が荒い。いくら訓練を積んでいるとはいえ、身体にも限界がある。 「加賀美は関係ない。俺を殴れよ」 「だって。どうする?」  耀央は聖に指示を仰ぐ。 「お前のようなお人よしは自分が傷つけられるよりも、他の誰かが痛めつけられる方が堪えるだろう。そのままその男を拷問しろ」 「了解」  耀央は返事をすると、瑛が外した肩の関節を思い切り踏む。翼はたまらず声を出す。 「やめろ!」 「珠樹。絶対大丈夫だ。俺を信じろ!」  翼は顔を痛みで歪めながらもまっすぐ珠樹のことを見る。 「何が大丈夫なんだ? この状況でよ」  耀央は嘲笑を浮かべる。 「もしかして、お仲間が助けに来てくれるとか期待してんの。それは無理だぜ」 「この部屋には通信妨害の機械がある。仮にお前達がGPSを付けていても電波は遮断される」  聖はまるで機械のように説明をする。 「……この部屋では、だろ」  翼は怪しげな笑みを浮かべる。 「俺達をここに輸送するまではどうなんだ」 「……」  翼の言葉に初めて聖の顔色が変わった。 「はったりだよ」  耀央はそう言ってナイフを出す。瑛もそのまま翼を蹴ろうとするが、何かが壊れる音がしたと思うと一瞬にして場が暗くなった。 「何だ⁉」  闇の中で耀央の焦りの声が聞こえる。 「電気が消えた」  有彩だけはスマートフォンを操作していた為、手元が僅かに光っている。 きっと助けだ! 珠樹は足が椅子に縛り付けられた状態ではあるが、わざと重心を前にして地面に倒れて何とか翼の方へと向かう。すると、何かが珠樹と翼の身体に触れる。珠樹は足に巻かれていたロープを切られ、自由に動けるようになった。 「助けが来てるよ!」  有彩がスマートフォンの光度の高い光を場に照らす。  珠樹は腕を引っ張られ、慌ててその場から走り出す。大量に積まれているドラム缶を避けながら入口に向かうと、そこは蛍光灯が生きていた。前には順也と順也に支えられて歩く翼が見えた。珠樹の横に居るのは雅貴である。 「大丈夫?」  雅貴は心配そうに尋ねる。 「俺は大丈夫。それより加賀美は……」  しかしすぐに追手が来る。銃声が響き渡った。 「マサと珠樹。翼を頼むわ」  順也はぐったりしている翼を雅貴に預け。自身は聖達を迎え撃つように背を向ける。  三人は倉庫の外に出ると、すぐ近くに車が停まっていた。雅貴は翼を助手席に乗せるが、既に背後には有彩が立っていた。 「たまちゃん、車に」  雅貴の指示で珠樹は後部座席に座った。二人は何やら話している。すると雅貴は後部座席の扉を開けると、 「たまちゃん、車運転出来るよね」  といつになく真剣な面持ちで尋ねる。 「え? うん、まあ……」 「なるべく遠くに逃げて。翼をよろしくね」  雅貴は車のキーを珠樹に渡す。  珠樹は後部座席から降りて運転席の扉を開けるが、もう一度雅貴を見る。 「本当に行って良いのか」 「いいから、早く」  珠樹は運転席に乗り込み、車のエンジンをかけた。その数秒後に倉庫から聖が出て来る。 「何処へ行く?」  珠樹は慌ててシフトレバーをドライブにし、アクセルを踏んで発車した。何処に行けば良いのか分からないが、とにかく走ろう。サイドミラーには黒の礼服の聖が映っていたが、いつの間にか見えなくなっていた。
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