王のイヌ

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「何? それはどういう意味だ? お前も師匠のレオナルドのように、わがフランスをそしるのか」 「とんでもございません。それは、古いミラノが戦争によって破壊され、フランスの威光によって新しいミラノが生まれるという意味でございます」  王は全身で喜びを表現した。 「そうであったか。なるほど。ミラノの民もこの壁画を見るたびに、我がフランスの占領が正しかったと自覚するというわけだな。ルキノ、よくやった。お前の言い値で払うという約束は守ってやる」  王は上機嫌でフランスに帰っていった。そののち、サン・ロレンツォ大聖堂の大広間の壁画は、ルイ十二世の威光の象徴として、昼夜をたがわず厳重な警護がなされた。 それから十八年後の一五一九年に、レオナルド・ダ・ヴィンチは亡くなった。六十七歳であった。ダ・ヴィンチの工房は二番弟子であったウンベルト・ガリバルディが引き継いだ。 一方、かつての一番弟子のルキノは、『ミラノ占領』の壁画で名を成したものの、ミラノ公国の民衆からは相変わらず「王のイヌ」と呼ばれて、正当なる評価を受けることはなかった。ルキノは、自分の小さな工房の弟子たちを率いて仕事に励んでいた。 そのルキノも、ダ・ヴィンチが亡くなった二年後に、流行り病で亡くなった。五十七歳だった。そのとき弟子たちを呼んで、こう言い残した。 「私はもうすぐ死ぬ。しかし、いつの日か、私がしたことの意味が、皆にわかる日が来る。だから、私は心安らかに死んでいける」 弟子たちがそれはどういうことですかと問うても、ルキノは笑うばかりで答えなかった。  ルキノが死の床に就いていたとき、フランスとスペインのイタリアを巡る争いが激しくなり、スペインの勢力に押されて、フランスはミラノから撤退した。  ルキノの一番弟子マルコ・コルデロは、暇さえあれば師の『ミラノ占領』を見に行き、
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