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僕は今、始まりの街にいる。
街と言っても、ここは洞窟。辺りは真っ暗闇。一つの明かりもなく、目の前すら何があるか全く分からない。感じることが出来たのは、肌寒い空気が流れてくるのと、その空気に乗って、生臭い匂いが鼻を突く。
僕は噂を聞いた。この世界のどこかに楽園があるっと。その楽園に行くと誰しもが幸せになれるという。だから僕は、楽園を目指し旅に出る。
でも、いきなり身動きが取れない。暗闇に覆われているこの場所で、どっちに進めば正解なのかすら分からないし、ここが安全な場所なのかすら疑わしい。
突然、ドンっと衝撃が背中を打つ。僕は前のめりに倒れそうになる。
「おい、道の真ん中で突っ立ってるんじゃない。危ないじゃないか」
僕の後ろから声がした。たぶん、僕にぶつかって来た者だ。
「そっちから、ぶつかって来たんじゃないか」と僕は文句を言う。
「この暗闇の街では、動かない奴は隅っこにいるルールなんだよ」と相手は言う。
僕は不思議に思った。ここは真っ暗闇。どこが道なのか分からないし、どこが隅っこなのかも分からない。でも、この相手は歩いていたということなのか?
「君は、この暗闇でも周りが見えるのかい?」と僕は訊いた。
「見えるわけないだろ。だから君にぶつかった」
「でも、この暗闇で、君は歩いているじゃないか」
「手探り状態で歩いているだけだ。決して、前が見えてるわけじゃない」
手探りで?僕は訊く。「君は怖くないのか?」
「怖くないわけではない」
「君はどうやって恐怖を克服したんだい?」
「克服?」と言い、相手は笑った。「克服なんてしてないさ。ただこの街では、怖くても前に進むか、怖気づいて留まるか、の二択だけしかないのさ。前に進みたいのなら、這いつくばってでも進むしかない」
相手はそう言うと、僕を置いて去って行こうとした。僕は、まだまだ聞きたいことがあった。呼び止めようとしたが、相手は急いでいるようで、僕の話を聞いてはくれなかった。ただ、相手は「何か知りたいことがあるならモグラに聞きな。モグラはこの暗闇の街の住人だ」とだけ言い残した。
僕はモグラを探した。暗闇の中、一歩一歩と移動した。両手を前に出して、前方に障害物がないかを確認し、足は片足だけを動かし、穴や段差がないことを確認した。
「誰か、いませんか?」「モグラは、いませんか?」
僕は声を出しながら移動した。声を出すのは恥ずかしいけれど、でも声を出すことで、僕の存在を周囲の人に分かってもらうために。
「危ないから、お前も、こっちに来て、じっとしてろ」
「モグラなんて、ここにはいない。探しても無駄だ」
僕が歩いていると、ときどき脇から声が聞こえてきた。この人たちはきっと、さっき話していた人が言っていた、隅っこにいる動かない人たちなのだろう。僕は脇から聞こえる言葉は、とりあえず無視した。
僕はしばらく歩き続けた。暗闇の中をゆっくりと。何度も何度も、モグラを探しながら。
僕は、歩いている人とは出くわさなかった。ただ脇からは、よく声が聞こえた。どれも否定的な言葉だ。僕の行動を止めさせようとするような言葉だった。
僕は突然、肩を掴まれた。僕は驚き、恐怖で体が硬直した。
「おい、お前か?俺を探している奴は」と声が聞こえた。
僕は瞬時には答えられなかった。恐怖で思考回路がストップしていたためだ。
「俺はモグラだ。お前は俺を探していたのか?」と再び声が聞こえた。
僕は冷静さを取り戻した。
「は、はい」と僕は答えた。
モグラは掴んでいた僕の肩を離した。「俺に何の用だ」とモグラは訊いた。
「あなたは、僕が見えるのか?」
僕は、今、思い浮かんだ疑問を訊ねた。こんな暗闇で僕の肩を掴めるということは、僕が見えているに違いないと思ったからだ。しかし、モグラの答えは「いいや」だった。
「でも僕のことを把握できてますよね?どうしてですか」
「ああ、それは、暗闇の中で住んでいる俺は、耳と鼻が優れている。それで、お前のことを把握ができる。まあ、特殊能力というやつだ」
なるほど、と僕は感心していた。
「それより、用件は何だ」とモグラは訊いた。
僕は我に返り、聞きたい質問をモグラに訊ねた。
「この暗闇の街から出たい。出口はどっちの方向にある?」と僕は訊いた。
「そうだな、出口は進んだ先にある」
「進んだ先?だから、どっちに進めばいいんだ」
「どっちでもいい。お前が進んだ先に出口がある」
僕はモグラの言っている意味がいまいち理解できないでいた。
「どういうことだ」
「お前は、進むだけでいい。進んだ先に出口が現れる。それは、すぐに現れることもあるし、長く歩かないと現れないこともある。だが、前に進みさえすれば、いずれ出口は現れる。ここはそういう場所なのだ」
僕は考える。進んでいるだけで、出口が現れる?そんなことが本当に起こるのか?もし本当だとしたら、一つの疑問点が浮かんだ。
「進んでいるだけで出口に出れるなら、だったら、こんな所で、じっとしている者なんていないはずだ。出口が分からないから、皆、じっとしているのだろ」
「ああ、あいつらは、自分のことがかわいいから、じっとしてるだろ、たぶん」
「かわいい?」
「傷つきたくないのだ」
「傷つきたくない?」
「この暗闇だ。ぶつかったり、転んだりはするだろう。そういうのが嫌だから、じっとしてるのだろう」
「質問は終わりか?俺は行くぞ」
モグラはそう言って、この場から立ち去ろうとした。
「待て、待て、待て」
僕は慌ててモグラを呼び止めた。
「まだ何かあるのか?」とモグラは訊いた。
「あと一つだけ答えてくれ」
「なんだ」
「本当に楽園はあるのか?」と僕は訊いた。
モグラは少し無言だった。しばらくして「ああ、ある」と言った。「俺は、この暗闇の街の住人だから、ここから出たことはない。しかし俺は、楽園には行った者に会ったことがある」
「本当か?僕を騙そうとしてないか」
僕は訊き返した。なぜならば、モグラが少し黙り込んだのが気になったからだ。何か僕に隠し事をしているような気がした。
「安心しろ。そんなことはない。本当だ」。モグラは、そう言い終えると最後に、「前に進みたいなら、周りの言葉に惑わされるな。無視をしろ。いいな」と言い残し、去って行った。
モグラと別れた僕は、再び、前へ、前へと進み始める。手探り、足探りしながら、何も考えず、ゆっくり、着実に。
どれくらい歩いただろう。どれくらい時間が経ったのだろう。
ときより、じっとしている者から、否定的な言葉を投げかけられた。「頑張っても無駄だぞ」っと。でも僕はモグラに言われたように無視をした。耳を塞ぎ、前へ前へ進んだ。
ある瞬間、暗闇から出られた。歩いていたら、暗闇のカーテンを抜けるのを感じた。暗闇の街の次は、灰色の街があった。
暗闇の街では、一寸先も見えなかったが、今度の街は灰色だが、まだ周りが見えるだけマシだ。
灰色の街に入ると同時に、僕は筆を持っていた。誰が渡してくれたのか分からないが、筆を持たされていた。
「おい、お前、新入りか?」
僕のほうに向かって声が飛んで来た。
僕はそちらに顔をやった。すると、そこには筆を持っている人がいた。
その筆を持っている人は、空中で筆を振ると、灰色の空間に色を付けたのだ。そこには一輪の花が咲いていた。
そいつは次に、「この街に来たのなら、さっさと色を塗るんだ。この街に色を付けるんだ」と僕に向かって言ってきた。
僕は周りを見渡した。灰色の空間は、何もないわけではなかった。灰色の空。灰色の太陽。灰色の雲。灰色の木、灰色の草、灰色の花・・・・・・。存在する全てが灰色なだけだった。灰色一色しかなかったので、同一化し、何もないように見えていただけだった。
灰色の花に色を塗った者は、また次、また次、と色を塗っていた。
僕は色を塗る者に質問した。「絵具はどこにあるんだ?」と。
「絵具?そんなものはない」。色を塗る者は、色を塗るのに夢中で、僕に見向きもしないで答えた。
「絵具も無くて、絵は塗れないぞ」と僕は言った。
「絵具は無くても、筆を振れば色は出る」
僕は試しに筆を振った。灰色の花に向かって筆を振った。微かに、ほんの微かに花に色が付いた。色が付いた、というより、色が滲んだ程度だ。淡いて薄くて、ほぼ下の灰色が透けて見えてしまう。
「おい、君みたいに綺麗な色が出ないぞ。どうすればいい?」
色を塗る者は眉をひそめ、面倒臭そうな表情をした。そして僕に「筆を振り続ければいいんじゃないかな?」と言い、そのまま色を塗る作業を続けていた。
僕は、色を塗る者が言うように、筆を振り続けた。しかし、その日は、綺麗な色を塗ることは、僕には出来なかった。
新しい日が始まる。もちろん始まりの街、暗闇からのスタートだ。
僕は暗闇の中を慎重に歩く。障害物は無いかを確かめながら徐々に徐々に前へ進む。じっとしている者が否定的なことを言うが、僕は耳を貸さず、前に進んだ。
やはり、歩き続ければ暗闇の街から抜けることができる。暗闇のカーテンをくぐり灰色の街が現れる。
僕は持っている筆を使い、灰色に色を付けようとする。しかし、なかなか上手くいかない。次第に、その日が終わり、また次の日がやってくる。
暗闇から始まり、色を塗る日々が続いた。
僕は相変わらず、全然綺麗な色が塗れない。綺麗な色を塗る者に筆を変えてもらったこともあった。しかし結果は同じだった。筆は関係なかった。そして、上手く色を塗る者を見ては、僕は落ち込んだ。
色が全然、塗れない日々が続いているとき、僕は暗闇の街で偶然にモグラに会った。
「よう。がんばってるみたいだな」と声がした。暗闇の中で声をかかられたので、僕は一瞬、戸惑った。「誰?」と僕が問いかけると、「俺だ。モグラだ」と返って来た。
「よく、僕のことが分かったね」と僕が言うと、「匂いで分かる」とモグラは答えた。僕は自分の匂いを嗅いでみたけど、それほど体臭はないはずだけど、と思った。
「どうだ、調子は?」とモグラは訊いてきた。
僕は灰色の街のことを考えた。「なかなか、上手く行かなくて」と答えた。
僕は、今の現状をモグラに話した。なかなか色が塗れない。そして、どうすれば色が塗れるのかすら分からないことを。
そうしたらモグラは、こう言った。「カメレオンを探せ」と。
「カメレオン?」と僕は訊き返す。
「そうだ。カメレオンは灰色の街で俺のような存在だ」
僕に一筋の光明が差した。
あっ、ここは暗闇で、光などは差してない。僕が言いたいのは、わずかな希望が見えてきたのだ。カメレオンを探して助言を求めれば、今の状況を打破できるかもしれない。
「ありがとう。恩に着るよ」と、僕はモグラに礼を言う。
そして足取り軽く前に進んでいった。まあ、足取りは軽くなったが、進むのはゆっくりだ。
暗闇の街を抜け、灰色の街に入った。
僕は、まずカメレオンを探した。色を塗っている者に聞いて回った。やはり僕より綺麗な色を塗る者ばかりだ。僕はいつまで経っても淡く薄い色。僕は筆を振りながらカメレオンを探した。
あるとき、突然、僕は肩を掴まれた。見渡すが、周りには誰もいない。僕は動揺する。
すぐに、「私を探しているのは、あなた?」と声がした。しかし、声を発している相手の姿が見えない。
「ここよ、ここ。目を凝らして見てみなさい」
僕は声のするほうを注意深く見た。すると灰色の景色と同化しているカメレオンがいた。
「あっ、ごめんなさい。気づきませんでした」と僕は謝った。
「いいのよ、別に。それより私に何の用?」
「上手く色を塗れないんです。何かコツみたいなものは無いのですか?」
「じゃあ、試しに筆を振ってみて」
僕はカメレオンの指示に従い、灰色の花に向かって筆を振った。
やはり、全然、色が着かない。微かに淡い水色が塗れただけだった。
僕はがっくりしていると、「落ち込むことないわよ」とカメレオンは言った。
「でも、他の奴らは、濃くて綺麗な色を塗っているですよ」
カメレオンはしばらく考え、「まずはあなた、自分に優しくなりなさい」と言った。
「自分に優しく?」
「そう、薄くても色が着いたんだから、自分を褒めなさい」
「でも、他の奴らは」
「他人と比較するのは止めなさい」。僕の言葉を遮り、カメレオンは言った。「あなたは自分の目指す色を塗るために筆を振りなさい。そして、その色に近づこうとして行動したなら、自分で自分を褒めなさい。もっと、自分に優しくなりなさい」
カメレオンは、もう一度、僕に色を塗るように言った。僕は、花に向かって筆を振った。やはり、微かに淡い水色しか塗れなかった。下地の灰色が透けて見える。
僕が落胆するより早く、カメレオンは言った。「自分を褒めなさい。『よくやったね。頑張ったね』と言いなさい」っと。僕はカメレオンの言われるがままに、自分に向かって「よくやったね。頑張ったね」と言った。カメレオンは、「それでいいのよ。それが色を塗るためのコツよ」と言った。
カメレオンは「じゃあ、私はこれで行くわ」と言って、僕と別れた。その別れ際、「最後に一つ言わせて。色に良いも悪いもないのよ。あなたが塗った色、私は結構、好きよ」と言って去って行った。そのときのカメレオンの色が、僕が塗ったような淡い水色に変わっていた。
僕はこの日から、自分を褒めた。筆を振るたびに、自分に「よくやった」と言って聞かせた。すると本当に、どんどん色が濃くなった。段々と僕が望む色に近づいて行った。
色が塗れるようになった僕に、もう一つの変化が起きた。
それは、暗闇の街でのことだ。なぜか分からないが、暗闇の街を抜けるまでの時間が短くなった。望むような色が塗れるようになるたび、暗闇の街を抜けるのが早くなった。
僕は灰色の街で、いろんなものに色を塗って回った。花に草、樹木に果物、ありとあらゆる灰色の上に色を塗り重ねる。そして僕が一番好きな場所は空だ。空を青色に塗る。爽快な気分になれる青色を。
それからしばらくして、いつものように灰色の街で色を塗っていると、カメレオンが現れた。突然、声を掛けられ驚いた。カメレオンは以前と同じように、風景と同化していて姿が見えなかったので。カメレオンはそんな僕にお構いなしで話を始めている。
カメレオンは、まず僕の色を褒めてくれた。「自分の望んでいる色が出せるようになったわね」と。そしてカメレオンは、「私に付いて来て」と言い、僕をある場所へ案内してくれた。
カメレオンに連れられた先には、一つの扉があった。
「この扉は、気分良く色を塗れた者のみが開けられる扉よ。そして、この扉の先には、粘土の街があるわ」
「粘土の街?」と僕は訊き返す。
「そう、この扉の先は、粘土の街。ここであなたが塗っていた灰色の物は、全て土の街で作られた粘土よ」
「そうだったんですね」
「そして、ここでその粘土に色を塗り、完成した物は楽園に送られるの」
「楽園?」。僕は、楽園、という言葉を聞いて、体温が上がった。「楽園はすぐ近くですか?」
「そうよ。もうすぐよ」
僕はカメレオンの言葉に気分が高揚した。しかし、次の瞬間、カメレオンから意外な言葉が発せられた。
「でも、わざわざ楽園に行かなくても良くない?」
僕は反論する。「どうして、そんなこと言うんですか?」と怒った口調で言い返す。
「気分を悪くしたら、ごめんなさい。決して、あなたのことを否定しているわけでも、止めたいわけでもないの。でも、ここで、色を塗るだけでも十分楽しいでしょ?なのに、わざわざ困難な道を進まなくても・・・・・・」
僕はカメレオンの言葉を訊き返す。「困難な道なんですか?」っと。
「もちろん、どんな道かは私は知らないけど、楽園にたどり着くには、かなりの時間を要するみたいよ」
僕は少し安心した。なぜなら、こうも解釈できる。時間さえ要すれば、楽園にたどり着けるっと。だから僕は、カメレオンに「それでも僕は、楽園に行ってみたいんです」と答えた。
「あなたの決意は決まっているのね。だったら、私はもう何も言うことないわ」
カメレオンは手の平を扉に向け、どうぞ、というジェスチャーをした。
僕は扉の前に行き、扉のドアノブを握った。
しかし、ここで、僕はあることを思い出した。僕はカメレオンに質問した。
「粘土の街で、あなたみたいに指導してくれる存在はいますか?」と訊いた。
カメレオンは少し考え答えてくれた。「あまり、あてにできないわよ」
「なぜですか?」
「粘土の街は、いままでの街とは違うの。こちらが理論的な世界に対して、あちらは感覚的な世界。だからアドバイスは期待できないわよ」。カメレオンはため息を吐き、ひと呼吸、間を空けた。「まあ、粘土の街に行ったら窯に向かいなさい。そしてツチノコを呼んでもらいなさい」
僕は、ツチノコ?と疑問に思ったが、深くは追及しなかった。僕はカメレオンに礼を言い、そのままドアノブを引き、扉を開けた。そして粘土の街に足を踏み入れた。
粘土の街は、四方に四つの砂の山があった。赤色の山、黄色の山、白色の山、黒色の山。
そしてその中央に、大きな窯があり、煙突からは黙々と煙が上がっていた。
僕は、まず、中央の窯に向かった。
窯に行く途中、多くの者が四つの色の砂を集め、それを混ぜ合わせて粘土を作っていた。僕は一瞬、声を掛けようと思ったが、誰しもが真剣な表情をしていたので、一旦は通り過ぎて窯に向かった。
窯にたどり着くと、窯の前には、左右二つの井戸があった。そして、窯には炎が上がっていた。離れていても、皮膚がヒリヒリ痛くなる熱さだった。
窯の前で、窯に薪を焚べる者がいた。その者は、ひょっとこ。窯の中を覗き込んでいた。
僕はそのひょっとこに声を掛けた。
「ツチノコを探してるんですが?どこにいるか知りませんか?」
ひょっとこは僕のほうに顔を向けた。そして「新入りか?」と訊いてきた。
僕は「はい」と答えた。
「もうすぐ来るから、ちょっと待ってろ」と、ひょっとこは言った。
僕は、ツチノコをしばらく待つことにした。
待っている間、ひっとこと僕との間で無言な時間が流れた。僕は少し気まずかったので、話題を振った。
「あの、窯の左側に置いてあるのは完成品ですよね?右に置いてあるのは、どうして壊れているんですか?」
左側には、粘土を焼いて出来た灰色の造形物が並んでいた。しかし、右側には、ところどころ割れている造形物が無造作に山積みになっていた。
「左側に置いてある完成品は、灰色の街に送り届けるものだ。右側に置いてあるのは、焼いたときに割れてしまった欠陥品だ」
ひょとこは、窯の炎を見つめたまま、僕に言った。
「割れることもあるんですか?」と僕は訊ねた。
「そういうこともある」
僕はもっと詳しく聞きたかったが、ひよっとこが不愛想に感じたので、ここで話を止め、黙ってツチノコを待つことにした。
しばらくして、声が聞こえた。
「ワシに何の用だ」
僕は声の主を探すが、姿を見ることは出来なかった。「どこにいるんですか?」と僕は訊く。
「ワシは姿を見せることは出来ん」
「どうして?」
「ワシは未確認動物のツチノコ。確認されたら未確認動物ではなくなるからな」
僕は疑った。本当にツチノコがいるかどうかも疑わしい。「本当にあなた、ツチノコなんですか?」
「ワシことを疑っているのか?」
「まあ、本当かどうか怪しいじゃないですか?見てないものを簡単には信じられないですよ」
「お前には、好奇心と言うものは無いのか?好奇心の無き者は、この場にいる資格なし。とっとと去れ」。ツチノコは怒鳴る。
僕は追い出されたら困ると思い訂正する。「信じます。信じます」
「まったく」とツチノコはウンザリした口調で言う。「それよりワシに何の用だ」
そうだ、僕はコツを訊きに来たのだ。粘土でいろいろな物を造るコツを。
「僕にコツを教えてください。上手く造るコツを」と僕は訊いた。
「コツか・・・」。しばらく沈黙があり、ツチノコはこう答えた。「上手く造ろうとしないことだな」
僕は困惑した。意味が分からない。上手く造りたいのに、そのアドバイスが、上手く造ろうとするな、っと言っているのだから。
「どういうことですか?」と、さらに問いただした。
「お前が上手く造ろうとしなくとも、きっとあのお方が上手く造って下さる」
僕は、ツチノコが言っていることの意味が、全く分からなかった。
「ちょっと、意味が分からないんですが」
「理屈では説明が出来ん。やっていけば段々と分かってくるはずだ。まず、お前は、自分が空になることだ。そして、あのお方と繋がれることを信じていればいい」
ツチノコは、これを言い終えてからは、僕の質問に何も答えてはくれなかった。「ちょっと。ちょっと」と僕はツチノコを呼ぶ。すると、ひっとこが、「ツチノコはもういない」と一言呟いた。
僕は、ツチノコからの回答を諦め、窯から離れることにした。カメレオンの言っていることは正しかった。ツチノコのアドバイスは無意味だった。
僕はツチノコに聞けなかったコツを、粘土を捏ねている者から聞こうと思った。でも、声を掛けるたびに、「なんで邪魔をする」と怒られるばかりだった。それでも僕は諦めなかった。僕は手当たり次第に、声を掛けて行った。
ある者は、粘土も捏ねもせず、ただ目を閉じてじっと座っていた。僕は、「何してるんですか?」と訊ねた。やはり、答えは一緒だった。「邪魔をするなよ」と返って来ただけだった。
その目を閉じていた者に追い払われたとき、「君、新入りさん?」と僕は後ろから声を掛けられた。僕は頷くと、「あまり周りの者に声を掛けないほうがいいよ」と忠告された。
僕は、「でも、コツが知りたくて」と言うと、相手は少し考え、「ちょっと一緒に歩こう」と言った。
僕は、そいつとしばらく歩くことにした。
僕は歩きながら相手に愚痴をこぼした。ツチノコに言われたことを、一部始終説明して。
「まったく、何が何だか分からないよ。それに姿も見せないのに、ツチノコって言われても、信じられないよ」
「まあ、確かにね」と相手も言ってくれた。
でも相手の話には続きがあった。
「でも、この粘土の街では、好奇心がないと上手くやっていけない」
「どういうこと?」と僕は訊ねた。
相手は歩きながら、粘土の街のことを教えてくれた。
まず粘土に必要なのが、四つの砂。赤色の砂、黄色の砂、白色の砂、黒色の砂。そして水。水の種類は二つ。窯の前の井戸。左側の井戸が軟らかい水。右側の井戸が硬い水。この四つの砂と二つの水を混ぜ合わせることで、粘土が出来上がる。
しかも、この組み合わせは、一人一人違っていて、一つの答えは存在しない。各々が、試してみて、自分だけの答えを導かないと駄目だと言う。
「僕の場合は、赤色と黄色と黒色の砂を、1:2:1の割合で硬い水で混ぜ・・・・・・」
相手は自分の粘土の作り方を喋っていた。僕は、一人一人違うのなら、聞いてもあまり参考にならないと思い、軽く聞き流していた。だが、なぜ、好奇心が大切なのかが理由が分かった。何通りも試さないと、粘土が出来ないからだ。
「粘土が出来上がったら、今度は造形。ツチノコの言う通りに、大切なことは、自分が空になること」と相手は言った。
僕は、ここで相手の話を止めた。意味が分からない。「ちょっと待ってくれ。自分が空になる、って、いったいどういうことなんだ?」と僕は質問した。
「これは口で説明し難いけど、僕の場合、ボーっとしてるようで集中してるような状態かな」
「ボーっとしてるようで集中してる?矛盾しているじゃないか」
「まあ、そうなんだけど、そうとしか言いようがない。そして、そういう状態になれるように、みんな試行錯誤してるのさ」
「試行錯誤?」
「今、こうして歩いてるのだってそうだよ。自分が空になるためだよ。それに、さっき君に怒っていた者も、瞑想をして自分を空にしようとしていたのさ」
「君たちが、自分を空になろうとしているのは分かった。だけど、それで、本当に造形を造ることができるのか?」
「それは、あのお方にお任せするだけだよ」
これは、ツチノコも言っていた。でも僕には、あのお方、という者の正体も分からない。「あのお方って誰だよ?」と僕は訊いた。
「あの方は、あのお方だよ。楽園に住んでいる者だよ」
「楽園に?」
「そう。そして、僕たちを楽園に導いてくれると言われている」
「楽園に導いてくれる?」
「ここで、あのお方と繋がり、造形を造り上げることが出来たら、いずれ楽園に連れて行ってくれるらしい」
楽園に行ける。この情報を聞いた僕は、早く作業に取り掛かりたくなった。僕は相手に礼を言い、別れた。
僕は、まずは四種類の砂と、二種類の水を集めた。そして粘土作りをスタートさせた。
そして、来る日も、来る日も、粘土を作るため、いろんな組み合わせを試してみた。
暗闇の街を歩き、灰色の街で色を塗り、そして粘土の街にやって来る。何回も、何回も、繰り返し、粘土の街に訪れては、粘土を作るために、砂と水の組み合わせを変え、試してみる。
僕は諦めることはなかった。何度も試すことで、いずれ答えに行き着くことは出来ると信じていたから。それに、すぐそこに楽園があると思うと、居ても立っても居られない。
もう数えきれないほどの歳月を掛けた。そして、今回やっと、粘土が出来上がった。これからは造形作業だ。
しかし、ここから僕の苦悩が始まった。
粘土を作るのは、多くの組み合わせがあるにしろ、ゴールまでの経路があったので何とかなった。だけど、造形を造る作業は、その経路が全く見えなかった。
『自分を空にしろ?』。意味が分からない。散歩も瞑想もやっている。だけど、自分が空になる感覚なんて得られない。もう、そんなことは放っておいて、造形を造ることに専念した。しかし、全くもって形が定まらない。僕は次第に八方塞がりになった。
そして僕は、造形作業に苛立ちを感じるようになった。なかなか造れないことに焦っていた。
あるとき、普段の生活に異変が起きた。
暗闇の街を歩き、灰色の街で色を塗り終え、そして粘土の街に行ける扉に向かう。しかし、その扉が突然開かなくなった。まるで鍵がかかっているみたいに。
僕はカメレオンを探し、事情を聴いた。カメレオン曰く、「この灰色の街でやり残したことがあれば、扉は開かないわ」
やり残したこと?僕はいつものように色を塗っているつもりだ。やり残しなどない。それよりも、粘土の街に行って、早く造形を完成させなければ、いつまで経っても楽園に行けないじゃないか。
僕は筆を振り続けた。焦るあまり、がむしゃらに。しかし気持ちとは反対に、色はどんどんと薄くなってく。自分が思い描いた色とは程遠い、淡くて薄い色しか塗れなくなっていった。
さらに悲劇が訪れた。
今度は、暗闇の街から出られなくなった。歩けど歩けど、暗闇から抜けれない。いつもなら、もう灰色の街に出れてもいいぐらいに歩いているのに、いつまで経っても暗闇のままだ。
来る日も、来る日も、歩き続けた。
ある日、僕は歩くのを止めた。もう疲れた。暗闇の街の肌寒さや、生臭さにも、感覚がマヒし慣れてきた。そして僕は、その場に座り込んで、じっとする者になった。
僕は、暗闇の街で、じっとしている者の気持ちが、今、理解できた。じっとしている者は、最初からじっとしているわけではなく、頑張っても報われないと悟ったから、じっとしているのだと。
僕はじっと座っている。たまに足音が聞こえてくる。僕は、目の前を歩く者に忠告する。「危ないから、お前も、こっちに来て、じっとしてろ」と。これは僕の親切心だ。
僕は、足音が聞こえるたび、「危ない」、「じっと座っていろ」と忠告した。
あるとき、足音が聞こえたので、「頑張っても無駄だぞ」と相手に言ってやった。
するとその相手から、「お前、落ちぶれたな」と返って来た。
「落ちぶれた?」。僕は相手の言葉に怒りを覚えた。「何も知らないくせに、偉そうなことを言うな」と言い返した。
「俺だ。モグラだ」
相手の正体は、この暗闇の街の主であるモグラだった。
そのモグラは続けて言う。「お前は、見込みがあると期待していたんだがな。残念だ」っと。
僕はモグラに反論した。
「お前は、ここでじっとしている者は、自分がかわいいからと言ったな。でも、ここでじっとしている者は、自分がかわいいから、じっとしているわけではない。みんな、頑張ったけど、どうにもならなかったら、じっとしているだけなんだ」
「だったら、なぜ、他人の足を引っ張るようなことを言う」
「足を引っ張る?それは違う。僕は真実を言っているだけだ。頑張っても無駄なだけなんだから」
「それが、自分をかわいがっている証拠だよ」
「どこが?」と僕は訊き返す。
「自分を正当化したい。そして、傷つきたくないから、頑張っても無駄だって、他人にも主張したいんだろ」
まるで僕に実力が無かったみたいな言われようだ。実力ではなく、ここのルールが間違っているのだと証明するために言い返す。
「お前たちが悪いんだ。お前は、自分をかわいがるなと言った。しかし、カメレオンは自分に優しくなれと言う。そしてツチノコは、自分を空にしろと言う。みんな、言っていることがバラバラなんだよ」
「それはそうだろう。ステージが変われば、ルールも変わる。その時々で課題は変わるものだ」
「そんなの、こじつけだろ。そもそも、楽園に行った者に会ったことがあるって言ったのも、でたらめだろ。僕らをからかって楽しんでいるだけだろ」
モグラは少し間を空けた。そのあとで「だったら俺についてこい」と言い、僕に自分のしっぽを持たせた。
しばらく、モグラの後ろに付いて行き歩いた。段々と寒くなるし、生臭さも強くなった。すると突然モグラが止まった。
「耳を澄まして見ろ」とモグラが言った。
モグラの言うとおりにしてみると、下のほうから唸り声のような、不気味な風音が聞こえてきた。そして、その風は、寒さと臭さを同時に運んできていた。
「どこなんだここは?」と僕は問う。
「ここは奈落の際だ」とモグラが返した。
「どうして、こんなところに連れてきた」
「奈落の底に楽園に通じる道がある」
「嘘を言うな。こんな寒くて臭い場所が楽園に通じているわけがない」
「いいや、通じている。俺は奈落の底から楽園に行ったという者に会ったことがある。だがしかし、この道は、いわゆる裏道。正規のルートとは異なり、危険を伴う」
「危険?」
「そうだ。奈落の底から楽園に行けた者は、ごく一握りの者だけだ。残りのほとんどの者は、腐って朽ちていく」
僕は全身に鳥肌が立った。寒さから来たものか、それとも恐ろしさから来たものなのか。ひょっとしたら、その両方かもしれない。
モグラは、僕のことはお構いなしで話を進める。
「この奈落の底で、神様から与えられた役割に気付けた者だけが、楽園へ繋がる道を見つけることができる。どうする?お前も試しに、奈落に落ちてみるか?」
僕は首を左右に振る。「やめておく」。そう言うのが精一杯だった。
「だったら正規のルートで楽園に行くんだな。まだ、楽園に行く気があればの話だが」。モグラはそう言うと、僕に自分のしっぽを持たせた。「戻ろう。足元には気を付けろよ」
僕はモグラのしっぽに引っ張られながら、奈落から離れて行く。
その道中、モグラは僕にいくつかのアドバイスをくれた。
「お前は、焦りすぎなんだよ」
「焦りすぎ?」
「そう。楽園のことばかりに囚われている。もっと丁寧に生きろ。この暗闇の街では一歩一歩、前へ進むことだけに専念しろ。灰色の街では、一筆一筆、色を塗ることに専念しろ。今、ここに、意識を向けるんだ」
僕は、思い当たる節があった。いつも楽園のことを考えていた。いや、楽園の一歩手前、造形のことばかり考えていた。暗闇の街にいても、灰色の街にいても、造形を造ることが気になっていた。
でも、仕方ないじゃないか。造形を造りたいのに、造れない。そういうモヤモヤした気持ちが、常に心の中で燻ぶっているんだから。そういう不満な気持ちが、ついつい口走る。
「どうしても造形を造ることが出来ないんだ。自分を空にするって、どういうことなんだ」と僕は小声で呟く。
モグラは僕の独り言だと思ったのか、何も返ってこなかった。もちろん僕も、モグラに粘土の街のアドバイスを期待していたわけではない。
しばらく僕とモグラは、黙って歩き続けた。
モグラは足を止めた。「元いた場所に戻って来たぞ」とモグラが言う。
「あ、ありがとう」と僕は礼を言った。
「これから、どうするつもりだ?」とモグラが訊いてきた。
僕はしばらく思い悩む。やっぱり諦めれない。「楽園を目指すよ」と答えた。
「そうか」とモグラが言う。「ところで、楽園って、どんなところだと思う?」
僕は少し考えて答えた。「それはそれは美しい所だと思っている」
「そうかもしれないな。俺は楽園は神聖な場所なんじゃないかと考えている」
「神聖な場所?」
「そう。もし、その神聖な場所に行けるとしたら、どんな者だと思う?」
「純真無垢な・・・」。僕は、しばらく考えた。「ひょっとして、僕のような邪な者には無理だって、言いたいのか?」
「違う、違う。勘違いをするな。誰も、お前が邪だとは思ってない。ただ、俺が思う、邪では無い者というは、無邪気な者のことだ」
「無邪気な者?」
「そうだ。目的は何かを成し遂げることではない。その過程自体を楽しむことが目的なのだ。だから、お前はもっと楽しめ。」
モグラは、これを言い残し、去って行った。
僕は、再び歩き出した。暗闇の街を一歩一歩、ゆっくり踏み出した。とりあえず、何も考えず前へと。
しばらくすると、突然、暗闇の街を抜けた。あれほど抜けれられなかった暗闇が嘘のように、今回は呆気なく灰色の街にやって来れた。
僕は筆を持ち、色を塗る。色は、薄く、思ったような色が出なかった。それでも僕は、自分を褒めた。この灰色の街では、そういうルールだ。
僕はしばらく、暗闇の街と灰色の街を、行ったり来たりする日々が続いた。粘土の街や楽園のことが気にならなかったと言うのは嘘になる。やはり、頭に雑念がよぎる。そのたび僕は、今、ここに、意識を戻す。暗闇の街では、一歩進む足に集中し、灰色の街では、筆の一振り一振りに、集中する。
何度、暗闇の街を灰色の街を往復しただろうか?ようやく思い通りの鮮やかな色が塗れるようになり、再び粘土の街への扉が開くようになった。
粘土の街では、造形を造ることを目的にせず、自分の気分に従った。造形を造らず、散歩だけをする日もあれば、瞑想だけしかしない日もあった。それに、ずっと粘土を捏ねてる日もあった。何も考えず、手の感触だけに集中し、粘土を捏ねてると、心が癒された。
そして最近では、粘土の街にいられる時間が、圧倒的に伸びているような感じがする。まるで粘土の街にいるときは、時間が止まっているようだった。
それでも僕は、何度も、何度も、粘土の街にやって来ては造形を造った。何百回、何千回と。そんなあるとき奇跡が起きた。僕は、粘土で造形を造ることができたのだ。
造ることができた理由は、自分でも分からない。いつもと同じように過ごし、いつもと同じように粘土を捏ねていた。そして、いつの間にか、思考が止まり、頭の中の会話が無くなっていた。気が付くと、僕の粘土の造形は完成をしていた。
僕は、自分で造っておきながら、自分で感動した。出来上がった作品を見て、鳥肌が立った。
僕は、その造形を窯に持って行き、ひょっとこに手渡した。僕が造った粘土を焼いてもらう。
焼きが終わったが、窯から出した僕の造形は、残念なことに割れていた。
ひょっとこ曰く、「こればかりは運だから」
僕は落ち込んだ。やっとの思いで造ったのに、運の有り無しで割れてしまうんなんて。理不尽な出来事に打ちのめされ、僕はしばらく、暗闇の街で一歩も動けないで座っていた。
しかし、今回の落ち込みは一時的なものだった。悲しんで、泣いて、叫んだら、気持ちはスッキリして、また一から始めようという気分になった。僕の目的は、何かを成し遂げることではなく、過程を楽しむことなんだ、っと言い聞かせた。
それから何度も、暗闇の街、灰色の街、粘土の街を往復した。ひょっとこから、「運を良くするには、日頃の行いが大事だ」と聞かされた。僕は、そからは、他者のことも気に掛けるようになった。困っている者がいたら手を差し伸べ、弱っている者がいれば励まし、アドバイスも惜しみなくした。
ああ、そういえば、粘土の街に最初に来た時は、僕もアドバイスを貰って助けてもらったんだ、と改めて気づかされた。
再び、僕は造形を造れた。やはり、初めて造れた時と同じように感動した。もし、今回も焼きで割れたとしても、僕は何度も造形を造ろうと思った。この感動を何度も味わうために。
ひょっとこに任せ、僕の造形が焼き上がるのを待った。
しばらくして、ひょっとこが現れた。
「焼き上がったぞ」と言って、僕の造形を手渡してくれた。
完成した。今までの困難は、この日の喜びのためのものだった。僕の心は震えた。僕は筆を取り出し、自分の造形に色を塗った。僕の好きな青色を。灰色の街の空に塗った青色だ。
僕は心が愛で満たされ、感謝の感情が溢れだし、自然と涙がこぼれた。温かい涙が。
景色が一気に変わった。そこは、色鮮やかな世界だった。
空は青色に澄み、木が生い茂り、花が咲き乱れ、優しい温かい風が吹く。蝶は舞い、リスや馬や鹿などの動物が遊んでいる。ここには生命がある。暗闇の街、灰色の街、粘土の街、どの街にもなかったが、ここには生命がある。
僕の前に、白く光る球が現れた。
「ここが楽園ですか?」と僕は訊いた。
「そうだ」と光の球が答えた。
「あなたは誰ですか?」
「私は、あなたがたが、あの方と呼ぶ者。神の分け御霊です。よく、ここまでよくたどり着いたね。君が手に持っている物を出しなさい」
僕は、さっき粘土の街で造った物を差し出した。青色に塗った鳥の造形。
光が僕の手を包む。すると青い鳥が羽ばたきだした。そして空に向かって飛び立った。高く、高く、飛び、いつしか空の向こうに飛んで行った。僕は鳥が見えなくなるまで、その光景を眺めていた。
光の球が言う。
「ここの全ての街は、あなたの中の世界です。次は、あなたの外の世界で楽園を探すのです。さあ、一歩を踏み出しなさい」
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