Ⅰ章

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Ⅰ章

 「えっと何? たまたまおばあちゃんの誕生日プレゼントを買おうと思って宝石店に入ったら、たまたま宝石強盗に遭遇して強盗犯の集団を倒したと」 「そういう事になるな」  警察官の藤原洋介は呆れたようにため息をついた。  順也は伊織と翼の助けを借りた後、地面に転がった男達を見張り、到着した警察に引き渡した。顔なじみの刑事はまたかと言った様子で順也に事情聴取をする。 「日本での強盗事件の発生数を知っていますか。年間に数百件です。他国と比較しても非常に少ない数ですが、貴方は既に何回も体験しています」 「やっぱり俺、持っとるのかな」 「死神の鎌とかですか?」 「ちゃう! 誰も死んでない!」  順也は声を上げる。 「俺がおるからみんな助かっとんねん」 「逆にあなたが来たから、その場に居た人が巻き込まれるのでは?」 「そんな俺を米花町の名探偵みたいに言うのやめて」  洋介はまあでも、と言葉を切った。 「あなたのおかげで暴力団の一味を逮捕出来ましたし、宝石店も何も盗られずにすんだので感謝していますよ」 「それならええけど。俺もばあちゃんに買おかと思ったネックレス、お店の人がどうしてもっちゅうからただでもろて、気が引けるわ」 「結果的には良かったじゃないですか」  警察に強盗犯の集団を引き渡した後に事情聴取を受けていると、宝石店の店長がお礼にと、順也が買おうと思っていたガーネットの宝石のネックレスを包装して渡してくれたのだ。順也は断ったがどうしてもと言うので受け取ってしまった。 「日本にはいつまで居るんですか」  洋介は職業柄、順也の“仕事”のことを知っている。丁度順也と同い年で巡査部長の陽介は、一度協力して日本に亡命を企てようとした海外の麻薬組織の一員を捕まえたことがある。それを機に親しくなったが、順也の悪運のことを知ると陽介はうんざりとするようになった。 「え、何? デートのお誘い?」 「何言っているんですか。疫病神がいつ出国するのか知りたいだけです」 「疫病神言うなや。傷つくわ」  順也はわざと泣いているように振る舞うが、洋介は真顔であった。 「まだ分からへんけど、しばらくはおると思う。たぶん。せっかくやから飲みにいかへん?」 「遠慮しておきます。今度は居酒屋に強盗犯が入るかもしれないので」  洋介はきっぱりと断ったが、あ、でもと言葉を止めた。 「あの同僚の方が居るなら行っても良いですよ」  と何故だか恥ずかしそうに声を小さくして言う。 「同僚? マサのことか?」 「いや、あの綺麗な……」 「伊織のことか⁉」  順也は声を上げる。 「あいつはやめておけ! 見た目だけやで! 今日もパンケーキ食う為に三時間も待ってたんやで」 「三時間? そんなの俺からしたら一瞬ですよ」  洋介は鼻で笑う。 「こちとら張り込みで数日待っている時もありますからね。三時間なんてあっという間ですよ。しかも伊織さんと一緒なんでしょ。余裕です」  洋介は長身で顔も整っており、放っておいても女性から寄ってきそうな美青年である。女運が悪いと言うのは一度飲みに行って酔っ払った洋介から聞いたことがある。もっと他にええ女がおるやろうと順也は思ったが、これ以上は言えなかった。 「そうなんか。今度、あいつに聞いてみるわ」  それから数日は何も事件は起きずに平穏に過ごすことが出来た。順也も地元の大阪に帰省して、祖母にプレゼントのネックレスを渡すことが出来た。しばらくはぬくぬく実家に居ようと思っていたが、数日足らずで雅貴からの招集がかかってしまった。順也は家族と別れ、再び東京へと向かう。今回は何処に行くんやろうな。  順也は世界を股にかける組織、『アストライア』に所属している。アストライアとは、ギリシャ神話の正義の女神の名である。世界の平和や均衡を保つ為に暗躍している、俗に言うスパイである。こんな漫画のような諜報機関が本当にあるなど、順也はスカウトされるまで信じていなかった。ちなみにアストライアに入る方法はない。エージェント候補と見込まれた者だけが声を掛けられる。  順也がスカウトを受けたのは大学生の時だった。高校までは空手に打ち込み全国大会まで出場したが、勉強の方はからっきしだった。部活を引退した後に慌てて受験勉強しようとしても結果は目に見えていたので、推薦で体育大学に入学した。ただし親からは大学に行ったならば教員免許を取れと言われていたので、仕方なく人よりも多く講義を受講していた。しかし二十歳の時に遭遇したコンビニ強盗の事件の後、アストライアにスカウトをされた。  大学からの帰り道、駅まで徒歩で歩いていると突然スーツに身を包んだ集団が現れた。順也は最初、同じ大学の就活生の大群が歩いてきたのかと思っていたがそうではなかった。一人が突然順也に襲い掛かると、他の数人も順也に向かってくる。 「何やお前ら、俺に恨みでもあんのか」  順也は反射的に空手の技でスーツの集団達に応戦をする。戦いながら顔を見るも誰も知らない。順也は自分が襲われる理由について思案したが心当たりはない。 「もしかして疫病神がお友達の死神さんを連れて来たんか」  刹那、何かが順也の方に放たれる。日が暮れていた為視認出来なかったが、順也は直感で気配を悟り、右手で放たれた何かを掴んだ。 「いった! 何やこれ」  右の掌が痛む。掴まないで避けた方が良かったかもしれへん。右手を開くと、手の中にはゴム弾のようなものが乗っている。 「暗闇の中弾を掴んだことは評価に値するが、今の攻撃で君の右手は負傷した」  男の一人が口を開いた。 「死神さん、喋れるやん」 「次は避けてみろ」 「よお分からへんけど、面白そうやん」  順也は今自分が置かれている状況についてさっぱり理解が出来ないが、不安よりも好奇心の方が勝った。さっきのゴム弾を良ければ良いんやな。順也は深呼吸をする。  闇の中から次々とゴム弾が放たれた。目には見えないが何となく前方の方角から来ると察し、順也は素早く避ける。しかし連続で放たれると何発も身体に当たってしまった。 「難しいな。当たってまう」 「初回でそれだけ動ければ上出来だ」  男の一人は拍手しながら順也の前にやって来た。 「麻倉順也。我々と共に、人々の平和の為に戦わないか」  順也はこうしてスカウトされたのである。  その後詳しくアストライアの説明を受け、順也は入ることを決めた。このまま教員免許を取って教師として働くよりも、人より危険な目に遭って最悪死んでも、誰かの為に戦う方が俺の性に合っとる。それに映画みたいで格好ええ。順也は二つ返事で了承した。  ただし大学を卒業してからと制約があった為、卒業までの二年間は鍛え、世界を渡るには必要不可欠な英語を学んだ。順也は二十歳までろくに英語を喋れなかったが英会話の講義を取り、長期休みにはネイティブの教師の居る英会話教室に通い、何とか日常会話まで出来るようになった。  親には本当のことを話せないので、街中で人を助けたら商社の海外の購買の担当者に気に入られ、卒業したらその商社に入社することになったと説明した。当然怪しまれたが、自分は日本よりも海外におる方がしっくり来ると言われ、何とか納得してもらった。  卒業後はアメリカに行かされたが、すぐにアストライアのエージェントになれるわけではなかった。試験に合格したからと言っていきなり警察官になれないように、二年間は訓練をさせられた。途中で脱落する者もいたが、何とか耐えしのいだ。この訓練生の時に出会ったのが雅貴と伊織である。  雅貴は髪を金髪に染め眼鏡を掛けていて、誰にでも気さくに話しかける男であった。訓練生の中でも目立つ外見だったが、実戦はからっきしだった。体術も弱く、射撃の訓練でも銃弾は中々的に命中しない。皆は何故、彼が此処に召集されたのか疑問に思っていたが、パソコンを目の前にした瞬間、雅貴は実力を発揮した。誰よりも早くハッキングをして、データを盗み取ったのである。要するに戦うことは出来ないが、ハッキングに長けた人物としてアストライアに呼ばれたのだ。順也が雅貴と親しくなったのは実戦練習の時、仮のチームを組まされた時だ。そのチームに伊織も居た。  伊織は背が高く順也と同じ百七十センチ近くあり、髪は茶色で肩の上につくくらいのショートでウェーブがかかっている。外見だけ見ると、目がぱっちりとしていて美人である。伊織は射撃練習では訓練生の中で一番の成績であった。親の仕事の都合で長年アメリカに住んでおり、毎日家の近くの射撃場で射撃の練習をしていたと言う。本人曰く、嫌がらせや差別される為に的を嫌いな相手の顔だと思って撃っていたら、いつの間にか銃弾が命中するようになったとのことだ。この話を聞いた時、順也は伊織を怒らせないようにしようと誓った。  近接戦闘に長けた順也と射撃を得意とする伊織、そしてハッキングだけでなく、冷静に作戦を立てられ、指示が出来る雅貴はランダムで組まされたチームであったが相性が良く、好成績を残すことが出来た。訓練が終了し正式にエージェントとなっても、三人は同じチームの仲間として活動を共にすることになり、雅貴は親友、伊織は腐れ縁の存在になった。  数年間は三人で任務をこなしていたが、どうしても敵との戦闘の際に順也と伊織の二人だけで戦うことは厳しいこともあった。そこで人員補充を願い出たところ翼が加入し、四人チームとして活動することになった。  翼は順也達の二つ下の後輩にあたり、素直で笑顔の似合う青年である。黒髪をセンター分けにしており、その爽やかな風貌は女性だけでなく、男性からも好かれる。体術も銃の腕もそれなりにあるので、何でも出来る。本人は先輩達みたいに得意なことはないと言うが、順也達からしたらその場に応じて接近戦も銃での援護も出来るので非常に助かる存在である。  通常任務が終わると海外から日本に戻り、早い時は三日、遅い時は二、三ヶ月休暇となるのだが、今回の休暇はたった一週間で終わってしまった。新たな任務が入ったと言うことである。 「おつかれさん。お土産買おて来たぞ」  順也は陽気な声で挨拶をして雅貴から指定された貸し会議室の部屋へと入った。アストライアの本部も日本支部の場所も順也は知らない。情報漏洩を防ぐ為である。任務の打ち合わせの場所はいつも違い、その時の雅貴の気分で決まる。部屋に入ると、既に雅貴と伊織、翼が揃っていた。 「……順也、あんた私に言うことあるんじゃないの」  伊織は開口一番順也を睨みつける。 「ははあ、伊織様。今回はたいへん申し訳ございませんでした。お詫びといってはなんですが、これをどうぞ……」  まるで失態を犯した企業が取引先に謝罪をするように順也は頭を下げると、一番大きい紙袋を手渡す。 「中身次第であんたが無事に日本を出れるか、出れないかかかってるよ」  伊織はそう言って紙袋の中を開けると、悲鳴を上げる。 「あんた、これ。伝説の、関西にしか売ってないケーキ?」 「さようでございます。伊織様のお口に合うか分かりませんが……」 「合格!」  伊織は叫ぶと上機嫌でケーキを机の上に運んだ。どうやら鉄拳を受けるのは免れた。 「ジュン、良かったね。殴られてたら、絶対入国審査で審査官につっこまれてたよ」 「そもそも病院送りにされて出国出来んかったかもしれん」  順也と雅貴は笑い合うが、すぐに真顔に戻った。 「確かに」  雅貴は強く頷いた。 「俺、飲み物買ってきますね」  翼は一旦会議室の外に出て飲み物を買いに行き、伊織は早速ケーキを机の上に並べだした。翼が戻って来たところで、順也が口火を切る。 「ほんで次は何するんだ」 「今回の任務は護衛と暗殺グループの壊滅だよ」  雅貴は呑気に言うが、中々手強そうな任務である。 「まず護衛するのはこの瀬戸珠樹くん、二十六歳。可哀想なことに暗殺者に命を狙われている。珠樹はフランスを拠点にする日系の就職支援企業、アヴニールの社長の息子」 「所謂ぼんぼんか」  雅貴は机の上のパソコンを操作して、プロジェクターに名前が挙がった珠樹の顔写真やプロフィールなどを映す。珠樹と呼ばれた男は中性的な顔立ちであるが、不満そうな表情で映っている。髪は金髪だが顔立ちは日本人なので染めているのだろう。服装もタンクトップの上にジャンパーを直接羽織っていて、ラフである。写真だけだと社長の息子とは思えない。 「アヴニールって結構有名じゃない? 日本人がヨーロッパで働きたいってなったら、アヴニールに登録すると良いって聞いたことあるよ」  伊織はケーキを頬張りながら言う。 「イオちゃんの言う通り、アヴニールは日本人やアジア人のヨーロッパでの就業支援を行っている会社。地元企業からしたら外国人を雇い入れるのは色々手続きも面倒だし、入社してすぐに辞められたら困る。逆に求職者もいざ入社して思っていた仕事内容と違うとなった時のギャップを埋める為に間に入ってマッチングを行う。アヴニールから紹介された人材は離職率も低いらしく、企業の中でも評判が良い」 「でも護衛ってことは、その珠樹って人は何か命を狙われることをしたんですよね?」  伊織と一緒にケーキを食べている翼が尋ねる。 「そう。ここで事件の発端の珠樹の父親、育三の登場」  雅貴は楽し気な口調でパソコンのキーボードを叩く。プロジェクターの画面には壮年の男が映し出される。育三は立派な髭を蓄え、不敵な笑みを浮かべている。 「瀬戸育三。六十二歳。アヴニールの創業者でこの間まで社長だった。学生時代にフランスに留学してフランスの文化に惚れ込んで移住したが、中々就職先が見付からずに苦労したことから現地企業と日本人の人材紹介の会社を立ち上げた。それからフランスだけでなくてヨーロッパ全土に事業拡大した。一代でここまで出来たんだから相当やり手だね。これが表の顔」 「表の顔っちゅーことは裏の顔があるんやな」 「そう。表は人材紹介会社の社長。国をまたいで様々な業種の会社と接点を持つ内に色々見て、知って、聞いて“情報”が集まるようになった。つまり、裏の顔は情報屋」  雅貴は一企業の社長の写真から、何やら怪しい連中と会談している育三の写真を見せる。 「ある企業が独自開発している新商品から役員の浮気情報、もっと言うと国家機密まで育三は情報を集めた。いつからか育三は何の情報も持っている賢者として知られるようになった。そうして育三から情報を買う連中、情報を売りつける者、金を積んで嘘の情報を流させるようにする。この情報化社会で生き残るには“情報”が自身の武器にも弱点にもなる。育三はアヴニールの社長として企業が求めている人材を探る一方で、あらゆる組織、会社の機密情報を集め、社長と情報屋の二足の草鞋を履いた。ただしここで事件が起こる」  ようやく前説が終わり、事件の全貌が明かされる。 「数か月前、育三が末期がんだと診断された。余命は半年。だけど当の本人は後悔のない人生だったと笑って死を受け入れたけど、周りはそうじゃない」 「そら、そうやろ。残された方は社長の代わりを探し、業務を引き継ぎせなあかん。更に遺産相続もあり、大忙しやで」 「まさにジュンの言う通り。まずアヴニールの次期社長として候補に挙がったのが珠樹の姉の瀬戸珠世」  雅貴はスクリーンに写真を見せる。珠世は美しい女性である。艶やかな黒髪は胸の下までの長さで、順也は化粧のことなどよく分からないが、はっきりとした赤色の口紅を付けて笑みを浮かべている。何処か不敵な、挑戦的な色を帯びている瞳は父の育三に似ている気がする。 「べっぴんさんやな。性格きつそうやけど」 「珍しく順也と同じ意見」  伊織も同意する。 「見ただけで何が何でも社長になりたいタイプの女だって分かるわ」 「さすが伊織探偵」  雅貴は珠世の別の写真を見せる。いかにも高級そうなドレスに身を包んだ珠世がパーティーに出席している場面や父の育三同様、怪しい黒服の連中と歩いている写真もある。 「珠世は珠樹の八つ上の姉で育三の前妻の子だ。つまり、珠世と珠樹は母親が違う。珠世の母親は彼女が八歳の時に病気で亡くなった」 「ちょっと待って、おかしくない? 珠世と珠樹は八歳差なのに、珠世のお母さんは八歳の時に亡くなったの?」 「亡くなる前から、デキてたってことやろ」  順也の言葉に伊織は最低と言って顔を歪める。 「ジュンのご指摘通り、珠世から見れば母親が亡くなってすぐに父親が身ごもった新しい母親を連れて来たわけだ。当然良い気はしないだろう。おまけに生まれた子が男と来たもんだから、次期社長のポジションを奪われない為に、珠樹に相当嫌がらせをしていたらしい。姉弟仲も最悪だ」  珠世の気持ちも分からなくもないと順也は思う。母親が亡くなって悲しみに暮れとる間、当時八歳の珠世にとって死を受けれることは容易やなかったはずや。それにも関わらず、新しい母親がやって来て、弟が生まれると言われても受け入れられるはずがあらへん。 「珠世はずっと自分が社長を継ぐと宣言し、その為の勉強もしてきて、今は取締役専務としてアヴニールに居る。勿論裏社会でも顔が利くように十代の時からパーティーに出席して情報屋との手腕も中々だ。対して珠樹はずっと社長は継がないと明言して、今はアヴニールでも一般社員として経理の仕事をしている」 「坊ちゃんなのに経理?」 「そう。本当は他の企業に就職したかったみたいだけど、さすがに許して貰えなかったみたい。経理なら会社の金の動きも分かるし、ゆくゆくは監査役にでもするつもりだったんだろうね」 「なるほどな」  しかし同じ部署の社員はやりづらいなと思う。本人は一般社員のつもりでも、周りから見たら会社の社長の息子や。 「次期社長は珠世で決まりだと思われていた。元々珠世は社長も情報屋の座も父親から受け継ぐつもりでいたし、周囲もそう思っていた。しかしここで突然、珠樹が自分が社長になると言い出した」 「どう言う風の吹き回しなんや」 「珠樹の心変わりについては一旦置いておいて、珠世はどうせ執行役員会議で珠樹を推薦する人なんぞ居ないと高をくくっていたが実際は違った」  だから暗殺か。ようやく順也は何故珠樹に護衛が必要なのか理解出来た。 「意外にも役員の中で珠樹を社長に推す者が居た。理由は珠世が社長になった場合、情報屋も引き継がれるから、情報屋と会社を分けてほしいと考えている者からの支持。会社はただの人材紹介会社で情報屋は社長が勝手にやっているだけだからね」 「確かに情報屋として提供した情報の所為で不利益を被った人が、本来関係ないアヴニールに報復する可能性もあるよね」  伊織は頷いた。 「後は育三も珠世も経費で派手に豪遊している。そのことを良く思っていない役員も多い。対して珠樹は慎ましく生活しているし、一般庶民の感覚も持っている。役員の中でも意見は割れ、見かねた育三が病室で折衷案を考えた。それが次期社長は珠樹、情報屋は珠世が引き継ぐ。役員達の間でもこれが一番揉めなくて済む考えだと思っていたら、この決定に納得がいかない者がいた」  雅貴が説明せずとも、珠世であるのは明々白々である。 「珠世は穏便に済ませようと珠樹を説得をしたが、珠樹は拒否。あろうことか、珠樹は珠世の機密情報をちらつかせ、このまま社長の座につくと宣言した」 「しっかり親の血を受け継いどるな」  父親が情報屋なだけある。珠世は実の弟に情報戦で敗北したことになる。 「激高した珠世は珠樹を暗殺することを決意。超やばい暗殺グループに殺しを依頼」 「超やばいってどんなんなん?」 「こちらでございます」  雅貴はそう言ってプロジェクターに四人の男女の写真を写す。真っ先に目に入ったのは、黒のコート姿の男。手には刀身がぎらつく、日本刀が握られている。よく見ると、漆黒のコートは神父が着る礼服で、首からは十字架が下げられている。男は端正な顔立ちをしているが、足元に自分で斬った相手が倒れていても涼しい顔をしている。 「もしかして神父さんなん?」 「聖書の教えに背く気満々じゃん」  伊織が苦笑する。 「……こいつ、やばい奴ですよね」  今まで黙って雅貴達の話を聞いていた翼が、一人真剣な面持ちで口を開いた。 「こいつに命を狙われた奴は必ず死ぬって言われてるんですよ。名は明かされていないから、通称殺し屋神父ってあだ名がついてます」  翼は真顔で言うので順也は面白くて笑いそうになったが何とか堪えた。 「ツバサの言う通り、この殺し屋神父は依頼があれば誰でも殺す、必殺の神父様。こいつに依頼するくらいだから、珠世は相当お怒りってことだね」 「よっぽど機密情報を握られたのが許せなかったんだろうね」  伊織の言う通りである。 「殺し屋神父も中々キャラが立っているけど、お隣の白瀬耀央(よう)も凄いよ。みんな、ブラッディ・アーティストって聞いたことある?」 「ブラッディ・アーティスト⁉」 「何やその愉快な肩書は」  伊織と順也は大笑いするが、翼は真剣な面持ちを崩さなかった。  白瀬と言われる男は銀なのか薄い金色なのか分からない色に髪を染めており、挑戦的な笑みを浮かべ、顔も中々美形である。右手には何故だか絵筆が握られている。 「先輩達知らないんですか? ブラッディ・アーティストの白瀬は人の血を絵具代わりにして絵を描くサイコパスですよ」 「血を絵具代わりに……?」  伊織の顔が強張る。 「そうだよ。気に入った血を持つ人間の血を注射器、もしくは肌を切って血を流血させてそれを採血管か輸血パックに入れて、絵具代わりにして絵を描いているらしい。でも段々と血は黒ずんでいくから、血を奪った人間の隣で描くこともあるんだって。これがその絵」  雅貴は赤色が基調となっている絵を見せる。絵は赤と黒ずんだ赤色、そして元のキャンバスが残した白色の三色で構成されている。その絵は血を使っているにも関わらず、更に血だまりが描かれている。同じ赤でも濃淡の表現で、ワインレッドやボルドーに見える。その血の池の中には小島のように人の腕が浮かんでいる。 「……この絵の腕、血をつこた人間の腕か?」  順也は恐る恐る尋ねる。 「そう。ちなみにこの被害者は出血多量で死んでいる」 「完全に頭イカレてんじゃん」  雅貴の返事に伊織は絶句する。 「坊ちゃん、こんなサイコパスに命を狙われているとは可哀想やな」 「でもおかしくないですか?」  翼は順也を見やる。 「珠樹はただの社長候補の一般人ですよ。護衛は数人居るかもしれないけど、必殺の殺し屋神父だけで事足りる気がしますけど。何でわざわざ白瀬もチームに居るんでしょうか」 「意外と神父の友達なんちゃう?」 「友達かどうかは知らないけど、怒り狂った珠世が確実に珠樹を始末する為に殺し屋を数人雇ってチームを組ませ、拷問してから殺すようにしているらしい。それだけ珠樹が手に入れたデータが珠世にとっては重要で、世に出たらまずいものなんだろうね」 「決算書じゃないのは間違いないな」  順也はもう一度画面を見る。殺し屋神父と血のアーティスト、白瀬の他にもう一人男と女が映っている。 「俺はこの人が今回の暗殺に居るのが不思議でならないな」  雅貴は黒髪ボブの髪型の女を見せる。黒のジャケットに黒のパンツを履きシックな印象だが、手には拳銃が握られている。 「この女、有名なん? 翼は知っとる?」  順也は翼に視線を送るが、首を横に振る。 「素顔は俺達レベルの組織しか知られていないと思う。名は当麻有彩。でも二つ名の“粛清の女神”なら聞いたことあるんじゃない?」 「え、この人があの“粛清の女神”なの?」  何故だか伊織は憧れの人物と会った時のように声が高くなる。 「その粛清の女神って何なん?」 「ここは雅貴に代わって伊織様が説明しよう」  伊織は何故だか立ち上がり、大学の講義のようにプロジェクターの前に立つ。 「このお方は男性から酷いことをされた女性、例えば暴力や望まない妊娠やその他多数。そう言う地獄に堕ちた方が良い人間に制裁を下してんの」 「制裁って殺すんか?」 「場合による。被害に遭った女性の要望を聞いて動画を繋ぎながら、言われた通りに謝罪や拷問、最悪の場合は殺しをする」 「……制裁くらいまではええと思うけど、殺しはまずない?」  暴力を肯定する訳ではないが、順也も人を不幸にしたり最悪の場合死に至らしめて、のうのうと生きている人間を何人も見て来た。そう言う人間に何かしらの罰が下ればええとも思う。しかしそれを一個人が行ってええのだろうか。 「私も理性ではそう思っているけど、現実はどうよ。弱い者が虐げられるように社会が出来ている。日本だけじゃなくて世界の何処に行っても女が虐げられる。私はこういう仕事をしているから多少は強いけど、もし力がなくて尊厳を傷つけられることをされたら、この女神に粛清を依頼すると思うよ」  伊織の目も主張も本気である。 「まあこの女神の行いが正しいか、正しくないかは個人の主観に寄るから一旦置いておくけど」  雅貴は話を戻す。 「珠樹は別に女性に酷いことをしたわけじゃないし、そもそも一匹狼で恋人も友達も居ない。彼女が珠樹の暗殺に加担する理由が分からないんだよな」 「珠樹ではなくて何か別のことが目的なんじゃないですか。それこそ報酬の代わりに彼女が欲しい情報をあげるとか……」 「かもしれないね」  雅貴と翼は目を交わす。 「そんで後はこいつ。ツキシマと言う名字だけしか割れてないんだけど、こいつはある意味ジュンと同じタイプ」 「俺と同じ?」  順也は最後の一人の姿を見る。歳は自分と同じくらいか、少し上に見える。ツキシマも黒髪で、もう少しで目が見えなくなるのではと言うくらい前髪が長い。そして仏頂面だが、眼光は狼のように鋭い。 「武器は使わないし、殺人もしない。自分の拳で強者達と戦いを挑んでいる格闘家」 「何それ。絶対気が合うんやけど」  順也はこのツキシマ同様、己の空手の技のみで相手を倒す。しかし敵は拳銃を持って殺しに来ている。  “不殺”と言うのは理想論でしかない。殺す気で向かってくる敵を、武器を持たずに殺さないで倒すのは至難の業である。ただそれを許してくれる、出来る環境を作っているのは雅貴と伊織である。学生時代をアメリカで過ごしている伊織は銃の扱いには慣れている。相手が発砲してくる前に伊織が撃つ。次の弾を打つ前に順也が空手の奥義で相手を倒すのがこのチームのやり方である。しかしこれは殺人を全て伊織に負担させていることになる。自分の流儀を通す為に人殺しは他人にさせる。最低な人間や。順也は伊織に銃の使い方を教えて欲しいと頼んだが、彼女は断った。 “あんたは人、殺しちゃだめだよ” 伊織はそう突っぱねた。それからも順也が先鋒、伊織が援護と言うフォーメーションで組んできた。ただ限界を感じる部分もあったので、翼を引き入れた。翼は体術も射撃も出来るので、作戦毎に役割を変えることが出来、それからと言うもの任務で失敗をしたことがない。 「ツキシマは元々地下闘技場で戦っていたところ、神父に声を掛けられて暗殺業に手を貸すようになった。殺人はしないけど、瀕死状態にはさせるから油断しないで」  どないな奴か手合わせしてみたいな。声に出したら伊織に怒られると思い、順也は胸の内に願望を押し留めた。 「以上この四人が珠樹の暗殺を任され、現に昨日珠樹の家に神父が押し入ったらしい。この日は大人しく帰ったみたいだけど、次はない。アストライアの方で珠樹と同居で世話役の橋本陸郎氏を保護してホテルの一室に匿っている状態」 「なるほどね。でもこれ、いつまで護衛するのか期限はないよね」  伊織の指摘に順也も気が付く。通常の護衛任務は期間が定められている。例えば会合に出席する間、プロジェクト発表が終わるまでと言うことだ。しかし珠樹の場合は違う。珠樹はもう社長に任命されている。珠世と和解して暗殺を辞めさせるか、暗殺者を捕まえるしかない。 「上層部からは暗殺者グループを捕縛しろと命じられているけど、まあどうするかは珠樹様と要相談ってところかな。とりあえず俺達は午後の飛行機でパリに行くからそのつもりで~」  雅貴はそう言うと、自分の私物をさっさと片付け始める。 「パリかあ。美味しいもんいっぱい食べるぞ」  伊織は目を輝かせている。 「今さっきケーキ食べたばっかりやろ」 「パリに着くころにはお腹減るし、それに私は世界中巡って、ありとあらゆるものを食べ歩くためにこの仕事してんの」  伊織のアストライアの所属理由は仕事で世界中を巡ることができ、尚且つ料理を食べれることだ。要するに仕事するついでに旅行、いや伊織から見れば旅行のついでに仕事をしているのである。勿論任務は真面目にこなすし、他人の命の為に自分の身を危険に晒せる正義心もある。 「後で行きたいお店、リストアップしておこう~」  伊織はすっかり旅行気分である。順也も支度をして空港へと向かった。
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