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げほげほ、ごほっ、と苦しげな咳が聞こえる。母の背中が曲がるのが見えた。「上田さん、大丈夫ですか」と看護師の声がする。水を飲んだらしい動きの後、「だいじょうぶだいじょうぶ」とまた母が画面に戻って来た。
「あーもうやだ、声ガッサガサになっちゃって」と笑う。
そう聞いただけで泣きそうになった。「声が聞けてよかった」と思った瞬間、手術の間考えていたことがよみがえり、大波のように押し寄せて来た。
お母さんがこのまま、死んじゃったらどうしよう。
私がもっと様子を見に行っていれば。私がもっとしっかりしていれば。何が強い姉だ、いざという時にはもっと力になれるはずだったのに。
私のせいで、母が。
「……あれ? 画面固まっちゃったかしら。香織?」
母が不思議そうに首をかしげる。
その時。
硬直する私の肩に、ぽん、と手が置かれた。
「姉ちゃん、なんか言うことあったんだよね?」
言われて私はやっと、弟の顔をまともに見た気がした。
そして気づいた。
彼の目は、落ち着いた明るい声と裏腹に、目の際まで涙がたまっていた。
弟も、本当にお母さんのことを心配していたんだ。
申し訳ない気持ちになった。母に対する不安、これからの心配。ぶつけるところがないからと、私はそのすべてを内心弟に押し付けていなかったか。彼の気持ちを心からおもんぱかりもしないで。
しっかりしろ、私。
弟が慕い、母が頼りにする私に戻らなくては。
「あ、そうそう! 昨日お母さんの職場に顔出してきた」
私は大きな声を出し、用意したメモを元に、誰それに連絡したとか、皆が心配していたことを伝えた。
「本当に香織はしっかりしてるわね。安心したわ」
そう、母は言ってくれた。
視界の隅で、弟が涙をぬぐっている。
「とにかく、家のことは私に任せて」
「あんたたちも体には気をつけるのよ。直樹、気をつけて帰ってね」
「わかった。お母さんお大事にね」
そうして、面会は終わった。
どちらからともなく、はぁあ、と息を吐いた。
それがあまりにも同時だったので、私達は顔を見合せて笑った。
子供の時のように。
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