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犬が欲しい。
けど犬アレルギーで飼えない。
こんなに悲しいことがあるだろうか?
それをとある友人に相談したら、こんな話を教えてくれた。
「愛犬神社、てのがあるのよ。アレルギーで犬を飼えない人のためだけの神社。知る人ぞ知るってことで、こうやって人づてにきかないとその存在は知れないんだって。かくいう私も従姉妹に教えてもらったってわけ。おかげで、犬に会うとひどくなってた目のかゆみとおさらばできたのよ。子犬を3匹飼ってもかゆくないのよ。もう最高。視力は落ちたけどもふもふの手触りと音が聞こえれば過ごせるし、もう私は犬無しでは生きていけないわ。……と、話が脱線しちゃった。さて、その場所だけど、教える前に一つ。犬が本当に好き?ちゃんと大事にできる?……そう、まぁ、本気そうだからいっか。じゃあ教えるね、そこは――」
――……そういうわけで、私は愛犬神社に来ている。
驚くことに、家から5分もないほど近い所にあった。何で知らなかったのか不思議だ。でも、その不思議さがあるからこそ信憑性があるという話だ。私は胸を期待で膨らませた。
鳥居をくぐると、道場があった。
いや、見た目はある意味『社』っぽいけど、開け放たれた扉から見えるのはお地蔵さんとか何か祀られている何かとかじゃなくて、畳の床がびっしりと広がったいかにも道場な所だった。
「たのもー」
だからつい、私は入り口から顔を入れながらそう声を張り上げた。
すると、柱で死角になっている場所からひょっこりとお坊さんが出てきた。木魚を常に叩いていそうな雰囲気の一般的なお坊さんだ。ちょっと違うのは、掌から零れ落ちそうな大きさの珠が連なった数珠を持っていて、お坊さんのつま先につきそうなほど大きな輪になった数珠だったということぐらいだろうか。お坊さんは数珠が畳にこすれないようすり足でゆっくり近づいてくると、私の目鼻先で止まった。
「犬を愛しておるか?」
まるで歌舞伎役者のような仰々しい物言いで言われて私の目は丸くなっていたことだろう。
でも、もしかするとこの問答がこの神社で必要な儀式のようなものかもしれない。私は「勿論」と頷いた。
「どれくらい愛しておるか?」
「それはもう、中身を見たいほどに」
「中身、とは?」
「出来れば毛を全部刈って毛穴の奥まで見てみたいし露出した肌を触れるなら一度でいいからそこにナイフをスライドさせて傷口から出てくる血液を舐めてみたいですね。それから傷口が塞がるまでは塩をぬったらどんな鳴き声で鳴くか聞きたいし可能であれば人間の消毒液が効くかどうかも実験してみたいです。あと肉球ですね。肉球から血って出るんでしょうか?思いっきり押したら潰れるんでしょうか?犬の脚って細いんですけど全力で握ったら潰れるんでしょうか?自分のペットに出来たらあらゆることを試せますよね。だから私は試してみたいんです。アレルギーで鼻水が出てたら耳がよく聞こえなくなっちゃって折角の鳴き声も聞けないし血の匂いも嗅げないじゃないですか。だから私はこのアレルギーを治して愛犬を一匹飼いたいんです。可能であれば両腕にすっぽり収まる様な犬が欲しいですね」
あ、しまった、と思った時にはもう遅かった。
ここまで言うつもりはなかったのに、喋り始めたら欲望がボロボロ出てきちゃった。興奮して喋っちゃって、言葉を選ぶなんてこともしなかったからまずかったかもしれない。でもきっと、私の犬への愛は伝わっただろう。
期待に満ちた思いでお坊さんを見上げていたら、お坊さんは数珠を持っていない方の手を背に回し、大麻を私の前にふぁさっと出した。
あ、やっぱ神主さんなんだこのお坊さん、と思っていると、神主は大麻を左右に仰々しく振った。
「貴女の犬への愛を受け取りました。ご安心ください。もう犬に近づいて鼻水を流すようなことはないでしょう」
大麻を私の頭の上で振りながら告げられた言葉に、私は目の前がキラキラと輝くのを感じた。
やった、受け入れてもらえた!
早速ペットショップに行って犬を選ばなきゃ、と私がウキウキと計画を立て始めていると、神主さんは「そして」と仰々しく言葉を続けた。
「鉄の匂いをたっぷり堪能できるでしょう」
その言葉に私は猶更喜んだ。
自分の性癖を認めてもらえたんだ。
私の愛を歪んでるとか非難せずに認めてくれた。
嬉しい!
話の分かる神主で、私はこの神社を教えてくれた友人に心からの感謝を頭の中で述べた。
「それでは、こちらからお帰り下さい。土足のままで結構です」
「え?」
指示された方向に私は戸惑った。
帰るなら、このまま踵を返して鳥居をくぐればすぐ帰路だ。
なんで、道場の中を通れと言うのだろうか?
困惑しながら振り返ってみて、私はぎょっとした。
背後は、緑の葉と棘の生えた枝で鬱蒼とした森のような姿になっていた。
なんと表現すればいいのだろう。簡単にいうなれば、巨大化した生垣に背後を全部覆われたというようなそんな感じで、来た道を戻るなんてことは到底不可能だった。
ならば仕方ない。
神主が示した道場の中を通るしかないのだろう。
あまり気乗りせず私が畳の上に足を上げれずにいると、神主は言った。
「そしてお好きな犬を一匹持ち帰っていいですよ。懐いてもらえたらね」
その言葉に私は飛びついた。
道場の奥に犬がいる!
しかも懐いたら、何をしてもいい犬が!
私は大喜びで畳の上を土足で上がった。
遠慮なんてものはどこかへ飛んで行っていた。
「このまま真っ直ぐ進めば、見えてくるでしょう」
「わかりました!」
私はほぼ駆け足になりながら道場の中を通った。
気付けば、畳はカンカンと音がする鉄の床に変わっていた。左右を見れば鉄の格子があり、すぐに鉄の格子で覆われた廊下だと気付く。まるで牢屋のようだが、この先に犬がいるならば、その犬たちが勝手に逃げ出さないようにするためだろう。私もこの鉄の格子の構造など真似しよう、とウキウキ進んでいくと重そうな鉄扉があった。船の舵のようなオブジェが中心にあった。回すと開くのかな?と思って取っ手を握って回したら、3回転した後に扉が開いた。
私は扉が開いた隙間に身体を滑り込ませるように入るとすぐに閉めた。
「お気に入りの犬を見つけたら扉横のチャイムを押しなさい」
頭上から神主の声が聞こえて吃驚したけど、頭を上げたら扉の上にスピーカーがあった。ここから声が聞こえたのだと納得したあと、言葉通りに扉の横を見ると白いスイッチがあった。掌ぐらいのサイズで、ぐっと押し込まないと押せそうになさそうなスイッチだった。
「自動ロックなので出るには外からの手がいります。出る際は、チャイムをお忘れなく」
ああなるほど、と私は思った。
ならチャイムの場所をちゃんと覚えておかないと。
にしても、暗い。
スイッチの手元だけがうっすら明るいだけで全然足元は見えない。天井もどこかわからないし、ましてや窓もない。そりゃ暗いわけだ。今は昼間なのに、この空間だけまるで夜のようだ。
「クゥ……ン」
私の心臓が躍った。
鳴き声がする。
獣の匂いがする。
ああ、楽しみだ。
どこだ、どこにいる?
あ、赤い光だ。
いや、目?
あ、犬だ。
スゴイ、犬がたくさんいる。
嬉しい。
どの子にしよう。
私が近づいても逃げない。
鼻水も出ない。
ああ、濃厚な獣の匂いがする。
鉄の匂いがする。
懐にしまっているナイフに手をかざして私は生唾を飲み込む。
もっと、もっと近づいてみよう。
私はナイフを持った手を伸ばした。
刹那、指が消えた。
え、消えた?
顔を上げた次の瞬間、私が見たのは涎で覆われた鋭い牙の群れだった。
「チャイムが鳴らなかったら鉄の匂いに包まれるこの空間がお気に召したと判断いたしますね。どうぞ、ごゆっくり、戯れてくだされ」
fin
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