Ⅳ章

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Ⅳ章

 午後になると、珠樹は翼と一緒に会社へと出社する。翼は陸郎の親戚で珠樹の秘書と言う設定で傍に居ることになる。さすがに会社の中に暗殺者達が乗り込んでくるとは考えにくいが油断も出来ない。雅貴は会社内の防犯カメラの映像をハッキングして監視をし、順也と伊織は一先ずは待機となっている。 「何なん、あのぼんの態度はよ」 「順也に同感。不幸な境遇だと思ってみたら、あんなでかい態度でさ」  順也と伊織は珠樹の部屋に残ったまま、苛立ちを露にする。 「よう翼もあのぼんぼんと一緒におるって言うたな。尊敬するわ」 「そりゃ、二人の為でしょ」  雅貴はパソコンを操作しながら呑気に紅茶を飲む。 「順也と伊織が相性悪いって分かったから引き受けたんだよ。先輩思いの良い子だねえ」 「日本に帰ったら飯奢らなあかんな」 「それで明日のパーティーはどうすんの」  伊織は雅貴に投げかける。 「明日たまちゃんが出席するパーティーの概要を見たんだけどさ、どうやら取引先が主催の珠樹の社長就任祝いのパーティーみたいなんだよね」 「そんなん姉貴が黙って見とるわけないやろ」 「俺もそう思う」  珠世は社長になりたい。その願望、いや執着は実の弟を手に掛けようとする程である。社内で決まっていたことも、取引先などの外部が認めてしまうともう覆すことは難しい。 「逆にパーティー前に珠樹を始末するってことはない? 今日とかさ」  伊織が尋ねるが、 「いや真っ先に疑われるし、他の無関係の人と一緒に襲った方が自分の身の潔白も証明出来ると思う。だから明日行動を起こすと思うな」  雅貴の意見に伊織は確かにと納得する。 「それで作戦はどうするんや」  翌日、順也と伊織は正装をしてパーティー会場に潜入している。順也は黒のスーツ、伊織は薄紫色のロングドレスで参加する。雅貴が上手いこと招待客リストを改竄し、二人の名前をリストに入れたのである。  順也はパーティー会場を見回す。パリで開催されていることもあり、ほとんどが外国人である。逆に日本人は目立っている為、監視はしやすい。  このパーティーの主役の珠樹は、翼と共に仕事の関係先に挨拶をしているようだ。そしてその珠樹の暗殺を企てている姉の珠世は派手な真っ赤のドレスを着てひと際目立っている。さすがに会場の中には暗殺者の四人の姿は見当たらない。皆が煌びやかなドレスやスーツを着ている、普通のパーティーのように見える。 「さすがにここで珠樹の命を狙うってことはあらへんよな」 “さあね。油断大敵だよ” 片耳につけているインカムから雅貴の声が聞こえる。雅貴はパーティー会場に仕込んだカメラと会場周辺の複数の監視カメラの映像を確認している。 “イオちゃんもちゃんと見張ってよ” 「は~い」  伊織はこう返事をするも、先程からパーティーで提供されている食事を食べ続けている。 「自分な、ここに何しに来たか分かっとんのか。飯食いに来たわけちゃうぞ」 「うるさいな。私はパーティーに来ている一般人を装っているだけだし」  と伊織は食べ物を持った手を口へと動かしていく。 「それよりあんた、縮んだ?」  伊織はにやにやと笑う。 「やかましいな。自分が巨大化しただけやろ」  ドレス姿の伊織はヒールを履いており、今は順也よりも身長が高くなっている。 “ねえお二人さん、珠世が動いたよ” 二人は目を交わして静かに移動する。 一方、翼は珠樹の秘書として隣に立っている。取引先と思われる関係者とフランス語で会話しているが、翼にはさっぱり意味が分からない。翼は横で大人しく立っているだけであった。 「はあ、マジだるい……」  歓談が終わると珠樹はジュースを一気に飲み干す。翼はそんな珠樹を見つめていた。 「何だよ、にやにやして」 「いや、フランス語ペラペラで凄いなと思って」 「住んでるんだから喋れるのは当たり前だろ」 「別人みたいで変な感じがした」  横に居るのは紛れもなく珠樹であるのに、日本語ではなく別の言語で話していると、全く違う人のように思える。 「何の話をしたの?」 「別に雑談だけど……」  珠樹は目を逸らす。ただの雑談ではないのか確かだ。おそらく珠樹にとってはあまり良くない話なのだろう。おおよそ、社長に関することに違いない。 「珠樹」  外国語が飛び交う中、はっきりと意味の聞き取れる、女性の声が聞こえた。翼が声がした方を見ると、珠樹の父親、育三が映っているタブレットを持った女性、珠樹の母親が立っていた。 「……来てたんだ」 「珠樹。育三さんがどうしてもパーティーの様子を見たいと仰ったので、オンラインでお見せしたの」  タブレットを持っている母、瀬戸清美は柔和な笑みを浮かべる。育三は六十代だが、清美はまだ若い。四十代後半くらいに見える。珠世のような威圧感はなく、温厚そうである。 「君は誰かな」  育三はタブレットの向こうから珠樹を一瞥すると、すぐに視線を翼に向ける。「こいつは俺の秘書をやって貰おうと思う、橋本翼」 「橋本翼と申します。まだまだ若輩者ですが、宜しくお願い致します」  翼は一礼して顔を上げるが、育三は画面越しでも値踏みするように翼を見る。 「私に許可なく勝手に雇ったのか」 「陸郎が連れて来たんだ。俺と同い年で話しやすいし、秘書だけじゃなくて護衛も出来る程強いんだ。そうだろ」  珠樹は翼に目配せする。 「ええ。中国とイタリアでマフィアのアジトを壊滅させたことがあります」 「え、マジ?」  珠樹は目を見張る。 「フランス語は話せるのか」  育三は一切表情を変えずに問いかける。 「すみません、まだ勉強中です」 「日本語以外で話せる言語は?」 「英語と中国語とイタリア語は何となく分かります」 「フランス語も話せるようにならないと話にならん」 「仰る通りです」 「まあ良い。後で職務経歴書を見せて貰うか」  育三はようやく翼から視線を外し、珠樹を見やる。 「珠樹。お前が私の会社の後継者なんだ。恥をかかないようにしっかりするんだぞ」 「……」  珠樹は返事をせずに俯いた。画面越しではとても病人とは思えない程、育三の物言いは厳しく、鋭い視線は今目の前に立っているかのようである。 「珠樹。今日は堂々としていて、とても良いわよ」  清美は笑みを浮かべると、今度は翼を見やる。 「初めまして、珠樹の母親の清美です」 「こちらこそ、初めまして。橋本翼です」  翼は再び頭を下げる。珠樹の顔つきやゆっくりとした話し方は、清美似だと思う。 「翼さん、珠樹は口下手なところもあるけど、とても優しい子なの。慣れないことで迷惑を掛けるかもしれないけど、どうぞよろしくお願いします」  清美は深々と頭を下げて、この場から去った。 「優しそうなお母さんだね」 「まあ。親父の言いなりだけど」 「色々大変なのは分かった」 「同情すんなよ」  珠樹は顔を上げて翼を睨みつける。 「暗殺のことは理不尽だと思ってる。でも社長を継ぐって、俺が自分で決めたことなんだ。本当はやりたくないけどさ」  珠樹は唇を噛む。 「……自分で、決めたんだ」 「そう言い聞かせてるだけじゃないの」  翼の言葉に珠樹は狼狽の色を見せる。 「お姉さんから盗んだデータが関係してるとか」 「うるせえな。関係ねえよ」 「みんな関係ある時こそ、関係ねえって言うんだよな」 「あら、楽しそうな会話に混ぜて貰っても?」  清美と育三の次は、真っ赤なドレスを身に纏った珠世が現れた。先程会った清美は淡いピンク色のドレスで控えめであったが、珠世は遠目で見てもはっきりとしたメイクに深紅のドレスである。まるで今日の主役は自分と言っているように思える程派手である。 「初めまして、珠樹の姉の珠世です」  珠世は先手必勝と言わんばかりに翼に自己紹介をする。 「初めまして。珠樹さんの秘書を務めることになった橋本翼です」 「本当に秘書なのかしらね」  珠世は先程の育三と同様、翼を頭の上からつま先まで見る。つくづく嫌な親子だと思う。 「どう言う意味ですか?」  翼は笑みを浮かべたまま尋ねる。 「いいえ。何でもないわ」  珠世は一笑すると、珠樹には一切視線をやらずにじゃあと一言だけ言って居なくなった。 「今の感じだと、加賀美が秘書じゃないってバレた感じ?」 「おそらくね」  翼の返答に珠樹は溜息をついた。 「……俺、あの人苦手なんだよな」  その後も珠樹と翼は取引先から祝われ、順也と伊織は会場を監視するが、パーティーは滞りなく進んでいく。 「結局何もなかったな」 「さすがにこの人数じゃ目撃者も多くなるしね」  順也と伊織は会場を見回すが、怪しいと思われる人物は見当たらない。 「マサの方も異常なしか」 “うん。おかげで今度、未来に買うプレゼントを探せた” 「本当にちゃんと見てる?」 「見てる、見てる~」  伊織の言葉に雅貴は呑気に答える。 「まあ何もないのが一番や。このまま無事にパーティーが終わってくれればええけど……」  順也がそう呟いた数秒後だった。  今まで会場を照らしていた照明が落ち、真っ暗になる。会場がどよめきに包まれる。 「マサ、どうなっとる?」 “照明が落ちたみたい。今監視カメラの映像を確認する” 「翼は平気か?」 “今の所は問題ないです”  インカムから翼の声が聞こえる。 「あー、ツバサ。今居る会場に良からぬ連中が迫ってる」  今まで陽気な声色だった雅貴の声が張り詰める。 “分かりました。とりあえず、珠樹君を逃がします。誘導お願い出来ますか” 「了解。ジュンとイオちゃんは残って対応宜しく」  ここで通信が止まった。 「当たりくじ引いてしまったな」 「ハズレくじの間違いでしょ」  暗くて顔は見えないが、伊織は呆れているような面持ちであるのは間違いない。  闇の中の世界で司会の人が何かを言っている。最初はフランス語であり、順也も伊織も意味が分からなかったが、次は英語であった。 「ホテル内のブレーカーが落ちたようです。落ち着いて、そのまま待機して下さい」 「停電の混乱に乗じて珠樹を攫おうっていうことやな」 「いかにも悪の組織がやりそうなことじゃん」  そのまま言われた通り待っていると、会場に照明が付いた。順也は眩しさで一瞬目を瞑ったが、すぐに目が慣れる。会場は照明が消える前と変わらないような気がしたが、真っ赤なドレスの珠世が目に入った。珠世はスマートフォンを見て苛立ちの表情を見せている。 “もしもし~。たまちゃんとツバサは俺の車に避難したから、悪いけどそのまま逃げるよ” 「分かった。こっちはもうちょっと様子を見んで」  会場内は人々の声で賑やかさが戻ったが、それも束の間であった。  パーティー会場の扉から手に銃を持った男女が十人程乱入してきた。何かフランス語で叫んでいる。パーティーの招待客でないのは明らかだ。順也と伊織は冷静に状況確認をする。 「暗殺者グループは居ないみたいだけど、奴らの仲間なのかな」  武装した集団が入ってくると、持っていた銃を天井に向かって放つ。威嚇射撃である。会場に叫び声が響き渡った。 「どういうつもりや。珠樹が居ないのは向こうも分かっとるやろ」  わざわざ危険を冒して会場に踏み込む意味が分からない。 「違う。私達をあぶりだす為だよ」  順也は伊織の言葉でようやく敵の行動の意図が理解出来た。 「こっちは相手の顔を知っとるけど、向こうは知らへんからな」 「そう言うこと」  伊織は顔を顰める。 「一般人を盾にされたらこっちは動くしかないよね」 「そうやな。マサも同じことを言うと思う」  二人は顔を見合わせた。まずは敵の動きを見る為、順也と伊織はその場で待機をする。銃を持った男達は大胆にも銃口を一般の招待客に向ける。 「……順也」 「分かっとる」  伊織と順也は目を交わす。訓練生の時から同じチームとして活動をし、もう六年も一緒に居る。言葉にせずとも相手が次にどのような行動を取るのか分かる。  伊織は出入口の確認をする。今武装集団が入って来た入口とは別に、反対側にもう一つ。そして従業員が料理を運んでくる時に使っていた厨房への出入口。厨房の方は敵が近くに居るが、反対側の出入口はまだいない。妨害される前に客を誘導しよう。武装集団はフランス語で何か叫んでいて意味は分からない。ただ招待客に危害を及ぼそうとしているのは確かだ。早い方が良い。 伊織はドレスのスリットに手を伸ばす。実は伊織は太ももにレッグホルスターを巻いており、銃を隠し持っている。右手で拳銃を出すと、わざと天井に向けて一発発砲をした。注意を引く為である。会場は再び悲鳴が響く。敵は何事かと一瞬状況を飲み込めないでいた。その隙に順也が走り出した。伊織は順也の向かう先に照準を定める。 「今の内に逃げて!」  伊織が英語で叫ぶと、ホテルの従業員がすぐに敵の居ない出入口に向かい、客を誘導し始める。一方順也は既に数人の敵を倒していた。  同じ銃を使う者としては敵が懐に入って来ると、照準を合わせるのは難しい。一見すると標的が近い方が弾が当たりやすいように思えるが、順也のように拳や蹴りで攻撃する上によく動き、更に自分に攻撃を仕掛けてくる人間の動きを察して射撃するのは厄介だ。ただ突っ立って引き金を引こうとすると攻撃を食らう。攻撃を避けながら隙を伺う時間が必要になってくるのだ。銃を撃つと言う動作にはただトリガーを引いて銃弾を放つ以外に対象に狙いを定める必要がある。闇雲に撃っても相手に弾が当たるのは奇跡が起きた時だけだ。その照準を合わせる時間を順也は与えない。順也に向けて銃を構えようとする時間よりも、順也が相手に正拳を突く、もしくは蹴りを食らわせる時間の方が早いのだ。ただし順也の攻撃が届かない距離に居る人間には、例え素早く動いていても照準を合わせることが出来る。そう言う人間を伊織は射撃していく。 要するに私は順也が十分に戦えるように場を整える影の立役者ってところ。目立たないけど、でもそれも格好良いじゃんね。伊織は自分の役割に誇りを持っている。  伊織は数発銃弾を撃って敵を膝まずかせると、すぐにテーブルの影に身を潜める。丁度テーブルの上にカクテルがあったので勝手に飲む。 「うま。やる気出て来た」  敵の様子を確認する。十数人中半数は順也と伊織で倒した。順也の方は数人に取り囲まれているが問題ないだろう。ただ伊織の存在に気が付いて、こちらにやって来る者が三人。伊織は一人を射撃すると、残りの二人から伊織の居るテーブルに向けて銃弾が放たれた。伊織は床に伏せたまま別のテーブルの下へと移動をし、更にもう一人に向けて発砲するが避けられてしまった。 「外したか」  伊織はもう弾数が残っていないので、もう一方の足のベルトから弾を出して、拳銃に装填する。弾はもうこれしかない。 「あと六発か」  伊織が改めて会場を見ると、パーティーの参加者や従業員は会場には残っていない。無事に避難で出来たようである。武装集団が客を執拗に追わないことから、やはり自分達を炙り出す為の罠だったに違いない。 「勝った気になっているけど、あんたは袋の鼠だよ」  女が伊織に意味が分かるようにわざと英語で話す。確かに仲間が半数以上やられたのに焦っている様子はない。敵の女の言葉通り、パーティー会場の扉から援軍がやって来る。数はおよそ十人程度。 「まだお仲間がおったんか」  順也の驚きの声が聞こえる。この状況では順也を援護出来るか分からないし、そもそも弾数も足りない。伊織は賭けに出ることにした。 「順也、頭気を付けて!」  伊織はテーブルの影から呼びかける。そのまま拳銃を構え、天井を見上げる。天井には豪勢なシャンデリアがかかっており、シャンデリアと天井を吊っている金具に向けて発砲をする。しかし命中しない。ここからでは金具の位置は遠くてとても小さい。 でもやるしかない。 敵も迫って来る。 絶対に当てないといけない。 そうしないと、死ぬ。 その緊迫感からか心臓が早鐘を打ち、全身が火照って来る。大丈夫。私なら出来る。伊織は呼吸を整え、引き金を引いた。また外れる。残り三発。 「絶対に当たる。私なら出来る……」  伊織は呪文のように声に出した。そしてトリガーを引く。すると最初の一発は掠ったが、残りの二発は見事命中し、シャンデリアは轟音を立てて会場に落下した。 「順也、退くよ!」  伊織は立ち上がり、出入口付近のテーブルに並べてあるケーキをそのまま素手で取って食べる。これぐらい食べても許されるだろう。ホテルで提供されるだけあって、ケーキは美味である。願わくばもっと食べたい。 「よお命中させたな。やっぱり自分は凄いわ」 「でしょ」  走って来た順也は伊織を褒める。 「せやけど会場の修理費って、俺達が出さなあかんのか」 「……」  伊織は無言でケーキに手を伸ばして、そのまま会場から出た。金のことに関しては全く頭になかったからである。 「アストライアが何とかしてくれるでしょ」
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