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ⅩⅠ章
翼と珠樹が尋問される数時間前。
「坊ちゃんまで飛び降りたんだけど、どうすんの⁉」
伊織は意味が分からないと言った様子で、翼と珠樹が乗っている船を指差す。聖達が強奪した海賊船はクルーズ船から遠ざかって行く。護衛対象が敵の手に渡ってしまった。限りなく任務失敗に近いが、順也は相変わらず能天気な声を出す。
「俺は坊ちゃんのこと見直したで。翼のことが心配でついて行ったんやろ。男気あるやん」
「男気とかの問題じゃないでしょ。拷問されてデータの在処を吐かされるに決まっている。任務失敗ってことだよ」
「まあ起きたことは仕方ないよ」
伊織と順也の会話に雅貴はいつもと変わらない調子で入る。
「まだ失敗してない。逆に決着をつけるチャンスだと考えよう」
「そう言われても、奴らが何処に行くか分かるの」
「うん。船にGPS投げ込んでおいた」
さすがマサ、抜け目ないなと順也は感心するが、問題がある。
「でも陸に上がったら船のGPSも意味ないんちゃう? 拷問は船の上ではしないやろ」
「それは俺の腕の見せ所よ」
雅貴はそう言って、左手で自身の右の二の腕を叩く。すぐにパソコンを開いて地図を表示させる。その地図に赤い点が移動をしている。点は地上ではなく、青く描かれた海上を渡っている。
「船が地上に辿り着いたら付近の監視カメラの情報をお借りして、使っている車を割り出して追って行けば良い」
「なるほどな」
それならば翼と珠樹の居場所を追跡出来る。
「とりあえず、俺達も地上に着いたらすぐ追跡出来るように準備しておくから、そのつもりで」
「了解。武器も追加してほしいな」
「合点承知の助~」
伊織の言葉を受けて、雅貴はキーボードを叩く。
順也は遠のいていく船を見ていく。海賊船はもう、豆粒ほどの小ささになってしまった。
瑛。一時は共闘をした仲や。あいつは敵と言うよりは、好敵手。ライバルに近い。しかし地上に戻れば、敵となる。決着を付けなあかん。
「何、哀愁漂っている顔してんの」
伊織は順也の横にやって来る。
「いやあ、ちょっと物思いに更けとったわ」
「どうせあの格闘家のことでしょ。心配されない翼と坊ちゃんが可哀想」
「あの二人は大丈夫やろ。翼が付いておるし」
「でもさ、四対一じゃ、分が悪いでしょ」
伊織の言葉に順也はようやく、翼の置かれている状況を理解した。
「珠樹は戦力にはならない。簡単に口を割るタイプではないけど、一般人なんだよ。目の前で翼が殺されそうになったら、あの子はデータのことを話してしまうかもしれない」
「……すまん、そこまで考えてへんかった」
順也は瑛と戦うことばかりで後輩の翼のこと、護衛対象である珠樹の立場を想像すらしていなかった。
「翼は簡単には殺されないと思う。むしろ坊ちゃんが飛びこんだおかげで、情報を吐かせる為に利用されるはず。私達が救出しに行っても戦力としてカウントしない方が良いと思うな。そうなると、四対二。私達が二人を相手しないといけない」
「あれ、俺は?」
雅貴は尋ねるが、二人は何も答えなかった。
「確かに不利な状況であるが、うちのリーダーがそこんとこ、上手い作戦を考えてくれるやろ」
「リーダー、絶対に勝てる作戦とかあるよね」
「さっき、俺を戦力としてカウントしなかった癖に……」
雅貴はぼやきながらもキーボードを叩きつつ、作戦を考えていた。
船が港に到着すると、現地の警察や騒動を聞きつけたマスコミで賑わっていた。順也達は群衆を抜けると、アストライアに手配して貰った車に乗り込む。雅貴はスマートフォンで地図を確認すると、すぐに発車させる。
「奴らは郊外の空き倉庫の前で姿が見えなくなっている。倉庫の中で尋問していると見て間違いない」
「まずは珠樹と翼の救出やな。せやけど真正面から突っ込んでも勝機がないのは俺も分かるぞ」
「そこは秘密兵器使うしかないね」
雅貴には何か策があるようである。
「今回は二人の救出が最優先ってことで良いの」
後部座席に座っている伊織は拳銃の確認をしながら尋ねる。
「うん。窃盗団と戦ってお互い疲弊している。二人の救出が出来たらさっさと逃げたいところだけど……」
雅貴の語尾が弱弱しくなる。
「そう簡単にいかないやろ」
もし順也が暗殺者側の立場だったら、応戦するに決まっている。
「だよねえ。まあでも間違いなく瑛は順也を狙ってくると思う。神父は異様にたまちゃんに執着しているからたまちゃんと一緒に居るメンバー、ブラッディ・アーティストはイオちゃんのこと、気に入っていたよね?」
「私、あいつ嫌いなんだけど」
伊織は声だけでも嫌悪の感情が伝わって来る。
「残るは粛清の女神。あの人だけは行動が読めないな。とりあえず、俺はたまちゃんと翼の救出をするよ。それで逃げる。もし俺が誰かと交戦することになったら、二人の内どちらかに車運転させて逃げさせる」
「それでええと思う。俺達も珠樹達を逃がす時間を稼げればええんやな」
「うん。あくまで救出が最優先」
しばらく走行すると、雅貴はある倉庫の前で停車する。時刻は深夜に近い。ここは左手が海となっており、陸側にはプレハブやコンテナ倉庫が立ち並んでいる。深夜の為物音はせず、人の気配もしない。倉庫もひっそりと静まり返っているが、一つの倉庫だけは煌々とした明かりが漏れていた。
「とりあえず周囲を確認しよう」
雅貴が小声で出した指示に順也と伊織は頷いた。倉庫はプレハブで建てられており、ところどころ老朽化している。今は使用していないのだろう。倉庫の中から声がするが、何を言っているかまで聞き取れない。倉庫は窓もなく、窓からの侵入も難しい。
「正面突破しかなさそうだね」
雅貴はそう言うと、入口の扉を見る。鍵はかけられていない、元々倉庫は鍵を外から掛けることが多い。その点に関しては侵入は楽であるが、問題はその後である。
雅貴は何も言わずに、順也と伊織に目配せをする。言葉は発していないが意図は分かる。
“開けるよ”
雅貴は扉を少しだけ開く。中は明るく、眩しく感じたがすぐに目は慣れた。人の姿はない。ただ一番に目についたのが、床に血痕がついていることだ。しかし量はそれほど多くはない。
「誰もいない……?」
雅貴は更に扉を開けるが、順也と伊織が見ても倉庫の空間に誰か居る気配はない。思い切って扉を開け、恐る恐る一歩中に入るが部屋には誰も居なかった。ただし倉庫の中央から先はドラム缶が詰まれ、まるで迷路のようになっている。その奥で声が聞こえる。雅貴は先程同様、順也と伊織と目を交わし、物音を立てずに奥へと向こう。ようやく声が聞こえ、ドラム缶に身を隠しつつも状況を確認する。珠樹は椅子に縛られ、真横に聖が立っている。珠樹の前には地べたに寝かされた翼、こちらも縄で縛られており、横には瑛と耀央が立っている。有彩は一人、つまらなさそうにスマートフォンを操作している。拷問に興味はないらしい。状況は確認している一方、伊織は一人天井を見上げている。
「どうや」
「誰にもの言ってんの」
大丈夫らしい。順也と雅貴は暗視ゴーグルを装着する。倉庫の照明を壊し、暗闇に乗じて二人を助ける算段である。
「いくよ」
伊織が小声で合図をかけると、拳銃を天井に向ける。いつでも動ける心構えが出来ている。銃声が響いたと同時、ガラスが砕ける音がした。伊織の放った銃弾は命中し、蛍光灯のガラスを割る。そして翼と珠樹の居る空間は闇へと変わる。順也は真っ先に飛び出した。暗視ゴーグルを着用している為、暗闇の中でもドラム缶や人間の姿が深緑色に見える。更に元々の二人の位置が分かっていた為、簡単に駆けつけることが出来た。
「何だ⁉」
「電気が消えた」
奴らの狼狽の声が聞こえたが気にせず、順也はまず翼の元に行き、両腕と両足を縛っている縄をナイフで切る。すると、何処からか眩しい光が当てられた。
「助けが来てるよ!」
有彩の声である。有彩は元々スマートフォンを手に持っていた為、カメラ横のライトから光を出したのだ。順也は何も言わずに翼の肩に手を回して引き返す。同時に伊織が投げた煙幕がもくもく湧き上がる。翼を補助しながら入口へと引き返す。
「先輩、ありがとうございます……」
翼は今にも泣きそうな顔で礼を言う。
「俺の方こそ、翼一人にして堪忍な」
あの時、瑛と一緒に操舵室に行かなければこんなことにはならなかったかもしれない。順也はすぐにその時の感情を優先して行動してしまう癖がある。その所為で大事な後輩が傷ついてしまった。
「俺の力不足です。もっと強くならないと……」
「翼はもう十分強い。運が悪かっただけや」
順也の後に雅貴と珠樹が続く。珠樹は一人で歩けるくらい、元気ではあった。
振り返ると、先程まで二人が捕らえられていた空間は煙に包まれていた。逃げるなら意味である。
「とりあえず退避しよう。特に二人は早く」
雅貴が指示を出したと同時に場に銃声が響き、プレハブの壁を貫通する。
「マサと珠樹。翼を頼むわ」
順也は支えている翼を雅貴に預け、煙幕の漂う空間を見る。
「ここはうちらが何とかするから」
伊織も拳銃を構える。
「分かった」
雅貴は翼と珠樹を連れて倉庫の外へと出る。予め停車していた車に二人を乗せる。そして運転席に乗り込もうとするが。
「ねえ、取引しない?」
拳銃を持った有彩が不敵な笑みで近づいて来る。何で? ジュンとイオちゃんが居たはずなのに。それとも、他の三人と交戦している隙をついて、外に出たのか。雅貴は思案するが、今は有彩がどうやって倉庫から出て来たのか考えるより、どのようにこの場を対処するのか考えた方が良い。
「……取引って?」
「この二人を見逃す。代わりにあんたに協力してほしいことがあるんだ」
「協力してほしいこと?」
「うん。ハッカーなんでしょ、あんた」
どうやら有彩は雅貴にやらせたいことがあるらしい。
「それって具体的に何?」
「取引するの、しないの?」
有彩は拳銃を向けたまま尋ねる。取引を断れば、この拳銃の引き金を引かれるだろう。
「……分かった。パソコン取るから、待ってて」
雅貴は運転席の座席に置いていたパソコンを取る。背を向いた時に撃たれないかと不安もあったが、有彩は大人しく待っている。
「たまちゃん、車運転出来るよね」
雅貴は後部座席の扉を開いて珠樹に尋ねる。
「え? うん、まあ……」
「なるべく遠くに逃げて。翼をよろしくね」
雅貴は車のキーを珠樹に渡するが、不安そうに見返した。
「本当に行って良いのか」
「いいから、早く」
珠樹は迷いながらも車のエンジンをかけた。その数秒後に倉庫から聖が出て来る。
「何処へ行く?」
聖の問いも空しく、車は勢いよく走り去っていく。聖は雅貴も仲間であるはずの有彩のことも一瞥もせずに、何処かに消えて行った。
「じゃあ、落ち着ける場所に移動しようか」
背中に拳銃を突き付けられた雅貴は有彩に促され移動する。倉庫が立ち並んでいる港を黙って歩いて行く。海が見える。ただ夜の海は暗く、先が見えない。波音がしているから海があると分かるが、何の音もしなければ海だと思えないだろう。ただ暗黒が広がっている。
「何処に行くんですか」
「どっかの倉庫」
「一応、既婚者なんだけど……」
「私があんたみたいな力の弱いチンピラ男を好きになると思う?」
「すみません……」
雅貴はもうどうにでもなれと有彩に従う。自分はどうなるか分からないが、翼と珠樹を逃げせただけでも万々歳だ。
「人質を逃がして大丈夫だったの?」
「え? どうせ小早川が追って行くから大丈夫でしょ。なんか珠樹のこと、好きみたいだし」
「たまちゃんに手錠かけていたって噂があるんだけど本当?」
「ああ、そう言えばあんた、あの時居なかったね。本当」
仲間であるはずの有彩も呆れている声色である。
「そことか良さそう」
有彩は斜め前の倉庫を見付けると、そこに入るように指示する。倉庫の中は暗かったが、扉の横にあるスイッチを押すと数秒して明かりがついた。先程の倉庫はだだっ広い空間にドラム缶などが置かれていたが、ここは箱が積まれている。
「じゃあ、これを椅子代わりにして」
有彩は乱暴に箱を雅貴の方に蹴る。滑ってやって来た箱を椅子の代わりに座る。雅貴は膝の上にあるパソコンを広げる。
「あ、この箱の高さも良い感じ」
今度は雅貴の前に丁度パソコンを置いて操作するに丁度良い高さの箱がやって来る。更に雅貴の横に有彩が監視する為の箱も置かれ、座る。
「……それで俺は何をすれば良いの」
「うん。居所を教えて欲しい人が居てさ」
「居所?」
「そう。こいつら」
有彩はスマートフォンの画面を見せる。三人の男の名が書かれている。
「こいつら、今何処に居るか調べてくんない? 敏腕ハッカーなんでしょ」
「……調べてどうするの?」
「……私の異名、知ってるでしょ」
粛清の女神。
「裁きを下すの」
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