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「ランカツ? 原田、二人目考えてるの?」
他部署で同期の原田は、たしか子どもは一人でいいと言っていたはずだ。裏切られたわけではない。わかっているのに、非難めいた口調になるのが止められなかった。
突然の私の剣幕に原田は驚いた顔で、蕎麦を挟んだ箸を宙で止めた。
「え? どういうこと? えっと、一人目の、ていうかうちの娘のランドセルの話だよ」
「ああ、ランドセル……」
ため息とともに腑抜けた相槌が先を促したのか、ぶら下がっていた蕎麦をずるずるとすすった原田は、昨今のランドセル事情をこれまたずるずると話し始めた。
それを頭の表面で聞き流しながら、私は目の前の日替わり定食を箸でもてあそんでいた。パサつく焼き魚は、なかなか喉をとおらない。
「ラン活」と聞いて、「卵活」だと勘違いした。原田も私のように、卵子の質を高める努力をしているのかと思ったのだ。
「――で、時間もないしテキトーでいいって言ったら、お義母さんがすごい剣幕でさあ」
ランドセルなんていったら、六歳か、七歳だろうか。同い年の彼女が出産したのはついこのあいだのような気がしていたが、もうそんな年なのだ。
知らぬ間に、私は取り返しのつかない過ちを犯していたのかもしれない。
「へえ、大変だね」
共感を示すはずだった相槌が、思いのほか突き放したように響いて一気に自己嫌悪に襲われた。さすがに一人になりたくなって、定食の味噌汁を無理やり空にして立ち上がった。
「ごめん、午後のミーティングの準備があるから行くわ」
「そっか、お疲れ。新井もリーダー職が板についてきたねえ」
原田の労いの言葉にも曖昧な笑みを返すのが精一杯で、私は食器を返却棚に置いてそそくさと社員食堂を後にした。
そのまま逃げるようにトイレの個室に駆け込んだ。いまは誰とも話したくなかった。鍵をかけた扉に背を預け、無理やり息を大きく吸って細く吐き出したら、涙が込み上げてくる。
追い打ちをかけるように、ショーツの中で血の流れる感覚がした。
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