プロローグ

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プロローグ

 また厄介事の野郎が顔を出して来よった。 順也は大きなため息をついた。  麻倉順也は昔からよく、厄介事に巻き込まれる。順也の場合、自分では解決出来ない仕事を押し付けられたり、誰かの揉め事に遭遇してしまうような、誰もが経験する次元ではない。一生に一度体験するかしないか、体験した人物はテレビの仰天エピソードの特集に組まれるような厄介事である。  覚えている限り一番初めに巻き込まれたことは、小学生の頃、母親と共にスーパーの買い物に行った時だ。順也は食料の買い出しは面倒で好きではなかったが、お菓子を買ってあげると言う甘言に乗せられて一緒にやって来た。母親の目を盗んで買い物カゴに菓子を入れていた時だった。店内に轟音が響き渡った。次に悲鳴。順也は何が起こったのか分からなかった。 「車が突っ込んだ!」  誰かの叫び声で順也は状況を把握した。この日、駐車場を出ようと思った高齢ドライバーがアクセルとブレーキを踏み間違えて、店の入口に突っ込んだのである。自動ドアはひしゃげ、買い物カゴは散乱し、入口付近に陳列されていたお買得品の野菜や果物は無残な姿で床の上に転がっていた。幸いにも入口付近に客も店員も居なかった為、けが人は運転手だけだった。  この事件の数年後、中学に上がった時には理科の実験中に薬品が零れ引火、理科室が爆破して火事になった。丁度順也が授業を受けている時で、生徒も教師もすぐに逃げ出したから良かったものの、数人が煙を吸い込んで病院に搬送された。火はすぐに消火されたものの、忽ちニュースになって順也の中学校は悪い意味で有名になった。この爆発事件の後、部活で他校との練習試合に行くと、“爆発があった学校”として見られるようになってしまった。  更に高校生の時。当時空手部の練習に明け暮れていた順也はアルバイトをする時間がなく、母親から月五千円の小遣いを貰い、何とかやりくりをしていた。読みたい漫画があっても全ての巻数を買う余裕はないので、漫画喫茶に行って読みふけっていた。そんなある日、漫画喫茶の立てこもり事件に巻き込まれた。犯人は会社をリストラされ、妻に離婚を申し込まれ家を追い出されてしまい、自暴自棄になっていた。身代金の要求はなく、男はただ女性の店員や学生の順也に刃物を向けて、こいつらを殺して俺も死んでやると何時間も叫んだ。結局は店員と順也が必死に説得をし、犯人は抵抗することなく警察に逮捕された。順也は初めて警察から感謝状を貰った。  二十歳になったその日、まるで疫病神が順也に祝福のプレゼントを渡しに来たような事件が起こった。順也は二十歳になったその深夜に酒を買いに行こうとコンビニに行った。初めてでどの酒を買うか迷い、商品棚の一番下の段の酒を取って商品の説明文を読んでいたところ、外からは誰も居ないように見えたのだろう。強盗犯がレジに居た店員に向けて刃物を見せて、金を要求した。人生一度目の強盗事件に対面した時である。  その後も、数年に一度はこのような常人が経験しないような出来事に巻き込まれた。仕事でアメリカのロサンゼルスに行った際、付き添いで銀行について行くと、ハリウッド映画で出てくるような目出し帽を被り、手には大金を入れる巨大な袋、もう一方の手には拳銃を持った強盗犯に遭遇した。この時は不謹慎ながら映画で見た奴やと笑顔になってしまった。  周囲からは疫病神と揶揄される順也だが、幼少期から通っている空手教室の師匠に言われたものだ。 “人よりも他人の生き死にが左右される状況に出くわすのなら、一人でも多くの命を救えるように己を鍛えよ” 順也はこの言葉に感銘を受け、空手の腕を磨き、誰よりも強くなろうと鍛えた。疫病の神様は俺に誰かを救うチャンスを与えてるんや。順也はそう信じ、日々鍛錬を積んだ。コンビニの強盗もロサンゼルスの銀行強盗も、順也は空手の技で犯人達を倒した。  そして二十八歳になった今、三度目の強盗事件に直面している。一回目はコンビニ、二度目は銀行。今回は宝石強盗である。  久しぶりに日本に戻った順也は、近々誕生日を迎える祖母の為にネックレスを買おうと思い宝石店に入った。そうしたら、宝石強盗がやって来たのである。  早速疫病神様のお出ましや。まずは現状の把握やな。順也は顔は動かさずに、視線だけを移す。客は順也を除いて五人いる。一人は今度プロポーズをする為に結婚指輪を探しに来た若い男。二十歳の記念にネックレスを探しに来た母親と娘。そして、母親の誕生日プレゼントを探しに来た男性と小学校高学年くらいの男の子である。更に店員は女性が四人と店長と思われるスーツを着た四十代の男。この男に拳銃を向けているのが強盗犯である。  強盗犯はスーツを着ているが、顔には狐や般若など、祭りの時に付けるような面を付けている。宝石店の前の道路には黒塗りの外車が停まっている。おそらく人通りがない瞬間を見計らい、仮面を付けたまま店に入って来たのだろう。強盗犯は全員で五人。店長に拳銃を向けている男、そしてその両脇に二人ずつである。全員拳銃を持っているが、順也は職業柄、本物の銃を持っているのはリーダーと思われる、狐の面を被った男だけだと判断する。後の男達が握っているのは、偽物だが素人には見分けがつかない。そもそも銃刀法のある日本で銃を所持していること自体、カタギの人間でないと分かる。狐の面の男は店長と思われる男性に宝石を出すように要求をする。さもなくば、従業員と客に発砲すると恫喝している。ほんまもんの拳銃を持っとるのは一人だけ。この場合、先手必勝。拘束される前に動くしかあらへん。 順也が思案していると、男が声を荒らげた。 「おいお前聞いていたのか! さっさと所持品を出して壁の方に動け」 「ああ、すまん。考え事をしとった。ほんで何やって?」 「お前、この状況を分かっているのか?」  男は顔は仮面で見えないが、声に嘲りが混じっていることが分かる。 「よう分かってんで。自分らの不運具合がな。あ、ジブン達って、あんたらのことな」 「テメェ!」  ついに堪忍袋の緒が切れた男が順也を殴ろうとレプリカの拳銃を持っていない左腕を振り上げた。順也は男の拳が届く前に、すぐさま男の顎を殴った。 「お前、何なんだ!」  もう一人の男も順也を殴ろうとするが、さっと交わして背中に肘で攻撃をする。更にその奥に居る狐の面を被った男に向かう。こいつを倒したらこっちのもんや。順也は狼狽している狐の面の男の拳銃を弾く。拳銃は宝石が陳列されているガラスケースを飛び越え、店員や客の立っている床へと落ちて行った。 「お前、何者だ?」  狐の面の男の声は震えている。 「何もんって、ばあちゃんの為にネックレスを買いに来たただの客やで」  順也はそう言うと、目の前の男の腹部を正拳突きし、そのまま回し蹴りを食らわす。残る二人も順也の攻撃で他の男達同様、床の上に倒れる。 「よし」  両腕で形を取ると、小学生の男子が順也に向かって拍手をした。 「おおきに」  順也は笑顔で答えるが、すぐに店長と思われる男性の元に行く。 「とりあえず強盗犯はやっつけたが、お客は逃がして、さっさと通報した方がええ」 「分かりました」  順也が客を外に逃がそうと出入口を見た時、車の中に残っていた強盗犯が出てきた。 「まだいたんか」  店の中に入らせたらあかん。順也はすぐさま外に出た。 「もうじき警察が来る。強盗は失敗やで」 「全部お前の所為だ。どう責任取るんだ?」  男の一人が怒気を含んだ声で言う。目の前に二人。もう仮面も付けていない。スーツを着ており、サングラスをかけている。風格からして表の世界の人間ではなさそうだ。 「責任って、何で俺が取らなあかんの? 自分らが刑務所に入って社会的に責任を取るんちゃうんか」 「……お前には身をもって教えないといけないようだな」 「楽しそうやないから遠慮しとく」 「おい! こいつを俺の前に連れてきた奴には好きなもんをやる」  男が言うと、店の前に停まっている高級車の後ろに停車しているバンから、わらわらと男達が出て来た。中には金属バットを持っている男も居る。 「……まだお仲間がおったんか」  順也は平静を装うが、ここに来て初めて焦りを感じた。十数人対自分。これは問題ない。問題なのは、逆上した男達が宝石店を襲わないかや。すると遠くでパトカーのサイレンの音が聞こえた。よし。今や。順也は警察が来ることを確認し、男達に背を向け走り出した。 「待て!」  男達は追って来る。このまま走って人通りの少ないところで奴らを向かいうって、警察につきだそう。順也は人が少なそうな場所を探すが、ここは大通りで高級ブランドや有名なお菓子の路面店が並んでいる。ここでは人通りが多すぎる。 順也は一本の道を曲がって走り続ける。そんな付いてきてへんやろ。順也が振り返ると、最初は十人程度しか居なかった男達が倍の二十人程になっている。皆が必死の形相で順也の後を追ってきており、更には並走して、数台の車も走行している。 「しらん間に増えとる!」  順也は思わず叫ぶ。十人程度なら何とか対処出来ると踏んでいたが、二十人は厳しい。それに更なる増援が来る可能性もある。順也はポケットに手を入れ、スマートフォンを出した。こちらも援軍を呼ぶしかあらへん。  順也は仕事の同期の東城雅貴に電話をかける。数コールの内に雅貴は電話に出た。 「はいは~い」 「マサ! 今何処におる?」 「今ね、家族で遊園地に居るよ」  雅貴の電話の向こうから楽しそうなメロディーが流れている。 「そっか。なら何でもあらへん。遊園地、楽しんでな」 「大丈夫? また何かに巻き込まれた感じ?」 「気にせんでええ」  せっかくの家族団欒や。邪魔するわけにはいかへん。すると、電話の向こうで女の子の声がした。 「未来がジュンと話したいって言ってるけど大丈夫?」 「勿論ええで」  正直なところ悠長に話している時間はないが、親友の可愛い娘の為ならば仕方ない。 「ジュンヤ! 今ね、パパとママと遊園地に来てる」 「そうか。楽しんどるか」 「うん! すごく楽しい! ジュンヤは何してるの?」 「俺はな、ばあちゃんの誕生日プレゼントのネックレスを買いに行っとんねん」 「そうなんだ。楽しい?」 「怖い顔の兄ちゃん達に追いかけられとるけど、楽しいで」  順也は振り返ると、未だに男達は執念深く追って来ている。  雅貴との電話を切り、順也は次に誰に電話するか逡巡する。翼やったら嫌な顔せずに助けてくれる。せやけど……。自分を慕っている後輩に助けを求めるのは、先輩としてのプライドが許さなかった。絶対に怒られるけど、あいつに電話するしかあらへん。順也は再び電話をかけた。  橘伊織はついにこの時が来たと胸の高鳴りが抑えられなかった。職場の後輩の加賀美翼と共に行列が出来るパンケーキ店に並び、三時間待ってついに座席に案内された。そして今、ようやくお目当てのパンケーキが運ばれてくるのである。前からこの店のパンケーキを食べたいと思っていたが、行列が出来る為、一人で来るのは憚られた。先に整理券を取れば店の外に出ても問題ないが、長時間を一人で過ごすのは限界がある。当初の予定では友人と来る予定だったが、急に向こうのシフトの変更があり来れなくなってしまった。仕方ない、一人で時間を潰すかと思っていたところ、翼が一度テレビで紹介されているのを見て興味があると付き合ってくれたのだ。翼は伊織の二つ下の後輩で、明るく謙虚で接しやすい。異性だがそう言う関係ではなく、信頼している後輩として見ている。二人はまず整理券を受け取ると、近くの商業施設を巡り、カフェで時間を潰した。整理券に書かれているQRコードを読み取ると、現在の自分達の順番が分かる。残り五組と分かったところで店に戻り、整理券の番号を呼ばれるのを待った。伊織の希望通りテラス席に案内され、ようやく念願のパンケーキとのご対面である。 「お待たせいたしました、パンケーキ、お二つです」  伊織の目の前にふかふかに焼きあがったパンケーキが乗った皿が置かれた。 「ああ……」  伊織は感動のあまり言葉が出なかった。 「本当に美味しそうですね!」  付き添いの翼も思わず笑顔になる。ハワイアンパンケーキのように薄いパンケーキではなく、昔ながらの喫茶店に出てくる厚みのあるパンケーキである。トッピングもバターしか乗っていないシンプルなスタイルだ。 「ようやく食べれる……」  伊織は感極まりながらスマートフォンを出した。 「私は写真撮るから、先に食べていいよ」 「分かりました」  翼はフォークとナイフを手に取る。伊織はカメラを起動し、まずは縦向きで角度を変えながら写真を撮る。いただきますと言った翼は、早速パンケーキを一口口の中に入れる。 「うわ、おいしい!」  翼は目を輝かせる。 「三時間待った甲斐がありますよ」 「それなら良かった」  伊織はスマートフォンを横にして再び写真を撮ろうとするが、振動が手に伝わり、カメラから着信の画面に切り替わる。着信は同期の順也からであった。どうせろくでもないことだ。伊織は着信終了をタップした。しかしすぐにまた電話がかかって来る。伊織はもう一度着信終了を押した。 「どうかしましたか?」 「いや、何でもない」  伊織はゲームの操作のようにかかって来る着信を何度も終了にする。絶対に邪魔すんなよ。しかし、伊織の願いは叶うことはなかった。 「あ~~~~!」  テラス席の前は歩道になっており、今何かが猛スピードで駆けて行ったがすぐに戻って来た。嫌な予感がする。 「先輩⁉ 何でここに居るんですか?」  翼はパンケーキを口いっぱいに入れたまま尋ねる。 「たまたまや。それより伊織! 何で電話を無視するんや!」  息を切らした順也が伊織に向かって言う。 「どうせろくでもないことでしょ」  この男はいつも厄介事を持ってくる。 「いたぞ!」  案の定順也の後ろに人相の悪い男達がやって来た。 「頼む! ちょっと力を貸してくれへんか!」 「伊織さん、俺ちょっと先輩のところに行ってきます!」 「ちょっと!」  伊織の叫びも空しく、翼は勢いよくアイスコーヒー飲んで口の中のパンケーキを流し込み、テラス席と歩道の間に置かれている生け垣を飛び越えて加勢しに行った。順也と翼は次々に男達を倒していく。順也は空手の奥義、翼は長い足を使って戦っている。 「何あれ、映画の撮影?」 「集団の方、明らかにやばそうな人達だよね」  テラス席に座っている客がスイーツを食べる手を止め、順也と翼の戦いを見ている。 「……」  仲間が戦っているのに、このまま平然とパンケーキを食べることなど、伊織には出来なかった。 「ああ、もう!」  伊織は立ち上がると、早歩きで生け垣を超えて歩道に出る。そのまま乱闘の集団に混ざると、男達に強烈な蹴りを食らわせる。今日はずっと楽しみにしていたカフェに行くと思い、お気に入りのワンピースを着たが今は汚れようがどうでも良い。 「何だ、この女⁉」 「こちとらパンケーキ食べるのに三時間も待ったんだよ! 静かにしろよ!」  伊織はそう言うと、目の前の男の股間を蹴り上げた。男は叫び地に伏す。順也と翼は茫然と伊織の事を見ていた。 「調子に乗んじゃねえぞ!」  男の一人が鉄パイプを伊織に向かって振りかぶるが、伊織はさっと横に避ける。完全に隙が出来た男に翼が思い切り蹴りを食らわせた。 「おい、こいつらやべえぞ……」  男達は観念したのか走って逃げて行こうとするが、近くでパトカーのサイレンの音が聞こえる。 「あの、伊織さん……」  順也は申し訳なさそうに伊織に近づいて笑うが、伊織は順也を睨みつけると親指で首を切るジャスチャーをする。意味は“お前はもう終わりだ”である。次に会った時に一発殴ろう。伊織はそのまま無言でカフェに戻ったが、テラス席の客達は唖然としている。 「あの、お騒がせしてすみません……」  伊織は軽く会釈すると席についた。続いて翼も戻って来る。 「えっと、すみません……」  翼も席に着くと、店員が恐る恐る近づいてきた。 「あの、お客様、大丈夫でしょうか……」 「すみません、もう大丈夫です」  伊織は謝る。非常に気まずい空気が流れている。 「さっさと出た方が良いかもしれないですね……」  翼は周囲の視線に居心地が悪そうにする。 「そうだね……」  伊織はまだ一口も食べていないパンケーキを見るが、中央に乗っていたバターはすっかり溶けていて生地に染み込んでしまっている。 「……順也、次に会った時にぶっ飛ばしてやる」  伊織はそう言うと、パンケーキを食べ始めた。冷めてしまっているが、それでも十分美味しかった。
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