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終業後、グループのメンバーを見送ったあと、いつもより早めに切り上げて帰路に着く。
現実を遮断したくてスマホはずっと放置していたけれど、さすがに亮介からは返信が届いているだろう。
駅のホームに着いて、電車を待っている間に確認した。妊娠してなかった――それに対して亮介からは『そっか。大丈夫?』と届いていた。自分が大丈夫かどうかわからない。『今から帰るね』といつもはしないような連絡を送った。
申し訳なくて合わせる顔がないような、だけど今すぐにでも抱きしめてほしいような、気持ちが胸で混ざり合う。
並んだ列のまま電車の開いたドアに吸い込まれたあと、人波に押されて優先座席の前に流れつき、そのまま吊り革に捕まって立つ。生理一日目だけど、すこし下腹部が重痛くて、思考まで下に引っ張られていく。
そうして俯いた目線が、目の前の席に座る女性の膨らんだおなかをとらえた。彼女のカバンからぶら下がるマタニティマークのピンク色に、どうしようもない気持ちに襲われて、そう思うことが酷いことのようで、慌てて目を逸らす。
逸らした勢いで真下を向くと、自分の足元が目に入った。気も早く履いていたヒールの低いパンプスが、みじめな気持ちをさらに膨らませてくる。
自己嫌悪がじわじわとぶり返す。
育休から復帰してふた月ほどの鈴村は、急な休みを見越してそもそも仕事の割り振りを軽くしてあるため、業務にあまり支障はなかった。だから今日もほぼ普段通りの時間に仕事を終えた。
それなのにあんな言い方をしてしまったのは、誤魔化しようもなく私の個人的な妬みだ。
子どもがいることが、休める免罪符になることに。あんなふうに急に気軽に休めたなら、もう少しスムーズに治療が行えただろう。
体外受精の準備には何度も通院する必要がある。そのうえ卵子を体外に取り出す採卵手術の日程は、身体のタイミングに合わせて直前に決定されるのだ。
午後七時終了の受付に何度も走って滑り込み、診察を受ける日々。生理が始まるたびにその月の仕事の詰め具合とにらめっこしながら予定を考え、休んでも差し支えない時期がくるまで何周期も採卵手術を見送った。
ようやく受けることができた採卵手術中、麻酔はかけるが痛みはあったし、術後数日は下腹部がしくしくと痛んで予想以上に辛かった。
不妊治療を受けていることを隠したままの職場で、それでも私は普段通りの仕事をこなした。
「胚盤胞まで無事に育ったタマゴを二つ凍結保存できました」
採卵翌週の診察で医師から結果を伝えられたときは、ほっとしたと同時に、当然だとも思った。仕事と治療の両立にこれだけ努力したのだから、報われないはずがない。きっと、このまま妊娠できるはずだ、と。
その後も胚移植のために何度もクリニックに通いながらも、仕事を優先していたので何周期か見送った。
都合のつく日に処置が出来るように医師に薬を調節してもらった。初めての胚移植でタマゴがおなかに戻った日、私は希望と期待に胸を膨らませていた。思えば、あの日が一番、心が満たされていたかもしれない。
その一度目がダメだったとき、期待していたぶん突き落とされたようにショックだった。それでもタマゴはあと一つあるから、と自分に言い聞かせてなんとか乗り越えた。それなのに――。
車両のうしろのほうからギャーという幼児の泣き声がして、大げさなほど耳に響いた。数人が視線をそちらに向けて、鬱陶しさを滲ませる。私もそれに紛れて、乗客の隙間から遠くの家族連れを見た。
子どもをあやして抱き上げながら立ち上がった父親の、一瞬見えたその横顔が――十七の頃の恋人の面影に重なった。
どうして私だけ。辛い治療にも耐えたのに、生活習慣にだって気をつけているのに、どうして。
長い間あんなに恐れていた妊娠検査薬の陽性の線が、今になると喉から手が出るほどほしい。
――バチが当たったのだろうか。
やりきれない、虚しさが身体を渦巻いて、どんどん膨れ上がっていく。
年齢とともに体内の卵子が老化するなんてこと、教えてくれなかった世間に。
妊娠への罪悪感を植え付けた、母に、元カレに、あの日の自分自身に。
どれだけ卵活をしようと、抗うことのできない時の流れに。目の前の妊婦に、子連れの母親に。
八つ当たりでしかない怒りを感じてしまうほど、悲しみのやり場が見当たらない。
ぶしゅー、と空気が抜けるような音とともに、電車のドアが開いた。
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