Ⅴ章

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Ⅴ章

 順也は夜風を浴びにホテルの中庭へと出る。数時間前、珠樹の社長就任パーティーが行われていた会場は床に銃創が散乱し、天井に吊られていたシャンデリアも落下して無残なことになっている。襲撃をした武装グループは現地の警察に逮捕され、パーティーは当然お開きとなった。順也は伊織と事情聴取を受けたが、すぐにアストライアの本部が手を回してくれ解放された。伊織はトイレに行くと言うので、順也は中庭で待つことにした。  何とか怪我人を出さんと済んで良かったわ。結果的に暗殺グループの姿はなく捕まえることは出来なかったが、そう簡単に捕まえられるとは思っていない。  外に出ると風を受けた。このホテルの中庭は緑や花々と彫刻などが置いてあり、順也から見たら美術館とそう変わりないように思える。凄い遠くまで来てしもたな。飛行機に乗って異国に来たと言うことは既に体感しているはずなのに、ふとした瞬間に思い返す。 出国する時、一体どないなっとんやろうな。任務を果たして、無事に帰国出来るのか、そうでないんか……。  幸運にも順也のチームは誰も欠けず、毎回日本に戻ることが出来ている。それが他のチームからしたら奇跡のように近いのも知ってる。この奇跡がいつまで続くんやろうか。 珍しく順也が思案していると、耳に何かの音が入りこんだ。今まさに発せられた音なのか、我に返ったから聞こえた音なのかは分からない。 服が擦れる音。打撲音。何かが床に倒れる音。  見上げると、空には大きな満月が浮かんでいた。煌々と光を放ち、群青色の夜空の中で数多の星よりも一つの月の方が目に留まる。この月は一体いつからこうやって地球に光を放ってるんやろう。ほんでいつ、その光が届けへんくなるんやろう。そう言えば、かぐや姫も月に帰る話やったな。平安時代から目に見えるのにこんなに遠くて。月は魅惑的な存在やった。  その月光に照らされて、一人の男が立っていた。 言葉は発していないが、一目で同郷の日本人だと分かった。 理由なんてないし、分からない。 直感。 その日本人の前に数人の警備が居たが、日本人は足を上げるとすぐに技を繰り出して相手を地に伏させた。 「すげえ……」  思わず見入ってしまうほどの技で順也の心は踊った。 「おい、自分!」  考えるよりも先に順也の口が動いていた。 「今のめっちゃ格好ええな!」  順也は男に向かって話しかけるが、男の顔は不愛想のままだ。男は中庭を挟んだ対面の通路に立っている。男は黙って中庭を渡り、順也の方に向かってくる。順也も中庭の芝生へと足を踏み入れた。 「さっきの蹴り、見とれてもた。なんか拳法とかやってたんか」 「ごちゃごちゃうるせえな」  男はようやく言葉を放ったかと思うと。 順也は反射的に肩に両腕を交差して攻撃を防いだ。男は順也の肩に右足を乗せている。正確には順也に向かって蹴りを入れたのを防がれたと言うことになる。 「……お前、何者だ」  男は目を見張る。 「パーティーの招待客じゃねえのは間違いないよな」 「俺は麻倉順也」  順也が名乗ると、男は足を下ろした。 「アサクラジュンヤ」  男は呪文のように繰り返す。 「お前は?」 「俺に勝ったら教えてやるよ」 「そうこおへんとな」  順也がスーツの上着のボタンを外すと、地面に放り投げる。今度は順也が男に向かって蹴り上げるが男は避けると、すかさず拳を順也に向かって放つ。その動きは無駄も迷いもなく、順也は益々この男のことが気になって来た。 「何笑ってんだよ」  男は拳を避けた順也に対し、少し苛立ったように尋ねる。 「何って? 自分、凄いなと思て」 「……」  順也の返答に男は何も答えなかった。それから順也と男は拳を交える。最初こそ敵意を感じていたが、数分が経つと変わっていく。例えるならキャッチボールをしながら会話をしているようだ。  こいつ、相当の手練れや。歳は俺と同じくらい。二十代後半から行っていても三十代前半。一体何処でどんな修行をしとったのやろう。今までどないな奴と戦っとったのやろう。順也が尋ねようと口を開く前に、男が言葉を放った。 「お前、何の為に戦っているんだ」  男は動きを止めた。順也も止まる。 「何の為って……」  順也にとってこの質問は根源的なものである。唐突に何故生きているのかと尋ねられているようなものだ。当たり前のことを説明することは、案外難しい。 「……自分、今まで生きていて、これは俺しか体験しておらへんだろってことあるか」 「あ?」  男は順也の突然の質問に顔を顰める。 「……起きたら縛られていて、線路の上に寝かせられていたとかか?」 「え? やばない? 大丈夫やったんか?」 「まあ自力で逃げたけどさ」  男はそう言うも、すぐにまた眉を寄せる。 「それとこれとどう関係があるんだ」 「俺、二十八年生きとって三回も強盗事件に遭遇したことがあるんや」 「やべえな、それ。お前持ってるんじゃねえの」 「そうやろ」  男は初めて敵意のない表情に変わる。 「他にも人質事件に巻き込まれたり、スーパーに車突っ込んで来たりさ」 「ハイジャックは?」 「まだないな」  願わくば、巻き込まれないことを祈る。 「俺は人よりも誰かが危ない目に遭遇しとる場に居ることが多い。空手を習い始めたのはそれに気づく前やったけど、師範に言われたんや。そう言う星の元で生まれたんやったら、誰かを守れるように強なれって。そやさかい俺は一人でもようさんの人を救える為に戦うてるんや」 「少年漫画の主人公かよ」  男に指摘され、順也は気恥ずかしくなる。 「ちょっと格好つけすぎたな」 「まあお前はそんな感じするわ」  男はにやりと笑う。 「自分の方こそどうなんや」 「俺か? お前は腹が減ったらどうする?」 「そら飯食うに決まっとるやろ」 「じゃあ眠くなったら?」 「寝る」 「ヤリたくなったら?」 「……」  順也は口をつぐんだ。 「意外とガキだな」 「やかましいな、三大欲求やろ。さすがの俺でも知っとる。それと何の関係があるんや」  このやり取り、さっきもしたなと順也は反芻しながら尋ねる。 「どれとは言わねえが、俺はこの三つの一つが別の欲求に置き換わってるんだ」 「何にや」 「暴力」  男の言葉で和やかだった空気が変わる。 「誰かと戦いたい。このシンプルな欲求が湧き上がって、それを達成しないとそのことしか考えられなくなる。それが欲求ってもんだろ。理由はない」 「確かに俺も無性にソースかかったもん食いとうて、そのことしか考えられんようになるな」 「お前のしょうもない食欲と一緒にすんな」  男は少しだけ口角が上がる。 「戦うからには勝ちたい。自分が今どのレベルに居るのか、確かめたい。世界中には自分の想像も出来ない程強い連中が居る。そいつらと戦う為に、最初は地下闘技場で戦ったが、どうもサーカスみたいで気に食わなかった。そんで辞めて旅にでも出ようかと思った時に声がかかった」 「声がかかったって?」 「お前知ってんだろ、俺の正体」  男の声色が低くなる。思わず順也は視線を逸らした。順也は察しがついていた。この男に会うたことはあらへんけど、顔は知っとる。何故なら、雅貴が見したからや。 「ツキシマ……」 「月島瑛だ」  男、月島瑛は不敵な笑みを浮かべる。  瑛は珠樹の命を狙っている暗殺集団の一人である。それは順也も分かっていた。しかし、あの惚れ惚れするような戦い方をする瑛を敵と思いたくなかった。 「俺は殺しはしねえから一番下っ端なんだよ。だから今日も、お前らを焙り出す為にここに来たってわけ」 「……殺しはせえへんのか」 「ああ。師匠との約束だ。半殺しにはするけどな」  それを聞いて順也は少しだけ安堵した。何で敵の言葉に安心してるんか。自分でもそう思ったが、湧き上がった感情には逆らえなかった。 「俺はともかく、他の三人は瀬戸珠樹のことを殺すつもりだ。最も盗んだデータの回収が最優先だがな。拷問だったら俺も参加するぜ」 「そうはさせへん」 「順也!」  順也と瑛だけだった世界に新たな声が響く。背後から伊織の声が発せられた。 「大丈夫や。俺に任せんかい」 順也は振り返りもせずに返答する。今ここで戦うのは得策ではない。それは向こうも同じだろう。 「とりあえず、今日は一旦お開きやな。瑛、また戦おうな」  順也は笑みを浮かべ月島に手を振るが。月島は中指を立てた。しかし口角は上がっている。  順也が振り返ると、呆れた表情の伊織が立っていた。 「順也、あいつ暗殺集団の一人だよね。仲良くなってどうすんの」 「そうみたいやな。せやけどあいつ、ほんまに凄い奴やねん」 「はいはい」  伊織はもう怒る気にもならなかった。 「ここでさっきの奴を倒しておけば後で楽になったのに」 「瑛とはちゃんと勝負したいねん。と言うか、俺が瑛と戦うからよろしゅうな」 「はいはい。後は殺し屋神父に血のアーティストに粛清の女神。選び放題だわ」 「と言うかキャラ濃すぎやろ」 「本当それ」  順也と伊織はパーティー会場を後にして帰路につく。相手に尾行されている可能性もあるので、タクシーに乗車して一旦下り、更にタクシーを乗り継いだ。  ホテルに到着すると、雅貴はお疲れ~と呑気に手を振る。珠樹は相変わらず不満げで翼は困惑しているようだった。 「無事に脱出出来て良かったな」 「そうだね。そっちはどうだった?」 「すまん。俺と伊織は相手に顔を知られたわ」  順也は声を落とす。 「あいつら一般人を人質にしたからさ。だから戦うしかなかった」  順也の言葉を引き継いで伊織が説明するが、雅貴の顔色は変わらない。 「良いよ。最善の判断だと思う。任務遂行の次に犠牲が出ないのが一番だからね」  雅貴の言葉に順也は安堵の胸を撫でおろした。元より雅貴は順也の行動に対して苦言を言う人間ではない。それでも直接本人の口から聞かないと安心は出来ない。 「こいつ、月島とか言う格闘家と仲良くなってたけど」  伊織は告げ口のように言いつける。 「せやさかいあいつは凄い格闘家やったんや。次戦う時は俺があいつと戦うからな」  順也は雅貴と翼を順番に見る。 「あとあいつから聞いた情報やと、他の三人は珠樹を拷問してから殺すつもりらしいからマジで気い付けなあかん」  順也の言葉についに珠樹が口を開いた。 「……そうは言っても、あんたらやる気あんの?」  珠樹は三人を睨みつける。 「加賀美はまだ良いとして、あんたは敵と仲良くなってるみたいだし、料理食べまくったり、ネットサーフィンしたりしてさ」  ご最もな意見である。 「敵に顔まで知られて、今後どうするんだよ。直にここに居るのもバレるんじゃねえの」 「珠樹君。先輩達はちゃんと考えて行動してるから」 「ちゃんと考えて?」  珠樹を制そうとする翼に珠樹は訝し気な顔をする。 「俺にはそうは見えないね。俺から見たら、うちの会社の新卒の方がよっぽど賢くて仕事出来るよ」  珠樹はそう言うと、部屋に戻ると言った。 「じゃあおやすみ。俺が明日の朝を迎えられなかったら、お前らの所為だからな」  翼は困ったように雅貴達を見たが、すぐに珠樹の後を追いかける。 「あ~、やっちゃいましたね」  雅貴は両手で髪の毛をかき上げる。 「確かに百パーセント俺らが悪い。悪いけど……」 「アーメン」  伊織は十字を切った。  珠樹が明日の朝を迎えることが出来るように、三人は祈るばかりである。
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