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月曜日は私も葛西くんも部活が休みだ。だからこそ、この日にした。教室の大きな窓からは橙色の夕陽が入り込み、二人分の影を床の上へ伸ばしている。この空き教室には、基本的に誰も来ない。だからこそ、ここに呼び出した。
「話って、何」
ドラマで何度も聞いたようなセリフも、自分に向けられたものだと思うと心がときめく。葛西くんは腰に手を当て、私の言葉を待ってくれている。その目で見られていると、自分の格好が気になって仕方がない。彼が車で手鏡で何度も髪型のチェックはしたし、スカートのしわも直したはずだ。自分を落ち着かせるため、短く深呼吸をした。
「あのね、実は、私、葛西くんのことが好きです付き合ってください!」
一息のうちに告白を済ませると、私はそのまま顔が上げられなくなってしまう。
手が震える。呼吸が止まりそうになる。眩暈すらしてきた。
とんでもないことをしでかしてしまったような、説教を受けている時のような気持ちだ。でも、私には勝算がある。葛西くんがあのトイプードルを抱えているということは、私にもワンチャンがあるということだ。大丈夫。
あ。
自分に言い聞かせる途中で気付いてしまった。葛西くんはトイプードルを連れていたか? 右手を腰に当てて、もう一方の手は。分からない、けど、鳴き声も動き回る音もしない。
いつから? 確かにトイプードルはいた。どこかで、いなくなった。なんで。
「あの、さ」
葛西くんの声に体が硬直する。嫌だ。その先は聞きたくない。
「ごめん。俺、小早川とは付き合えない」
「……そっか」
ダメだった。やっぱり、犬なんてただの幻覚に過ぎなかったのだ。
「でもさ、実は俺も前まで小早川のこと気になってたんだ。ただ、なんか、最近ぐいぐい来るようになって、多分小早川とは恋人っていうより友達になりたいな、って」
ゆっくりと顔を上げると、葛西くんは申し訳なさそうにこちらを見ていた。私は今、どん表情をしているのだろう。彼は一歩近づいてくる。
「だから、これからも友達でいてくれませんか」
そんな問いに、私は「はい」と答えるしかなかった。私は数週間で初恋と初失恋を経験したのだった。本当に、涙を流さなかった自分を褒め称えたい。
「――でも、よかったんじゃねぇの? 一応は友達になれたんだろ」
一郎は私の背中をさすりながら慰めてくれる。葛西くんと別れたあと、私は一郎の家に直行していた。都合よく利用してしまっていることは分かっているが、そうでもしないと耐えられないと思ったのだ。今は慰めろ、と命令して慰めてもらっている。
「ほら、ティッシュ」
彼が差し出してくれたティッシュ箱から数枚を抜き取り、涙を拭った。鼻もかむ。きっとメイクが流れ落ちて酷い有様だろう。一郎じゃなければこんな姿見せられない。
「でもっ、でもさぁ、ぐいぐい来るからって理由で好きじゃなくなるかなぁ!」
「しゃあないって。俺いっぺんトイレ行ってくるから、それまでに泣きやんどきなよ?」
そう言って立ち上がろうとした一郎の服の裾を掴む。今は一人にしてほしくなかった。それぐらい察してくれないんだろうか。だから彼女ができないんだろうな。
「いかないで」
「漏らすけど、いいのか」
「幼馴染が漏らすとこは面白いからいい」
鼻をすすりながら言うと、一郎はデコピンしてくる。しかも強めだ。
「っ! ちょっと! ひどい! もういいから、私ハナに慰めてもらうもん」
一郎を睨みつけてから、ケージの中で丸くなっていたハナを呼び寄せる。彼女はのっそり起き上がると、とことこ私のもとへやってきてくれた。柔らかくて温かい毛皮を撫でていると、心が満たされてゆくのを感じる。
ふと、一郎に顔をやると、目を丸くして私を見下げていた。
「は? お前、何やってんの」
「一郎が慰めてくれないからだよ。ほら、よしよし、可愛いね」
ハナの頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めてくれる。
「いや、だって、ハナは去年死んで……あっ」
一郎は何かに気づいたような表情を浮かべると、口を手で覆った。しだいに顔が真っ赤に染まってゆく。ハナが死んでる? そんなこと知らない。というか、目の前にハナは存在しているのだ。そんな不思議な現象、起こるはずが。
「あっ」
ひとつあるじゃないか。
「……あのさ、もしかして私のこと好きだったりする?」
「……俺、トイレ」
一郎は足早に部屋から出て行ってしまう。私は胸の中に抱いたハナに視線を戻すと、頭を撫でてみる。ハナはこれまでに見せたことのないほどの満面の笑みを浮かべた。
とりあえず、ハナを撫でて心を落ち着かせることにしよう。彼女を抱きしめると、私と同じくらい激しい鼓動が伝わってきた。
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