ワンチャン

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 翌日の昼休み、同じように犬を抱いている葛西くんに勇気を出して話しかけてみた。葛西くんはいつもクラスの中心グループとお昼ご飯を食べている。なのにクラスの全員と仲がいいのだ。私もそのモブクラスメイトの一人だとばかり思っていたので、私に恋しているかもしれないなんて到底信じられない。 「ね、ちょっと」 「ぅん、小早川さん。なんか用?」  葛西くんは口の中の食べ物を飲み込むと、爽やかな笑顔を向けてくれる。口の中が見えないよう手で隠していることから、育ちの良さが窺えた。膝の上に乗ったトイプードルは、机の端から垂れたビニール袋の持ち手にじゃれついている。 「私も一緒に食べていい?」 「ああ、うん。そっち詰めてあげて」  葛西くんの呼びかけで、すぐさま私用のスペースと椅子が用意された。遠慮がちにその席へ腰かけると、持参したお弁当箱を机に置く。普段であれば適当に冷凍食品などを詰めただけのお弁当なのだが、今日は見栄を張って手の凝ったメニューだ。 「どうしたの、急に」 「あはは、なんとなくね。ここの人たちと食べたことなかったな、って」  事前に用意しておいた建前を、隣に座っている女子へ告げる。中学二年生辺りからだろうか。学校生活の中に色恋が入り込み、人間関係が一層複雑になったのは。今もきっと「葛西くんにアタックかけんなよ」という牽制なのだろう。これまでそういう類の話と関わってこなかった私にとって、理解の範疇を超えた心理だった。 「ところで、小早川さんのお弁当すごいね。親?」 「ううん、私。冷食ばっかりだけどね」  葛西くんが私のお弁当箱を覗き込んできた。トイプードルも同じく覗いてくる。彼の頭が近づいたことで、ふわりといい匂いが漂ってきた。清潔を体現したような、澄んだ匂いだ。柔軟剤かシャンプーか、匂いの出処ははっきりしない。とにかくいい匂いだ。 「でもすごいよ。俺なんかいつも購買だし」  彼は自嘲気味に笑い、その胸でトイプードルが上目遣いにこちらを見つめている。先ほどから気が散るのであまり可愛い行動はやめてほしい。ふわふわの毛からこちらを見つめる二つの宝石は、窓からの自然光を反射してキラキラと輝いていた。  思わず撫でたい欲求に駆られるが、あくまでこれは私の幻視なのだ。突如として何もない空中を撫で始めたら、一瞬にして変人判定されてしまう。 「おい小早川~、葛西に見惚れんなよ?」 「はっ⁉ そ、そんな訳ないって。ほんとに。何でもないから」  自分でも必死すぎることは理解している。しかし、照れ隠しは本能的なものなのだ。抑えるとか、そういう次元の話じゃない。私はごまかすようにプチトマトを口の中へ押し込む。ちらっと葛西くんの顔を確認すると、彼はどことなく嬉しそうな表情をしている気がした。  そんな私をあざ笑うように、トイプードルは甲高い鳴き声を上げる。 「――これって、やっぱり私のこと好きなのかなぁ」 「知らねぇよ」  帰りしな偶然会った一郎に今日のことを話した。彼はぶっきらぼうに言うと、首の後ろを掻く。もう一方の手には赤色のリードが握られており、お座りしたハナに繋がっていた。私と違って帰宅部なので、一度家に帰って犬の散歩を始められるほど時間に余裕があるのだ。 「お前の勘違いじゃねぇの。犬が恋愛感情だってまだ決まったわけじゃないんだろ?」 「そうだけどさぁ……」  一郎は迷惑そうな表情で腕を組んだ。確かに彼の言うとおりだ。葛西くんが私を好きな証拠はどこにもない。そもそも犬自体が私以外に見えていないのだから、勘違いだと言われればそこまでだ。それでも、自分を好きになってくれたかもしれない人物を、うやむやにはできなかった。  考えるために俯くと、ハナの顔が視界に入る。もうおばあちゃんだからか、ハチ公像のように静かに座っていた。普通なら舌を出して荒く呼吸しそうなのに、彼女は静かにこちらを見上げるばかりだ。 「なんかさ」  突然、一郎が口を開いた。一拍置いて彼は続ける。 「なんか、こうやって二人きりで話すのって、最近あんまなかったよな」 「そうかな」 「高校入ってから、あんま話さなくなったじゃん」  そういえばそうだ。中学卒業までは女の子の友達と遊ぶか、一郎と駄弁るかが毎日のルーティーンだった。別の高校に入ってからは、自然と疎遠になってしまっていた。ただ、連絡はよく取り合っていたし、時たま遊ぶこともあったので実感がなかったのだ。 「迷惑だった?」 「別に。ただ、こういうの相談する相手いないだなぁって」  一郎は鼻を鳴らし、小さく笑う。どこか馬鹿にしたような態度にむかつくが、言葉にはしなかった。足を踏むだけに留める。履き潰したスニーカーは、多分踏んでもいいものだ。 「な、もういい? 俺このあと予定あるんだけど」 「いいけど」  仕方ないので一郎の足を解放すると、彼は私の後方へ歩き出した。特に別れの挨拶もなく離れてゆく一郎の背中と、ハナの可愛い尻尾を私は見送った。一人と一匹が角を曲がって見えなくなったところで、私も帰路につく。
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